死にたい二人の秋の夜話

葵 悠静

 

 日が落ちて部活をしている生徒たちもとっくに帰ってしまったそんな夜の学校。


 わたしはふらつく足で、何かにすがりつくように屋上へと足を運んでいた。

 学校の屋上は寒いくらいの風が吹いていて、わたしの心を冷たくする。


 そんな屋上に誰もいるはずがないと思っていたけれど、だからこそ屋上に来たのに、そこには思わぬ先客がいた。


「本当に飛び降りるつもり?」


 屋上の柵を乗り越えた先に立つ彼女の姿を見て、わたしは同志を見つけた気持ちになって、うれしくなってつい話しかけてしまっていた。


「ど、どうして……」

「それはどうして人がいるのかっていう意味? それとも自殺しようとしていることがどうしてわかったのかって意味?」


 青ざめた顔をこちらに向けて、おびえた様子でこちらにそう尋ねてきた彼女に、ちょっと意地悪気味にそう返してしまったけど、きっとどちらの意味もこもっていたのだろう。


 わたしは当然のように屋上の柵を乗り越えて、彼女の隣に立つ。


 彼女は自分以外に人が来ていることに驚いたのか、特にわたしの動きを止めることなく、隣に立つわたしを受け入れてくれた。


「こんな時間に一人で、しかもこんなところに立っているなんて考えられることはそれくらいでしょ? それにここは鍵を持っている見回りの警備員か用務員しか入れない。生徒は入れないはずなのに、制服を着たあなたがここにいるのは不自然。でしょ?」


 驚いたままの彼女の様子を見てちょっと楽しくなってしまった私は、まるで自分の推理を披露する探偵になったような気分で、彼女が手に握りしめている鍵を指さしながら話す。


 その鍵は間違いなくこの屋上の扉を開ける鍵。


 彼女はきっと職員室に忍び込むか、他の鍵を取る口実を使って屋上の鍵を盗ってきたのだろう。

 こんな時間にここに来る人の常とう手段だ。


「……そうね。もういいかなって……私疲れちゃった。あなたもそうなの?」


 彼女は驚いた様子から一転、わたしの姿を見る前の暗い表情に戻るとわたしから視線を外して、再び地面へと目を向けていた。


「まあね。ここから飛び降りる前にさ、ここで出会ったついでに何があったのか話してみたら? すっきりしてより楽な気持ちで飛び降りれるかも」

「そんなこと……」


 彼女は一瞬わたしの否定を言葉しかけたが、どこか思うことがあったのか言葉半ばで口を閉じて、考えるそぶりを見せる。


「……私いじめられてて」


 そして少しの間の後、彼女はポツリポツリと自分のことを話し始めた。


「最初は無視していればいつか終わる。学校にいる間耐えれば、卒業すれば解放されると思って、我慢してた。でも、いつまでもそれは終わらなくて、彼女たちは飽きることなく私に嫌がらせをしてきて、私がけがをしてもお構いなしだった。周りの人は見てるだけで、私が抵抗すれば倍返しにされる」


 彼女の目から涙が零れ落ちる。

 よほどひどい目にあってきたのだろうか。

 よく見れば彼女の腕や足、そして顔にまで切り傷のような跡が見えていた。


「それでも我慢をしていた時に、この学校の都市伝説を知った。ここの屋上から飛び降りれば、来世で幸せな人生を送れるって。それを知った時、こんな今にすがりついて生きるより、さっさと来世の自分に期待した方がいいのかなって……」

「そうなんだ……」


 学校の都市伝説。それはどこの学校にも存在しているもので、でもこの学校の都市伝説はちょっと変わっている。


 そもそもそんな都市伝説が広がることがおかしい。

 学校で飛び降り自殺なんてそうそう起こるものじゃないし、代償が自分の命に対してその見返りが来世など、あまりにも曖昧すぎる内容だ。


 でもどこまでも追いつめられて我慢の限界にきてしまった人は、もしかしたらそんな確証のない都市伝説も、来世なんてあるかどうかもわからない幻を信じたくなってしまうのかもしれない。


「どうしてその都市伝説が広まったのか知ってる?」

「……知らない」


「昔この学校で飛び降り自殺をした子がいたの。もちろん体はぐちゃぐちゃで原型をとどめていなかったけど、顔だけはなぜかきれいなままだった。そしてその子は、周りが思わず見惚れちゃうくらいに満面の笑みを浮かべていた。こんなに笑顔なら次はいい人生が送られるだろうって、その話はまるで美談のように語られた。自殺してるんだからいい人生も何もないのにね。おかしいよね」


