第9話 王子と王女の勉強会
「これは?」
「ラインハルト・フォン・キルヒハイム様。補給局第三部長、子爵家三男、神経質な潔癖症なので注意が必要」
「では、これは?」
「ベネディクト・フォン・エトリンゲン様。作戦局第二部次長、男爵家次男、夜の武勇伝多数あり」
西離宮、ハインツの私室で、ミーナとハインツがまるでゲームのように掛け合いをやっているのは、ハインツが王子に戻るための詰め込み学習である。
ニコラ持参の魔鏡は、背面の把手を握った者が思い描いた像を、正面の鏡に映し出す優れモノ。これを使って、軍務省でミーナが面識ある百人以上の官僚を次々ハインツに見せ、容姿とプロフィールを丸覚えさせるというスパルタ教育だ。
しかし、周辺五ケ国の言語を自由に操るハインツの記憶力はすさまじく、一回説明を聞いただけで詳細な付帯情報までほぼ覚え込んでしまったらしい。俊英と称えられる者の弟は、やはり俊英であったか、と感心しきりのクリフである。
「やっぱりハインツの記憶力はすごいわね、記憶だけなら私よりはるかに上ね」
暗に、記憶だけじゃなく思考判断力まで含めたら負けないよ・・といいたげなミーナ。基本的に負けず嫌いなのだ。
「そこは、ニコラの魔道具のおかげだね。お姿を見ながら情報を与えてくれるのがいいんだよ。容姿と情報が紐づくっていうか・・書類じゃこんなに簡単には覚えられないよね」
あくまで謙遜するハインツ。姿は瓜二つの姉と弟だが、性格はかなり違うらしい。
「それでも、大したものよ。人物を一通り覚えるのに十日間くらいかなって考えていたけど、それを一日で済ませちゃうんだからね。じゃ、明日からは実際に軍務省でミーナがやっている業務を直接教わるのよ。これは丸暗記じゃないから、難しいからね~」
素直にハインツを褒め称えるニコラ。ニコラは今日から、王女ヴィルヘルミーナの家庭教師兼お話相手という妙な肩書で、西離宮に引っ越して来ている。同じ離宮内であるから、夜にもなれば気楽な普段着で私室を訪れ、こうして二人の「お勉強」を見ているのだ。そして頭脳面ではまったく役に立たないクリフは、少し引いた位置で三人の掛け合いを穏やかに眺めている。
「じゃ、今日のお勉強は終わり。お茶にしましょ」
「僕がお茶を淹れますね!」
ハインツが手際よく四人分の紅茶を淹れ、テーブルを囲んで雑談タイムと相成る。
姉弟はクリフとニコラの冒険譚に本当は興味津々ではあるが、そこに話を向けると失われた大切な人のことをクリフに思い出させることになる。かくして空気の読める姉弟は、もっぱらクリフやニコラには縁のなかった高位貴族による社交界のあれやこれやを、面白おかしく語るのだった。
「そういえば姉さん、リーゼロッテからのアプローチは相変わらず?」
「・・そうなのよね。むしろ最近は、よりガツガツ来るようになったかもね・・」
ハインツの振りに少し憂鬱な顔になるミーナ。
「リーゼロッテさんって?」
まったく貴族令嬢の名前なんか知らないクリフが尋ねる。
「ああ、コンスタンツ公爵のご令嬢だよ、先々代国王の曾孫にあたるんだ。僕・・王女ヴィルヘルミーナにとっては、一番の親友でもあるね。今年十六歳、とっても・・とっても可憐で、無邪気で、可愛いんだ。姉さんにぞっこんでね、何かイベントがあるごとに突撃しては、冷たくあしらわれているというわけなのさ」
「だって、変に気を持たせたらだめじゃないの! そんなことしようものなら、公爵様が喜んで、一気に婚約とかに持ちこまれちゃうし! ものすごく、ものすごく可愛いんだけど・・私じゃだめでしょ!」
「リーゼロッテはああ見えて一途だよ。最近は姉さん以外の男性とはダンスもしないしね」
いや、その「姉さん」がそもそも男性じゃないだろ、と突っ込みたいクリフである。
「ねえハインツ、そしたらそのリーゼロッテ様が、お父上・・公爵様に泣いてお願いしたら、公爵家から王室に対して、正式な婚約申し込みが来る可能性があるでしょ。そしたらどうするの?」
ニコラの半畳に、ハインツとミーナが青くなって固まる。
「いや、さすがに、それは・・」
「無いって言える? だって公爵様から見たら、娘は適齢期、だけど一人の男しか見ていない。その男は眉目秀麗、頭脳優秀かつ将来性あり、今のところ決まった女はいない、身分的にもばっちり釣り合う・・そして、ことが成れば娘が将来の王妃になれる可能性が極めて高い。しかもその父親は、押されればすぐなびく人・・さてそうなると、正式に申し込まない理由の方が、少ないわね?」
「う・・そうね」「確かに・・そうだね」
「これについては、私達じゃ助けられないわね。自分達で対策しないとね」
「そう言っても・・どうすれば・・」
困り果てた風情のハインツとミーナに、ニコラがいたずらっぽく微笑む。
「あら、王女ヴィルヘルミーナ様はリーゼロッテ嬢のご親友なんでしょ。気の済むまでお話を聞いてあげるなり、他の男に眼を向けさせてあげるなり、そこはヴィルヘルミーナ様・・ハインツの腕次第だと思うわよ?」
「ひええ・・っ」
ハインツ君にはずいぶんハードルの高い課題が与えられたのであった。
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