25F ロトンドム宮殿の怪人 ※三人称視点
ギリィッ、場の空気を圧縮するような、ブルヅ=バドルカットの筋肉の張る音が響く。
城塞都市トプロプリスが誇るロド大陸最強の騎士団、『
掬い上げられるように振るわれる、やんわりとくの字に折れた大剣の刀身。持ち得る膂力差から、立ち向かうと心に誓うと同時にソレガシは
横に揺れ動く機械神の眷属を目に、ブルヅ=バドルカットが奥歯を噛み締め、空気を裂いて大剣の剣先が加速する。
────ゴィィィィンッッッ‼︎
ソレガシが咄嗟に
散った火花をその場に残し、ひしゃげた鋼鉄の腕と共に後方にソレガシは弾き飛ばされる。機械式の腕を間に挟んでも殺し切れぬ衝撃に肺から空気が押し出された。
地面に数度跳ねても殺し切れぬ勢いを、手に持つ小太刀を鉄床に突き立て滑る事で勢いを殺し切り、
その最中、剣閃の痕を腕に残して内に走る蒸気によって膨らみ凹みを戻す鋼鉄の両腕。
(オワタかと思った……。腕を編んだ鉄線で筒状にしていたからよかったものの、もっと機械部品を増やして腕内の身を詰めていたら千切られていたでしょうな。チートですぞチート)
内心でソレガシは苦笑する。九死に一生。でありながら、たったの一撃。一撃で理解してしまう。絶対に埋まらない溝のような戦力差。種族の違いによる性能差。
足の引き合いの中での混沌とした混戦の渦中で、なまじ筆頭騎士達と運良くも戦えてしまった形ない自信がただの一撃にへし折られる。
ただ運が良いのか悪いのか、異世界の常識を多少齧っただけであり、詳細に異世界の勢力図を知らないからこそ、ソレガシの儚い自信がへし折れようと心の芯まではへし折れずに済んだ。
差がある事なぞ最初から承知の上である。
驚きはしても、想像以上であったとしても、足が止まってしまう程ではない。加えて、ブルヅ=バドルカットが友人であればこそ、怪盗の正体であると分かっていてもどこか誇らしい。
この力の塊を、甲鉄を擬人化したような男こそが友人。
それをソレガシだけでなく、他でもないブルヅ=バドルカットも認めている事実。その揺らがぬ事実があるからこそ、ソレガシは前へと迷わず駆けた。
どんな道程をブルヅ=バドルカットが辿って来たのか、どれほどの努力を重ねて来たのか、なぜ怪盗などを演じてまで力を求めるのかソレガシは知らないが、今まさに、ブルヅ=バドルカット自身が己に泥を塗っている。
他でもないその泥をソレガシは拭ってやりたいのだ。
城塞都市にやって来て、誰も相手にしてくれぬ中ブルヅ=バドルカットが話を聞いてくれたように、力量差も、立場の差も関係なく、間違いを正してやりたい。
「ブル氏はもう十分強いでしょうが! 今の一撃からもそれは分かる!だと言うのにまだ足りないと? 同盟の証を奪ってまで必要な事なのですかなそれは‼︎」
「……小せえ、狭苦しい事を言うんじゃねえよなぁ? 植物の世話や宝石の原石を磨くのと同じ事だ。水を撒くのも磨くのも、自分の手でしかできねえんだぜぇ。足りない? あぁ足りねえ。オレには足りねえなぁ。オマエは今の自分に満足してるか? してねえからそうなったんだろう? 他人の評価など強さには関係ねえんだよなぁこれが!」
地を這うようなソレガシの動きを追って、ブルヅ=バドルカットも身を屈める。他でもない、ソレガシが戦いの場を底に選んだのは友人の助言があったからこそ。『鋼鉄の胃袋』や騎士筆頭達との戦いの中で一度それを目にした甲鉄の騎士が、目線の合わぬ位置でいつまでも見下ろしている訳がない。
握る柄から手を放し、
甲鉄の騎士は甘くはない。最初の一撃で幻影のような自信をソレガシはへし折られたからこそ、甲鉄の騎士の横薙ぎはただ虚空を薙いだ。
差し伸ばす手はフェイントであり、ブルヅ=バドルカットがソレガシと視線を合わせる為にそこに沈んだからこそ、甲鉄の腕で身を跳ね上げてソレガシは己が戦場を上へと引き上げた。
ギリィッ‼︎
それを追うように、より力を体に込めて、身を起こしながらブルヅ=バドルカットは大剣の動きを横から縦へ。空舞う機械を両断する為に力任せに動きを変える。
