28F カッ飛ぶ浪漫 ※三人称視点

 うねり波打ち揺れ動く鉄製の通路は怪物の胃袋の中も同じ。鉄神の眷属である眷属魔法は鉄を操る。野次馬を呼び込まぬ為に深度二〇を超える大規模な魔法こそ使わないが、それでも紡がれる深度の呪は十八。


 鉄の中響く波紋が波紋を呼び、滴が落ちて波紋を広げるその逆をゆく逆流現状。雨模様を巻き戻すかのように波紋から鉄の滴が飛び出し鉄の幕を細く引っ張る。


 鉄の槍が柔らかな見た目とは裏腹に硬質な振動音を奏でながら飛び出し冷ややかな空間を埋め尽くす。避け切れるはずもない針のむしろ


 目を見開いたサレンの背に添わされ引き寄せる機械の腕。底がソレガシの選んだ道。虚空の中心を走れば埋め尽くされる鉄の槍だが、一面に身を添わせれば最悪下と上からの一撃に気をつければいい。ただしそれもかっちりと頭の中の歯車が噛み合い回ってくれていればの話。


「ギャル、氏……魔法……っ」


 多くの事に頭を割けるだけの余裕はもうソレガシの中には存在しない。敵と味方に友人が一人づつ。その存在に向かい合う事だけにしかもう頭を回せない。油が切れたようにぎこちなく、鋼鉄の手のひらでサレンが伸び縮みを繰り返す鉄槍に当たらないようにする事だけに意識を裂く。


 指を擦り抉り伸びる鉄の槍。落ちる鉄槍に肩や足先を削られようがソレガシの足は止まらない。


「避けやがるッ⁉︎」


 奥歯を噛み砕く程に歯を食い縛り、ブルヅは床に刺した大剣を引き抜いた。そう簡単に避けられる鉄槍の槍でもなく、満身創痍のソレガシの身体能力だけで避け切れるとはブルヅだって思っていない。


 伸び縮みする鉄槍の胃袋の中に目を這わせ、描かれている光景に大きくブルヅは目を剥いた。噴き溢されている魔力蒸気の揺らぎ。生物が知覚するよりも早く伸びる槍の魔力に反発し動く蒸気を追うようにソレガシは避けている。


 己に流れる血肉と同じ、機械人形ゴーレムの淀みない知覚に意識を切り替えているからこそ反応できる機微。極度の疲労感と緊張が、ソレガシの余分な思考を削ぎ落とし、ただ、今その瞬間だけに頭を使わせる。


「ギャル、氏……前だ……前にっ」

「わ、分かったからアンタ自分を守りなさいよ⁉︎ ダサめの見た目がグロくなってってんから⁉︎ あーしのことはほっといて!」

「二人だ……二人で勝つのだ。……ギャル氏が、来てくれたからこそ……二人で勝たねばならんのだ」


 ぶつぶつと呟くだけでもうソレガシの目はサレンへと向く事はなく、ただ前だけを見つめている。身を削る痛みさえも頭に入れず、ゆっくりと、だが着実に前へと進み甲鉄の騎士との距離を詰める。


「なんでそこまで頑張るし? もう十分やったじゃん。今寝ても誰も馬鹿になんてしないって、あーしだってさっ……あーしが代わりに戦ってって頼んだから?」


 理解が追い付かない。追い付いてくれない。


 ソレガシよりも先に膝を折るような事をサレンもしたくはないが、何故ソレガシが未だ折れずに走るのかが理解できない。もしそれが少女の頼みを聞いて頑張っているだけならば、これ以上身を挺して友人が傷付く姿をサレンだって見たくはない。


「……笑止、ですぞ。ぷし、ししし……っ」


 口から血を垂らし赤い糸を引きながらソレガシは呆れ笑う。諦めるような言葉など、梅園うめぞの桜蓮サレンには似合わない。少年の頭をカチ割ってくれた少女には似合わない。


 頼まれたから。なるほど。確かにそれもありはするが、それ以上に応えたいだけだ。初めてできた友人が見る世界を変えてくれたから、もしも、次があるのなら、その時は自分の番。


