口裂けちゃんは波風たてない
吾輩の想い人にして、埼玉県でもっとも可愛い美少女、穂真田九千紗は今日もしっかり可愛いスギ。
朝のチャイムが鳴ると同時に九千紗さんは、こっそりと教室の中へとはいってくる。上履きの底を床にフィットさせるように、ゆっくりとした忍びの歩みだ。
いつも時間ギリギリ、教師のはいってくるわずか数秒前に彼女はやってくる。
なぜなら、早く来すぎてはひとりほっちである現実が、より鮮明にクラスの事実として印象的になってしまうからだ。
というのも、すべては彼女が芸能界で千年に1人と注目を集めはじめたせいだ。
テレビの向こう側では笑顔を見せる彼女は、こちらではマフラーに顔うずめ、気配を隠して空気に徹している。
同様に、皆が皆、触れてはならない存在としてあつかっている。
だが、吾輩にはわかる。
九千紗さんは孤独など望んではいない。
吾輩にはすべてわかるのだ。
それはなぜか?
吾輩が彼女の婚約者だから。
Q.E.D証明終了。
「出席とるぞ~」
毎朝のルーティンワークをこなすため、担任の教師はやる気のない声でホームルームを始めていく。
生徒たちひとりひとり、個性の矯正された淡白な返事をしていくさまは現代教育の賜物だろうか。
九千紗さんが冷めた瞳で人間社会を哲学してると、彼女の番がやってきた。
九千紗さんは無色の返事をするだけで、机に突っ伏した。
すぐのち、九千紗さんの艶やかな黒髪にこつんっと何かがぶつけられた。丸めた紙だ。
許せん。殺してやる。
吾輩は紙の飛んできた方角へ睨みを効かせる。
つい目があった生徒全員が、吾輩から目を逸らした。みんな吾輩と関わりたくないとでもいうように。現にそうか、
担任はそんなことを気にせずに、手元の名簿にチェックをいれて、ホームルーム前の出席確認を終えた。
「期末テストが近くなってるからなー、将来のためにしっかり勉強しておけよ」
名簿をはさんだバインダーで肩をトントン叩き、左手の腕時計を確認する。
タイミングを見計らって「んじゃ、今日も一日頑張りましょう」と、担任が教室から出ていく。同時にチャイムが校舎に鳴り響いた。
この電子の鐘は九千紗さんにとってサバイバルゲームのはじまりを知らせる。
今日も一日なにも起きませんように、波風たたず、誰も自分に話しかけませんように……そう祈りながら、1秒でもながくクラスの影になりきるのだろう。
少なくとも、1年生の時はそうだった。
ただ、もう吾輩は彼女をほうっておくつもりはない。
「我が美しき婚約者よ! 今日も良い天気だと思わないかね?」
「……っ、あんたは……!」
「吾輩たちの深き愛を表現するには現代文学では未だ稚拙だ。しかし、あえて言葉にするのなら、やはり吾輩は君の未来の旦那様と言うべきなのだろう」
「昨日の変態紳士ね……!」
「全無視はいとつらひ」
九千紗さんはマフラーから口元をだして驚いていた。「校内に侵入するなんて!」と目元に影をつくって引き気味の視線をむけてくる。おびえてる小動物のようで可愛い。
「今日も大きなマフラーが可愛いね。メルティキッスのCMにそろそろ起用されるのもうなづける」
「それまだ企画段階なんだけど、なんで知ってるの?」
「吾輩もミーティングの現場にいたからな」
「どんなストーキングッ、怖ッ!?」
「吾輩は婚約者だからな。全部知ってる。そう、全部」
「気色悪すぎです……ッ、昨日のは悪い夢じゃなかったんだ……っ」
「ふふ、吾輩はいつでも君のそばにいるよ」
「と、とにかく通報します! 構内に勝手に入ってくるなんて流石に警察案件です!」
「待て待て、酷い言いようだ。吾輩は穂真田嬢の新しいクラスメイトだぞ」
「え? ……ぁぁ、制服着てる……本当にうちの生徒だったなんて…」
「ふむ、驚いたかな?」
「絶望してます」
「なるほど。昨晩の印象は良くないようだ」
「どうして、あれで良いと思えるわけ……変態、変質者、性犯罪者……っ!」
「吾輩も流石に傷つくよ?」
肩をすくめて、ハンカチで目元をぬぐうフリをして見せる。
あんまり構ってくれないので、2秒で演技をやめた。中学で演劇部をやめさせられた意味がわかりました、母上。
「ところで、穂真田嬢」
「あんまり、あなたと話したくないのだけれど……」
「あんまり、と言うことは少しは話したいという意思があると受け取ってよろしいか?」
「訂正します、口を聞きたくないですっ!」
「では、すこしお喋りをしようではないか」
「よく聞こえるように耳を綿棒に綺麗に掃除してやがりますよ……?!」
九千紗さんは渾身の脅し文句をかまして「これでビビりやがりました!」と得意げに微笑んだ。
ただ可愛いだけだと、気がついておられないようだ。そういう場所を見る度にいっそう好きになってしまうのだがな。
「君は可愛い」
「……っ、なんなんですか、いきなり……」
「君は可愛い」
「聞き返してるんじゃないです……っ!」
「君は可愛い」
「壊れた時計……?!」
いかんいかん。
あまりの可愛さに我慢できず気持ちがもれてしまっていた。
「おや? どうした穂真田嬢」
「喋りかけないでください。もう何も答えませんので」
「0秒で作戦破綻している件について」
「うぐっ……」
「穂真田嬢」
「……」
「穂真田嬢」
「……」
「ほう」
九千紗さんが大きなマフラーで目元まで顔を隠して、そのまま机につっぷして喋らなくなってしまった。
「さてと、穂真田嬢がお昼寝タイムにはいってしまったことだし……それでは吾輩も失礼して、と──ぶべえ?!」
隣の椅子をもってきて共にお昼寝しようとすると、パチンっと音がなるほどのビンタの応酬にふっとばされる。
九千紗さんは、はあ~、と大きくため息をついて頭をかかえていた。
「穂真田嬢が触ってくれた、ハァハァ…吾輩、歓喜」
「しまった、確かこいつらの界隈だと全部、ご褒美なんだった……はぁ」
九千紗さんは頭を抱えて、悔しそうな顔をするのだった。
──数日後
彼女とお互いを親睦をふかめたあの日以来、吾輩は休み時間のたびに穂真田嬢の机のまわりを散歩していた。
「変態紳士さん、あんまり、うろちょろしないでくれますか」
「これは散歩である。散歩は二足を持つ人類にあたえられた恒久の権利だ」
「それをうろちょろって言うんです……!」
「では、まずうろちょろの定義を教えてほしい。無いのなら共に考えていこう。初めての共同作業というやつだな」
「絶対、嫌ですから!」
九千紗さんはつい声をあらげてしまい、しゅんとして消沈した。
「ところで、穂真田嬢、そのマフラーはなんで付けてるのかな?」
「……立派な口裂け女になっても、見た目でバレないよう今から準備してるんです」
「なるほど。どうりで可愛い口元が見えないわけだ。しかし、たまに取れそうなのもチラリズムを誘発して尊い」
「これでも特注のメガメガサイズです……というか、声をあげさせるようなこと言わないでください」
「それは無理だ。吾輩の愛はメガメガメガだ。そのマフラーの外側、否、この日本国を一周して中華をちょっと囲むくらい大きいのだから」
「意味わからすぎです」
声をだしすぎないようかすれ声でのツッコミ。面倒くさいと思いながらも、ちゃんと構ってくれる九千紗さんは、あまりにも優しすぎる。
「穂真田嬢、さては吾輩との会話が楽しんでくれているな?」
「一向にどっか行かないので諦めただけです……はあ、本当に変なのに目をつけられちゃった……」
「まるで変態にターゲットされた被害者のようだ」
「よくおわかりで、自覚あったんですねッ!」
九千紗さんはくわっと睨みつけて言ってきた。
「その表情も可愛いね」
「……っ、なんなんですか、本当に! ムカつく顔!」
「はい、可愛い」
「ぶっこ……ますよ!」
九千紗さんはちいさな拳を握って吾輩にパンチをくりだしてきた。
ぽこっとあたる衝撃は、吾輩の五臓六腑に染み渡り、計り知れぬ幸福となって肉体をめぐりだす。
「ふふ、婚約者同士のイチャイチャとはここまで楽しいものなのだな♪」
「くっ、悪夢ならはやく覚めてぇ……
九千紗さんは掠れた声でもらした。
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