第1話 異形なる何か
通学はチャリ。出発の準備を終えたオレは手に馴染むハンドルを握りしめ、早朝の街中を走り始めた。まだまだ汗ばむ陽気だが、下り坂の風が心地よく身体を冷やしてくれる。
「この時間でも結構人が居るんだな」
住宅街で追い抜いたのは、その大半がスーツ姿の人たちだ。皆どこか疲れた顔をしている。うちの親父ほど酷くはなさそうだが、それでも似たり寄ったりだろう。疲れ具合も、大変な日々も。
「親父とかにも、高校時代とかあったんだよな……」
そこで浮かべたのは父親の若かりし頃じゃない。自分を待ち受ける運命についてだ。オレも数年後には社会人の仲間入りを果たすだろう。そして朝から晩まで働かされるんだ、しょっちゅう頭を下げたりと、大変な想いをしながら。
やっぱり世の中は、人生っのはロクでもない。苦痛と退屈で満ち溢れている。その想いは、お気楽な学生のオレが微風を頬に浴びる今も、心を暗雲で包み込んだ。
「ピヨッピヨ。ピヨッピヨ」
横断歩道が右方向にゴーサインを出した。あいにくだがルートは真正面。心理的に急かす小鳥は無視して、バッグからペットボトルを取り出し、呷った。
そうして首を傾けた瞬間のことだ。不確かな視界には、ほんの一瞬だけ信じがたいものが写り込んだ。
「さ、魚……!?」
慌てて頭を下げたせいで麦茶が手元を濡らしてしまうが、そんな事はどうでもいい。魚だ。海なし県の、内陸にある街のど真ん中で、尾ビレらしきものが見えたんだ。
だが改めて眼をこらしてみても、再び見つける事はできなかった。往来を歩く人、コンビニの窓、どれだけ探しても無いものは無い。
「見間違い……なのか?」
とりあえずチャリを走らせる。時間の余裕はあるのに、ついつい立ち漕ぎしてしまうのは何でだろう。自分の事ながら説明がつかなかった。そうこうするうちに到着したのは、私立『奔放念(ほんぽーねん)高等学校』だ。
建物自体は新しいが、豆腐を連ねたような没個性のデザインから感じるものなんか無い。それよりも、胸の中にわだかまる異物の方がよほど問題だった。
「陸の上を自走する魚……なんて聞いたことないしな」
チャリを駐輪場に止め、昇降口へと向かった。足元はウッドデッキ。カタンコトンと鳴る音だけはちょっと心地良い。それから上履きに履き替えてやって来たのが職員室だ。
「おはようございます……」
我ながら情けない声で入室すると、奥の方で大きく手を振る先生の姿が見えた。
「大葉(おおば)くーん、こっちこっち!」
オレの担任は若い女の人らしい。それは別に構わないんだが、こういうシーンでは困らされた。まるで休日の待ち合わせみたいなテンションで言われても、どう反応すれば良いのか。
「おはよう。ちゃんと遅れなかったのね、偉いわよ」
「まぁ、ナビがありますんで」
「さてと。ホームルームまで少し時間があるけど、どうしようか。私が学校案内しても良いし、職員室で待っててくれても良いし」
「……じゃあ、端っこに座ってても良いですか」
「もちろん。空いてる椅子を貸してあげるわね」
持ってきてくれたのは背もたれの無い椅子。それに腰を据えるなり、スマホを取り出して「魚 歩き回る」と検索してみた。
だが、有力情報には程遠いものばかりが見つかる、妙におどろおどろしい都市伝説だったり、小説の広告ページだったり。どれもこれも的を射ておらず、ピンポイントな情報は一向に見つからなかった。
「大葉くん。そろそろ教室に行こっか」
残念、タイムアップ。あとは子カルガモのように、担任の後を付いて行くばかりだ。
「はいはい、席についてー。今日は転校生を紹介するからねー」
教室の中は昼休みのように騒がしく、全員が着席するまで時間がかかった。正直言って早くして欲しい。この教壇で紹介されるシーンだけは何度やっても慣れない。だから、だいたい決まって床の方を眺めるようと決めている。
辺りが落ち着きを見せた頃、担任がオレに挨拶を促した。とりあえず普通に、奇をてらうことなく頭を下げた。
「大葉航太郎(おおばこうたろう)です。よろしくお願いします……!?」
頭を持ち上げて教室を見たその時だ。この両目に飛び込んできたのは、異様、異形としか言いようの無いものだった。
サメだ。大きなサメが女子生徒を頭から食らいついた状態で、他の生徒達と肩を並べていたのだ。
なぜ誰も騒がないんだ。そして、上半身を襲われているはずの少女は、どうして平然としていられるんだ。
「君の席はね、えーっと。あそこだね」
指定されたのは、後列窓際の特等席だ。だが全く喜べなかったのは、隣にサメ少女が待ち受けているからだった。
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