「自分を強く……できるのは、自分だけ。だとしても、誰かがいるから、強さを望む。でしょう? だからそれがしは……勝ちたいっ。今度はそれがしが、友の頑固頭を割ってやりたいっ。強くなりたいのは……強さを望んでいるからではないのだと、望む自分になりたいからなのだとっ、教えてあげたい!それがしは弱いから、弱いそれがしが勝つことでっ、神との繋がりなど強さには関係ないとッ! 神石などなくたってッ! ブル氏は、強いからぁっ!分かって……くれますか?」


 強さなど漠然としたものだ。見方によって強さの基準など絶えず変化する。だが、変わらないものがある。紐解けば見えてくるものがある。


 怪盗の予告状に記されていた犯行日。本来ならブルヅが仕えている姫君は、学院の研究発表会の為に城塞都市にはいないはず。


 その為にブルヅは今日を選んだ。姫君の邪魔にならぬように。だが、帰って来てしまった以上もうブルヅは後には引けない。一度道を踏み外してしまった以上もう外道を歩むしかない。その道に友が染まり切る前に拳で元の道へと殴り帰す為に。


 空を彷徨うソレガシの瞳を前に、背を掴む甲鉄の手に揺られながら、サレンは大きく深い息を吐き零す。


「……それもう怪盗捕まえるかどうかとか色々関係ないじゃんね」


 依頼の成功云々よりも、始まった戦いの勝ち負けにしか目の向いていないソレガシに心の底から呆れてサレンは肩の力を抜く。


 らしくない。


 余計な脇道に頭を回さないのが理屈っぽい友人のサレンにはない長所であるのに、必要ない勝利を追うのに必死でその長所が死んでいる。サレンと二人になった時点で、逃走を選ぶべきだった。そのくらいサレンにも分かる。冒険者としての勝利は怪盗の捕縛ただ一つ。決して殴り合いで勝たなくてもいい。


 サレンの背を掴む機械の手の歯車が弱々しい音を響かせて掴む力を少し強める。それに顔を歪める事なくサレンは今一度微小なため息を吐き出し、左腕を目一杯に伸ばして友の肩を叩く。


「喧嘩なら余計に負けらんないじゃんねソレガシ。で? どーすんの? 今はそういうノリっしょ?」


 軽い言葉に軽やかにソレガシもう口の端を持ち上げる。


「ギャル、氏の……一番得意な事を……それがしにっ」

「りょ」


 短かな少女の了承の言葉に、僅かな迷いをその場に捨て置き、ソレガシは通路から伸びる鉄の槍の姿ない虚空へとサレンを投げた。


 そのまま腕で床を弾き、少年の体が少女の前に躍り出る。差し伸ばされた鋼鉄の右の手のひらから漏れ出る蒸気に紫電が混じった。


 蒸気電磁砲コイルガンも撃てて後一発。魔力が底を突くまでもう時間もない。それでも後一撃は。一撃だけは届かせる。


(またフェイントかソレガシぃッ、いや、ソレガシが前で嬢ちゃんが後ろッ、オレが避けた先に伸びる鉄槍を踏み台に嬢ちゃんが突っ込んで来る寸法かッ、いやぁなんだっていいなぁッ、真正面から打ち落としゃあ‼︎)


 蒸気纏う鉄飛礫が吐き出されるのかどうなのか。関係ない。撃たれれば打ち払い、撃たれなければそのまま斬り捨てるだけ。


 だが、そもそもが的外れ。ソレガシの思惑は別にある。ブルヅに選択肢を叩き付けて迷わせるのではなく、思考に時間が取られる事で生まれる一瞬の隙が狙い。その隙の間に横たわる距離を少女が埋めてくれると信じるから。


