第14話 アナタはいつから
土曜朝10時に駅前で。それがサメ子との約束だった。起き抜けからどうにも落ち着かなかったオレは、15分も早く到着するという、何とも平凡な醜態を晒している。
ロータリーは静かなもんだった。歩く人もまばらで、たまに路線バスが走るくらい。実に平穏な光景の中、景観に気遣いでもしたかのような車が滑らかに停車した。
後部座席が開く。車内からは白とピンクの映えるスカートと、細長い足がスッと出た。小さなハンドバックと華奢な肩が見えたかと思うと、サメ子の耳慣れた声も聞こえてくる。
「どうもお世話様でした。ここで大丈夫です」
肝心の頭がまだ見えていない。今日は素顔なのか、どうなんだ。あれほどの美女を連れ歩くなんてオレにはハードルが高すぎるし、直視できる自信すらない。
祈るような気持ちで見守っていると、車内からはブリンとした長いものが飛び出した。ありゃサメだ、間違いない。その瞬間にプレッシャーもどこかへと流されていった。
「おはよー、コータロくん。早いんだね!」
「うん、まぁな」
「ねぇねぇ。どうかな、今日のスタイル?」
サメ子はオレの前で1回転すると、最後に被り物をズイと押し出してきた。
「うん。まぁ、似合ってんじゃない」
「本当!? この子はコバンザメだよ!」
「ふーんそっかぁ」
「だからね。今日はコータロくんに、まとわりついちゃうよ」
サメ子が腰に両手を当て、おどけた言い方をした。その仕草を見て思う。コイツも割とアホなんだなと。
そう思えば気分は軽くなり、相手が超絶美人でも引け目を感じなくなった。次の素顔はもっと自然に付き合えそうな気もする。
「そんでサメ子さん。どこに行きたいんだ」
「埋め合わせだからね、合わせるよ」
「そう言われてもなぁ……」
お金持ちのご令嬢が一体どこで興じ遊ばれるのか、オレは全くもって知らない。財布の中には母さんから特別支給された3千円。それを思い返すと、苦言までセットになって浮かんできた。清い交際を、年相応の付き合いをしろと、都合8回も重ねられたもんだ。
「とりあえずカラオケでも行くか?」
「良いねぇ、さんせーい!」
ちょい寂れた駅前とはいえ、それなりに店は揃っている。この見慣れた看板のカラオケ屋も、ハズレはないと評判のチェーン店だ。入り口の自動ドアを開け、中に入ろうとしたその時。脇から突然人影がガサガサッと店内へと突入した。
悪質な横入りとも思ったが、全身黒ずくめの男たちは客じゃなさそうだ。部屋の四隅や通路を陣取っては、仁王立ちになってるんだから。これから大いに歌おうなんて人とは思えない。
「コータロくん、気にしないで。彼らはSPなの」
「えすぴぃ?」
「私の護衛ね。別に邪魔なんかしないから安心してね」
「お、おう」
ドン引きなのはオレだけじゃない。店員さんたちも似たようなもんだ。特に受付の女の子なんか怯えきってしまっていて、とても可哀相だった。ウチのサメどもがスンマセン。
丁重に案内されたのは4人部屋だ。機種もたぶん最新で、曲数やサウンドに期待が持てた。室内も広くて清潔だし、そこそこ楽しめそうなんだが、水を差すのは窓の向こうだ。護衛が入り口を固める姿を横目に、果たしてどこまで歌に集中できるだろうか。
「コータロくん、何歌うの?」
「まだ決めてない。先に良いよ」
「ほんと? ありがとう」
サメ子は端末を操作して、すぐに送信した。モニターに映し出されたのは意外にも有名曲で、ドラマの主題歌にもなったやつだ。確か普遍の愛をつづった歌詞だったと思う。
「えへへ。ちょっと緊張しちゃう」
言われてみれば歌声なんて聞くのは初めてだ。サメ子は声質が良い方だし、普段の鼻歌も割と上手い。だから実はコッソリ期待を寄せていた。
ゆったりとしたテンポの前奏も、間もなく終わろうとしていた。サメ子は静かに被り物をたくし上げ、咳払いした後でマイクを口許に近づけた。さぁ、お手並み拝見といくか。
「キュッキュウゥ。キュギュウギュウゥーー」
「オイ、歌詞どこにやった!?」
こんなのスルーできる訳ないだろ。
「えっ。サメの気持ちになりきったんだけど……」
「じゃあ何だ。それは鳴き声のつもりか?」
「うーん。厳密に言うと違くって。体内に入り込んだ空気を吐き出した時の音かな。たとえば砂浜に打ち上げられた時に……」
「あぁ、もういいや。好きにやってくれ」
オレが続きを促すと、謎の手法は続けられた。キュッキュキュッキュと延々同じ歌詞で。そのくせ無駄に美声だから何となくムカつく。
「いやぁーー、カラオケ楽しかったね」
「そうだな……」
延長は断って早々に店を出た。あんな歌、1時間でも限界だ。
「ねぇ、次はどこ行こっか」
「とりあえず駅前を散歩しようぜ」
「はぁーい、付いていきまーす」