ボンッ、と空気が弾けたような音が響いた。噴き出す蒸気に朱色が混じる。大剣の切っ先が朱線を引く。空中で身を捻っていたソレガシの二の腕を薄っすらと裂いて大剣が空を走り抜けた。
「つッ⁉︎」
見開かれるブルヅ=バドルカットの瞳に映るのは、軽く口端を持ち上げた友の顔。三日間。ただ己が戦闘法を形にする為に繰り返された実戦演習。
最初こそソレガシの相手であったベビィ=コルバドフもフェイントを交え戦闘の場を移すソレガシに面食らったが二度目はなかった。種族の性能差を用いての、宙に身を
それを経験しているからこそ、ソレガシも
身を捻ったからこそ、それを追って鋼鉄の拳が振るわれる。蒸気を噴き出し歯車の音を奏でて突き出されるのは、機械神ヨタが、己が眷属はそれ一体で事足りると判断した
それ即ち、『鉄拳』
─────ゴゥンッ‼︎
鉄と肉が衝突したとは思えない音を轟かせ、ブルヅ=バドルカットは顔を跳ね上げた。蒸気の筋肉から
覚束ない視界、朦朧とする意識、酒では味わえない久方ぶりの陶酔に一瞬ばかり沈むがすぐに口内に広がった鉄の味を味わって、ブルヅ=バドルカットは床にへし折れた奥歯ごと吐き捨て立ち上がった。
「……えぇ友よ、強さを求めてオマエはそうなったんだろう? 満足したか? しねえだろう? 足りねえんだよ足りねえのさ。飲み干した酒瓶の数よか足りねえんだなぁ! オレにまともに一撃入れられる奴は多くはねえ。誇っていいぜぇ流石だ我が友。だからもっと叩いて殴って打ってみせろ! 鉄は叩かれてなんぼだぜ!」
「ブル氏ッ、
「小せえ理由だ。砂粒のように小せえ答えだ。オレん手じゃあ掴めねえような小せえ砂金なんだよなぁ? そんなもんでも欲しいならオマエの機械の腕で拾ってみろや! 世間話を交えても、その答えを教える気はねえぜ!」
身を
作戦も何もない力押し。単純故に打つ手なし。
通路の暗闇の中
鉄神の眷属魔法、
「
床を大剣の切っ先が小突けば、吹き飛ぶソレガシの背後で巨大な剣のような刀身が壁のように浮上し通路を塞ぐ。
「弱さなんていらねえだろう?」
横に薙がれた大剣の一撃に、盾にした
「打って打って打ち続け、己を鍛える以外に何ができる? 誰だって強くなろうと思えば強くなれんだ。ただそれも放って置けば錆びついちまう。ぞっとするね。ただでさえ小せえのにより小さく脆くも崩れっちまう」
転がるソレガシを足で跳ね上げ、宙に浮く鋼鉄の腕を閉じて身を守る機械神の眷属を、大剣の打ち下ろしが叩き落とした。床に跳ねる鉄塊を横に弾き、壁に跳ねる機械の鉄球を大剣で更に弾く。
壁を、床を、天井を跳ね回り蒸気と火花を散らしながら朱い水滴を撒き散らす鉄塊。床に転がるそれを踏み付けに、大剣を肩に担いでべこべこに凹んだロトンドム宮殿の通路をブルヅ=バドルカットは見回した。
「ソレガシ、オマエは自分に何ができると思う? 怪盗の答えを導き出したように頭を回すことか? それができると気付いたなら当然やるだろ? 今だってその脆い檻の中で頭を回してんだろうがなぁ。できることをやって何が悪い? 強さを求めることが悪なのか?」
「…………そうは、思いません、けどな」
「だろうなぁ。他でもないオマエはオレと同じだ。人族らしからぬ蛮勇と、機械神の眷属らしからぬ戦い方。それは強さを求めた結果だ。なぁ?」
「そう……ですなぁ。ならば……なぜと、
「以外があるかい?」
「
鋼鉄の腕の隙間から覗く機械神の眷属の瞳に苛立たし気に舌を打ち、ブルヅ=バドルカットは凹み始めた機械の鉄球を蹴り上げる。
三半規管が揺さぶられ、もうソレガシには上下左右の違いも分からない。降り掛かる衝撃が過ぎ去るのをただ耐えるだけ。
骨を揺らし、傷口を広げられ、呼吸もままならず、情報を処理する暇もない。
恐怖の形さえも感じられない。
『分からない』に脳内が支配されている事こそがある種の幸い。形ある恐怖には支配されずに済む。
分からないから考えられず、考えられないから頭が回らない。ただ、不定形の大きさに身が
心の芯に突き立てた誓いが不安を呼び、気色の悪い温度も感じられない悪寒がソレガシの中に溜まってゆく。
(なぜでしょうな)
しんどい。つらい。痛い。逃げたい。怖い。
あらゆる負の感情が身の底から膨らみ浮き上がり、身に掛かる衝撃のよってシャボン玉のように呆気なく散り消える。その繰り返し繰り返し。
小太刀はもう右手にはなく力もろくに入らない。腕の中で駆け回る痺れと痛みが骨が折れている事を告げていた。目を開けようにも視界は赤く染まっているだけ。裂けた額から垂れた血が瞼の暗幕よりも濃く視界を塞いでいる。
(なぜでしょうなぁ)
心に塗り重ねた誓いの重さがそうさせるのか、それでも心が折れてくれないのは。
諦める事ができたなら、楽になると分かっているのに、その為の言葉が出て行かない。口を開いても喉の奥で何かが邪魔をしているかのように痞える。
強くなるのは自分の為。自分を強くできるのは自分だけ。
大きな友人が口にした言葉は、間違いないとソレガシも思う。だが、それだけではない。他でもない誰かがいるからそう思う。求める強さは自分の為だが、その強い自分でなければ立てない場所があるからこそ。決して強さの為に強さを求めている訳ではない。
求める場所には誰かがいるから、人は強くなれるのだ。自分の為のはその中には、必ず誰かの影があるから。
「ブル氏は……誰のために強くなりたい?
叩かれ続けひしゃげた左の鋼鉄の腕が破れて蒸気が漏れた。床に転がりながらそれを見つめ、どうせ使い物にならないならと、緩く握り締めた左の拳をソレガシは友人へと突き付ける。
血濡れの顔と描かれた微笑。突き出される蒸気の漏れた鋼鉄の左拳を前にして、ざらりと形ない卸し金で骨を削られたような悪寒がブルヅ=バドルカットの背筋を舐め上げた。小さく唇を開くソレガシが何を言うよりも早く、伸ばされた腕に大きく横にブルヅ=バドルカットは大剣を振る。
「ヅッ⁉︎
泳ぐ刀身がどろりと形を崩し、振るわれる甲鉄の騎士の腕を追い鉄の境界線が空に引かれた。切断された鋼鉄の腕から漏れ出る蒸気が通路を埋め、蒸気に押し上げられた千切れ飛ぶ左拳が通過の天井に大穴を開ける。穴へと漂う蒸気が射し込む月灯りの手を引き通路の中に招き入れる。
「……誰のためだと? 何度も同じことを言わせるな。誰かのために力を求め、誰かが居てくれる保証があるのかなぁ? どんな場所でも自分の力で掴み取る以外にねえだろう。それしかねえんだからなぁ。それだけしか。それでもオマエは違うと言うのか?強くなくてもそいつが居てくれると思うのか?」
「だから強くなりたいのですよ……困ったことに、もうそこに居ないとは考えられない……べんべん」
プシィ──────ッ、と口から力ない息を吐き出すソレガシの目前に掲げられる騎士の刃。ソレガシの目はそれを見てはいなかった。刃が持ち上げられても尚。
振り落とされる刃よりも早く、夜空に輝く青い星が落ちて来る。鋭く柔らかに陰鬱とした通路の空気を引き裂いて。落とされる刃を蹴り飛ばして、ソレガシの隣に落ちて来る。青い髪を夜風に流し、どんな時でも一人の少年の世界の見方を塗り替える一人の少女が。
「……ソレガシ、鬼ボロネーゼ状態じゃんね? ……ブルっちさぁ、あーしのダチコボコんないでくんね? ……んっ、ガンギレたわ流石に。あーしもう我慢無理み。もうさ、もう……寝てていいよソレガシは。あーしがやるわ」
「ぷッ、しししッ、まさか……立ち、ますとも。『絶対』に……立ちますぞ」
呆れて肩を
少女の隣こそが、少年が立つと決めた場所。
弱くともそこに少女が居てくれるから、少年は強さを望むのだ。
血濡れで改造された黒い学生服を纏う男と、派手に着飾った改造されたセーラー服を纏う青髪の乙女。
釣り合わずとも並び合う二人の冒険者を見つめ、ブルヅ=バドルカットは顎に手を置き、吐き捨てた事でなくなった奥歯を噛み締める。
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