 ソレガシの背後で光がまたたく。青色の粒子が零れ落ちる。サレンが左肩に羽織っていた青い布が鉄の槍に千切られたその奥で、青く輝く武神の紋章。サレンの使える眷属魔法は多くなく、そもそも使い方が分からない。


 だからこそ紡ぐのは一度口にした眷属魔法。それを得意な事に乗せて押し出す。異世界に来てから何度も蹴ったソレガシを今再び蹴る為に、背後へと泳がせた右足を引き絞る。


「行っけッ‼︎」


 武神の眷属魔法チェイン深度五ドロップ=ファイブ、『踏破の道程シルクロード』。


 打ち出し、蹴り出したモノを望む場所へと届ける魔法。その速度は使用者の技量による。自力の増されたサレンの蹴りがソレガシの体を優しく掬い上げるように押し出す。触れる時は柔らかに、触れた後は鋭く大胆に。ひた隠しているこれまでを、少女は少年には隠さない。磨き抜かれた蹴り技が少年を青い矢と変えて撃ち放つ。


 刃を振り上げる甲鉄の騎士の胸板にぶち当たり、ソレガシの体が崩れ落ちる。既に瞼を上げるのも気怠く、腕を振り上げる事も不可能に近い。それでも残された機械の右腕だけは変わらずに動く。ソレガシがどれだけ死に体でも、機械でできた機械人形ゴーレムの目と腕は揺らがない。


(味方に蹴らせて距離を詰めるだとぉ? 殴ろうにも腕を引かれ伸ばすより、振り下ろすだけのオレの方が速いぜソレガシィ‼︎ 銃口を向ける暇も与えねえッ‼︎ これで)


 鋼鉄の右拳が握り込まれる。腕を伸ばす事も引く事もなく、鉄拳を鋼鉄の騎士に差し向ける。握り込んだ鉄拳から漏れ出る蒸気に紫電が混じった。パリパリと音を立てながら、右拳の付け根から噴き出す蒸気の量が急速に増す。蒸気機械の腕ロボットアームならこれだろうと、摘み加えた浪漫ロマンの一欠片。


「べん……べん……」

「なッッッ⁉︎」


カッ飛ぶ浪漫ロケットパンチ


 

 プシィ──────ッ!!!!


 切り離された右拳が空を舞う。不可能を打ち破る小さな宇宙船が蒸気を噴き出し上昇する。刃を振るうブルヅの腕はもう止まる事叶わず、大きな顎を殴り砕き、天井を引き裂いた右拳が打ち上げの軌跡を夜空に引いた。


 夜風が蒸気を流し切った鉄の床に転がる男二人。魔力が切れて顔の横に転がった黒いレンチに折れた右腕を何とか伸ばして上に置く。


「……慢心まんひん……や、言いわへはいい……た見事みほほ……久々ひはひはよ、ここま酔ったのは、頭ガンガンはんはんる」

「ぷっ、しし……っ、なに、言ってるか、分かりませんぞ」

「……あほくはたかなぁ」


 小さな笑い声が二つ通路の中を満たし、数度咳き込むとソレガシは仰向けに転がった。残された力を振り絞って持ち上げた瞼の先、夜空に上り薄らぐ蒸気の軌跡と細星が見える。


 そんなソレガシの頭が小さく持ち上げられ、夜空を塞ぐのは青い髪と黄色っぽい瞳。膝枕をしてくれるサレンから感じる鉄より随分と暖かな体温に苦笑しながらソレガシは瞼を落とした。


「これ…………なんてエロゲ?」

「ばーか」


 ソレガシが自らの夜を己で閉じる。夜空より暗い暗幕を視界に落とし、鉄より心地良い暖かさの中で意識も落とす。停止デッドの言葉は必要ない。長い長い怪盗との夜ファントムナイトが終わりを迎えた。

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