そうして、大した目的も無く散策した。CDショップに寄っては中古品を漁り、小物屋に入ればサメ子がイヤリングを試着しようとしたり、試着したかったけど被り物が邪魔で断念したり。とにかく特筆しようのない、細々とした出来事がいくつも過ぎ去っていった。
「そろそろ喫茶店でも入らないか?」
割と足が疲れた。それはサメ子も同じらしく、カフェオレ片手にテラス席で休むことにした。
「何だか新鮮だね。こうして休みの日に会うなんて」
サメ子は口許を綻ばせると、ストローから吸い上げた。確かに妙な感覚はある。そして、普段よりもどこか砕けた空気感も漂ってる気がした。
もしかして、今はチャンスなんじゃないか。長らく抱いていた疑問を解決する、絶好の機会なんじゃないか。そう思うと尋ねずにはいられなかった。
「なぁ、ひとつ聞いていいか?」
「構わないけど。どうしたの、急に改まって」
「お前さ、どうしてサメなんか被ってんだ?」
言っちまった。とうとう言っちまった。押しちゃいけないボタンを押した気分になる。
「うーん。教えてもいいけど、面白い話じゃないよ?」
意外にもサメ子、あっけらかんとしていた。
「頼むよ。気になってんだ」
「……じゃあ、これは私が小学生だった頃の話なんだけど」
サメ子が教えてくれたのは幼少期の事。両親はやたらと仕事が忙しく、頻繁に家を空けたらしい。その時は既に家政婦を大勢雇っていたので、孤独ではないものの、寂しくはあったと言う。伏し目がちな子だったとも。
そんな中、丘上家に激震が走る。サメ子が小学校から帰る途中、何者かに誘拐されかけたのだ。そこは明堂さんの機転で切り抜ける事に成功したが、家族の、特に父親の動揺は激しかったそうだ。
「私にね、外では顔を隠しなさいって言ったの。誘拐対策だって」
「素顔を隠しても対策になるのか? 逆に目立つんじゃないか」
「似た背丈の子に同じ格好をさせてた。しかも特殊な訓練を受けた子達にね」
「なるほど。それならどいつが本物か分からないと」
「子供とはいえ、あの子達も強くってね。何人もの誘拐犯をメッコメコに倒しちゃったわ」
内容が既に異次元だったが、話は続いた。
仮面を被ることで安全を得たサメ子だが、その代償は大きかった。今度は学校の友達が気味悪がって寄り付かず、寂しさが一層強まったのだ。両親には滅多に会えず、友達も減る一方。幼いサメ子はどんどん追い詰められていく。
「そんな時にね、お父様がヌイグルミを買ってきてくれたの。大きなジンベイザメよ」
「割と唐突な感じが父親っぽいな」
「すごく気に入ったわ。柔らかくて温かで、私よりも大きくて。抱きしめると、すごく心が落ち着いたのを覚えてる」
「まぁ、そこは分からんでもない」
「でもね、私は成長期だから育っちゃうでしょ。しかも結構背が伸びたから、ヌイグルミを追い越しちゃったの。そしたら急に寂しくて、やるせなくなったんだ」
「それも分かる気はする」
それは大人になった証なんだが、自分と愛用品との関係が変わった事実でもある。サメ子の場合は心の拠り所にしていた分、衝撃が大きかったんだろう。
「どんなに愛してもヌイグルミだもん。私とは違う。分かってはいても辛くてね。生身のサメとの付き合いも考えたけど、結局は陸と海の生き物だから、傍に寄り添うことは難しいの」
「まぁそうだろうよ」
「それでもね、どうにかして一緒にいられたらなって思ってた。そんなある日、ふと閃いたの」
サメ子が視線を外して遠くを見た。その向こうには動かし難い過去があるんだろう。
「じゃあ被っちゃえば良いじゃんって」
「何でだよ!」
なぜだ、どうしてそうなる。確かに仮面代わりにはなるだろうが、そこをチョイスするか普通。
「飛躍しすぎじゃねぇか、他にもやりようはあっただろ!」
「他ってどんなの?」
「ええと、たとえばサメっぽいリュックとか肩掛けカバンとか! それが嫌ならジャケットにしちまえ!」
「ジャケットって、たとえば?」
「なんつうか、前開きタイプのチャックを閉めるとこう、口が閉まってくみたいな。そしたら『あぁ食べられちゃうー』なんて遊びも出来るだろ!」
自然と声は大きくなっていた。するとサメ子は、引き寄せられでもしたように、顔を近づけた。視界一面が白く染まる。この光景も何度目だろう。
「な、なんだよ……」
「コータロくん。やっぱりアナタって面白いわね」
「はぁ?」
「さぁ、そろそろ行きましょ。まだ遊び足りないもん!」
「待てよ、まだ飲み終わってねぇんだよ!」
それからのサメ子は一段と上機嫌になっていた。分からん、女心ってやつは。それがサメを被ってんだから尚更だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます