最終話 背びれを追いかけて
楽屋のモニターからは割れんばかりの声援が響いている。映し出しているのは野外会場。オレ達のソロライブ目当てにやって来た客は数千人規模だ。
とてもじゃないが、18を過ぎたくらいの自分には手に負えない数だと思う。
「めっちゃ居るわねぇ」
サヤカが今更な言葉を漏らす。
「そうだねぇ、逃げちゃおっか?」
おどけて言うのはニイハルだ。手元でドラムスティックを遊ばせながら。
「何よ2人とも。今年1番の大舞台なんだから、絶対成功させようね!」
そしてサメ子。どうしてお前がメンバー気取りかと言うタイミングはとっくに過ぎている。歌って踊れるサメ少女として知名度を得たコイツは、今やバンドの顔だと言えた。CDのジャケ写にポスター、地方のテレビ番組なんかで露出した結果、彼女なしには立ち行かない程になっている。
「みんな、お疲れ様ー。今日は特にお客さんがすごいねぇー」
儀式的にノックを済ませ、ズカズカと上がりこんできたのは自在部の連中だ。いや、自在部のOB、OGと言うべきか。
「大葉君。今度のポスターだけど、こんな感じでどうかなー?」
「おっ、かっけぇ。相変わらずセンス良いな」
ゲンゾーが広げたのは来年に控える全国ツアー販促用のものだった。分かってはいたけど、一枚絵を描かせたら凄い才能を見せてくれる。
「んで、早河と不忍はなんの用だ?」
「私はこれ。キャッチコピーを書いてきた、説明終了」
リサがタブレットをこちらに向け、表組みされた画面を見せつけてきた。
「その話か。いつもみたいにテキストデータで送ってくれよ」
「報酬が一刻も早く欲しくて。蛇足の説明」
「あぁ、そうだったね。じゃあお礼を渡すね」
サメ子が楽屋の中を漁り、戻った時には一冊の古びた本を手にしていた。
「はい、約束の。世界で数えるほどしかない絶版の絶品だよ」
「あぁ……素晴らしい。生涯の宝にする」
リサはそう言うと、カビだらけの表紙に頬ずりした。古めかしさもそうだが、痛み具合がどこか禍々しい。何らかの呪いにでもかかりそうな気がする。
「んで不忍。お前はどうしたんだ、スタンバイしてるハズじゃ?」
「客のボルテージに押されてしまって……予定よりちと早いが、パフォーマンスを始めたいでござる」
「許可なら白ヒゲから取ってこいよ」
「頭龍紋殿(とうりゅうもんどの)なら、大葉殿に聞けと」
「あの野郎……面倒になったな」
オレは口ひげがグニャリと歪む顔を思い浮かべた。アイツは面白そうな方を選ぶ癖があり、たびたび振り回されてきたもんだ。
「まぁ良いや。10分くらい早いが始めちまってくれ」
「かたじけない!」
うっかりゴーサインを出してしまった事でメンバー達は慌ててしまった。特にセッティングが大変なニイハルは、サヤカを巻き込みつつステージの方へと駆けていく。
そしてゲンゾー達も用が終わったと言い立ち去ったので、。楽屋にはオレとサメ子だけが残されてしまった。
「なんだか、あっと言う間だったね」
サメ子が感慨深そうに言うのを、相づちだけ打って返した。
「コータロくんのおかげかな。こうして、音楽を通してサメを知ってもらえたんだから。まさかこんなに早くブームが来るとは考えもしなかったよ」
今やサメ子はお茶の間の人気者になりつつある。子供向けの人形も見かけるようになったし、サメの知名度もだいぶ高まってるかもしれない。
「オレは別に大したことしてない」
素直な気持ちだ。これまで好き勝手にギターを弾いてきただけなんだから。
「そんな事ないよ。コータロくんの優しさが、愛があったから、私はここまで来れたの」
そこでサメ子は自分の腹を愛おしそうに撫でた。
「でもね、これからはその温もりを、この子にも向けてあげて欲しいな。私達の未来を紡いでいく私達の子に」
とうとう聞き流せなくなったオレは、ありきたりな指摘を言い放った。
「いや、どうして一線越えたみたいな態度とるんだよ! まだ手を繋いだかどうかの関係なのに!」
「外堀を埋めてった方があとあと楽かなって。それに、私がこんな態度で居たほうがハードル下がるでしょ?」
「ハードルって何のだよ」
「夜のハードル」
「うるせぇよ、全然うまくねぇし」
その時、モニターの方から歓声があがった。ニーナを始めとした忍者隊のパフォーマンスが始まったのだ。この爆炎と火花の狭間で本格的な忍者ショウは、特に外国人客からの評判が高く、動画の再生数なんかウナギ昇りだ。
サメ子とのしょうもない言い争いは中断して成り行きを見守っていると、楽屋のドアがノックされた。今度は顔なじみではない。それは会場スタッフだけが持つパスカードからも明らかだ。
「すみません。そろそろ出番です!」
「わかりました、スグ行きます!」
促されてサメ子はカスタネットを、オレは愛用のギターを片手に楽屋を後にした。長い通路。通りすがりのスタッフ達が会釈をし、オレ達を見送ってくれる。
「さぁコータロくん。今日も楽しもうね!」
幕の裏手でサメ子が囁いた。そして、被り物を上げて口元を晒すと、オレの頬に口づけをした。プニリとした柔らかい感触は、電流のように全身を駆け抜けていく。
「おい、何の真似だ!」
「今はこれで我慢しようね。本番は今日のライブを成功させたらって事で」
「待てよサメ子!」
被り物を元に戻したサメ子は、そのまま歓声の響く方へと身を踊らせた。すると客の声は一層激しくなり、ステージを揺るがすほどになる。
「ほんとマイペースな奴だよ、まったく」
オレは頬の感触を拭いもせず、同じ方へ駆け出した。ステージ上で待つ、サメの背びれを目指しながら。
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