 そんな過去の話がいつの間にか『屋上から飛び降りると幸せになれる』という噂になり、今では都市伝説として一部の生徒に広まっている。


「あなたもその都市伝説を信じてここに……?」


 彼女は都市伝説のことを詳しく知るわたしに興味を持ってくれたのか、そう尋ねてくる。

 彼女のことも教えてもらったのだ。わたしのことも話さなければフェアではない。


 そう思ったわたしは自然と口を開いていた。


「……わたしは大事で大切で大好きな子が死んじゃってね。わたしはきっとそれを防げたはずなのに、それを止めることができなかった。……実はさ、この都市伝説には続きがあってね。知ってる?」

「幸せになって終わりじゃないの?」


「まあね。その自殺してしまった子には親友がいて、その親友は彼女が死んでしまうまで追い詰められていることに気付けなかった自分を憎んで悔やんで、どうしようもなかったらしい。そして彼女の後を追うようにこの屋上から飛び降りて自殺。それでも彼女を助けられなかった未練を残した親友の怨念がここに残り続けていて、ここで自殺しようとした人は絶対に死ねない呪いにかかるっていう噂」


「絶対に死ねない呪い?」

「あくまで噂だけどね。ここから飛び降りても、どれだけ自分を傷つけようとしても必ず意識は残る。植物状態になろうが下半身不随、全身が動かせなくなろうが絶対に死ぬことはできないらしいよ」


 死ねば幸せになれるという都市伝説と、絶対に死なせない呪いがかかる都市伝説。

 相反する二つの都市伝説が同じ場所にあるというのはなんと皮肉なことだろうか。


「そんなの知らない……」


 幾分か落ち着きを取り戻していたようにも見えた彼女の表情が再び青ざめて、体を震わせはじめる。


 死ぬことが唯一の幸せだと思って、そう信じてここに立ったのに、死ねないかもしれないという話を聞かされて、怖くなったのだろうか。


「でも、それなら、どうしてあなたはそれを知っててここに……?」


 確かに死ぬことが目的でここにきているのだとしたら、死ねないという都市伝説を知っていてこの屋上に立っていることは不自然かもしれない。


「うーん、それはね」


「君、そんなところでなにしている!?」


「あ、え!? えっと……」


 暗闇の中で話していた彼女の顔に突然眩しい光が当てられる。


 彼女が目を向けた先には巡回に来ていたのであろう警備員がライトをこちらに向けて、立っていた。


「あ、あの、私この人と誰にも聞かれたくない、大事な話をしていて……」


 彼女が指をさしている方向を警備員は手に持ったライトを左右させて何度か照らすが、その表情は訝しげなものへと変わる。


「この人ってそこには君しかいないじゃないか。いいからそんな危ない所にいないで戻ってきなさい!」


 警備員は彼女を刺激しないようにすり足でこちらに近づいてきている。

 しかし彼女はそんなことを気にしている場合ではなかった。


「え、でも……」


 彼女が困惑した表情で私の方を向く。


「大切な人がいなくなるっていうのは、自分が死ぬより辛い事なんだよ?」



 だから、あなたは死なせてあげない。



 わたしはそんな意志を込めて彼女に笑顔を向けると、そのまま宙へと自分の身を放り投げた。


 訪れた静寂は一瞬。すぐに聞きなれた全身がひしゃげる音が夜の闇の中で響き、激痛を超えた痛みがわたしを襲う。


 それでも彼女の顔はよく見える。


 目を見開いてこちらを見つめる彼女の表情は、驚いているような恐怖に染まっているような、困惑しているようなそんな顔だった。


 しかし地面に落ちたぐしゃぐしゃの身体を見て恐怖が勝ったのか、直後辺り一帯に彼女の悲鳴が響きわたる。


 そして警備員に引っ張られる形で、頭を抱える彼女の姿は柵の向こう側へと消えていった。



 最初わたしはまた間に合わないのかと思い、屋上に向かう足取りは重かった。

 でも彼女はまだそこに立っていて、そのことがうれしくてつい話しかけてしまった。

 いろいろと話しすぎてしまったのは、いつものわたしの悪い癖。


 自分がいくら死のうと考えていても、いざ他人の死に直面した時、人は今まで以上に『死』という存在に恐怖する。

 彼女はきっともう屋上に立つことはないだろう。


 わたしが止められなかったのは、大好きで大切で一番大事なあの子の死だけ。


 でも今日は間に合った。あの子が飛び降りる前にそれを止めることができた。


 自分の身体がすっと軽くなるのを感じる。


 「今日も、わたしの勝ち」


 誰に宣言するでもなくわたしはそう言葉にすると、あの子が許してくれているようなそんな気がして、思わず笑みがこぼれた。




 屋上にいた女の子とそれを追いかけるように後をついてきた警備員が、女性が飛び降りた場所にたどり着いたときには、そこには全身ぐしゃぐしゃの死体どころか一滴の血も地面には落ちていなかった。


 夜の闇だけが静かに、どこまでも広がっていた。

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