2
「拙者が相手になろう」
その者こそ
女は振り向き驚いた顔を見せた。
「あなたは……」
「我が名は諏訪蒼一郎! この儀を成功のうちに納めるのが我が務め! 引くつもりが無いのであれば殺す気で打ってくるが良い!」
名乗りを上げ、幾多の死線を共に乗り越えてきた愛刀を抜き放ち、中段に構える。
言葉を語らず睨み合いながら覚悟を迫るように一歩、また一歩とにじり寄る。
大和撫子と形容するに相応しい可憐な容貌。
それ故に一際異彩を放つ鋭き眼光。
年端もいかぬ
――この女、強い。
蒼一郎の勘がそう告げていた。
彼方まであと2mといった所に足を踏み入れた時、女子の体がピクリと動いた。
――間合いに入った。
そう感ずるや否や芳乃は体をすんっと低く落としたかと思うと下から伸びるように刃を走らせた。
首を狙ったところを一歩のすり足で避ける蒼一郎。
負けじと刀を振り下ろした。
完全に芳乃の軸を捉えていた軌道は二つの小太刀に受け流され左へと逸れた。
だがそれは女の構えからわかっていた事。
あらかじめ逸らされることを計算に入れた上でその力に逆らわず、あたかも型の一部のようにして素早く打ち返す。
これぞ諏訪流極意が一つ『水龍流し』。
しかし、その返し技は空振りに終わった。
芳乃は危険を察知したのか咄嗟に飛びのいて
――あのまま打ち込むのが自然であるのに、あえて下がるとは勘の鋭き事よ。
お互いに睨み合い、再び間合いの探り合いが始まった。
「なるほど……それが噂に聞く血を寄せ付けぬ刃――
撥血刀――
それは刀の刀身に血を弾く特殊な染料を施したもの。
切れ味を落とさぬよう加工するには技術が必要でこの世に二本と無い刀。
その染料の特性ゆえ、光を強く反射し一際白く輝く。
「拙者の事を調べたのだな。ならばここで引くのが賢明と思えぬか? 幸いまだ死人は出ておらぬ。武器を捨て投降してはくれぬか?」
「あなたはお優しい方。ですが、彼らは私を生かして返すつもりはないでしょう」
言われ、意識を外に放ってみると、「殺せ」、「切り捨てろ」などと世継ぎ人共が口々にヤジを飛ばしている。その異様さは武家の者共がこれはどうしたものかとたじろぐほどに。
「諏訪の者よ! 何をしておる⁉ さっさとそやつを切り捨てぬかっ!」
そう激昂するは長。
90歳を超える老体から発せられたとは到底思えぬ怒号。
――これは怒り? 憎しみ? いや、焦りか……?
そこで芳乃が言っていた事を今一度思い出す。
“我こそが真の歴史を紡ぐ者”
“心写しを行えるは我をおいて他に無し”
――もし、それが本当であれば俺はとんでもない大罪を犯してしまう事になる。しかしこの儀は俺が生まれた時からあった。父の時代も、祖父の時代も帝より寵愛をうけた世継ぎ人達が代々執り行ってきた。それが誤っている事などあり得るだろうか?
ただ、引っかかる事もあった。それは――
そう深く思いを巡らせようとした時、鋭く煌めく刃が閃き咄嗟に身を引いた。
着物の衿が切れた。
武具を身につけていたらよけきれず喉を掻っ切られていたかもしれない。
気を取られていたとはいえ視界には捉えていたはず。
しかしその初動のほとんどを察知できなかった。
――まさに光の如き速さ。まるで天照の加護を受けているかのような。
「あなたには何の恨みもありません。しかれど仇討ちを邪魔すると言うのであればその命頂戴しなければなりませぬ」
「互いに引けぬという事か。ならば……」
下段に構えなおし、振りを最小に抑えた型で迎え打つ。
互いの太刀筋が残光を引き、刃を交えるたびに火花が散った。
今、二人の間合いに入るものは幾人と言えど瞬く間に切り捨てられよう。
その場にいる誰もがその様子を固唾を呑んで見守る他なかった。ある者たちを除いて――
それは世継ぎ人たち。
彼らは加勢するでもなく、地べたを這いずるようにして戦闘の最中に飛び散った写し紙を一心不乱に広い漁っていたのだ。
しかも腰が抜けてその場に座り込んだ巫女を差し置いてだ。
――これではまるで……。
その一瞬の迷いを突くようにして芳乃は刃を世継ぎ人の一人に向けた。
「危ない!」
蒼一郎は咄嗟に脇差しを引き抜き、投げつけた。
その飛刃は芳乃にあたったかに見えたが、惜しくも躱され白紙の写し紙を刺して地面に突き立った。
流石にその一幕で命惜しいと感じたか、世継ぎ人共は蜘蛛の子を散らすように失せた。
「私の邪魔をするな!」
獣のように
――未だ力の底が知れぬ。これより手を抜けば確実に死人が出る。
蒼一郎は腹を据え、上段に構えた。
「これ以上お主の好きにはさせぬ!」
「ならば止めてみよ!」
叫んで互いに同時に踏み出でた。
蒼一郎が振り出したのは何のひねりもない上から下へと振りぬく
されど自重を乗せたその一撃は基本中の基本であるが故に練度は高く当たれば必死の一撃であった。
重いからこそ簡単には受け流せない。しかし、芳乃は――
「受け止めて見せただと⁉」
鎧をも砕く一撃を二本の小太刀とか弱き足腰だけで。
――一体どこにかような力があるというのか⁉
押し切ろうとしても寸分も刃が進まず、交えたまま硬直状態となった。
「あなたの剣には迷いがございます」
「迷いだと?」
「貴方は優しき御方。きっとあの時の事を気にかけているのでしょう? 蒼一郎様」
「芳乃、お主……」
――俺は否定する事ができなかった。彼女と初めて会ったあの夜の事を。
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