第55話 最終章 放蕩息子の帰還 part1

 ジョシュアの呪文を浴びた組み木細工の箱が小さくカチカチと震えだし、やがて目まぐるしく動き出したかと思うと箱の各面が一斉に開き輝き出した。

 やがてあふれ出した光は、室内を柔らかな明るさで満たしていった。


 気がつけば、懸命に詠唱を続けるジョシュアとそれを見守るアンとノーラの周りに、たくさんの白い人影のようなものが現れ出した。

 

「これは、何?何が起こっているの⁈」

 予想もしなかった展開に、驚きを隠せないアンは傍のノーラに話しかけた。

「……静かに。大丈夫よ」

 困惑するアンを制するように、小声で応えるノーラだが、その顔には子供の頃に失くした古い宝物を見つけたような、歓喜と郷愁が入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。


「あたしたちは今、時の流れの中で埋もれ、忘れ去られた記憶を目撃しているのよ」

「……記憶⁈」

「そう。ジョシュアがイギリスから持ってきた組み木細工の箱に込められた、この白猫亭をめぐる人々の記憶」


 人影は時間とともにゆっくりとそのシルエットを鮮明にさせていき、よく見るとそれはところどころ透けてはいるものの、笑顔を浮かべ着飾った老若男女たちで、この屋敷の主人である吉岡アンを取り囲んでいる。


「懐かしい」

 ノーラがポツリとつぶやいた。

「今から約百年前、この屋敷の完成パーティーね」

 よく見ると、吉岡アンも最初の姿より若返って見える。

「吉岡がイギリスに留学中に知り合って二人は恋に落ちたけど、ウォルズリー家から交際を猛反対され、勘当同然に駆け落ちしたのは知ってるわよね」


 アンは小さくうなずいた。


「あたしもボディガードとして一緒に、長い船旅の末に日本へと帰り着いたんだけど」

 ノーラが遠い目をして語り続ける。

「こっちはこっちで大変な騒動になっていたのよ。地元の名士である吉岡家の息子が、留学先から事もあろうに外国人の奥さんを連れて帰ってきたーってね。

 吉岡に連れられて初めてこの尾道を訪れた時には、アンをひと目見ようと黒山の人だかりで、そりゃあもう大変だったんだから!万が一トラブルにでもなったらどうしようかと、あたしは身構えていたんだけど」

「ど、どうなったの?」

「あのアンは頭のいい子だから、その場に集まった人たちに向けて微笑みながら、長い船旅の間に覚えた日本語で見事な挨拶をして見せたのよ!」

「ひいおばあちゃん、カッコいい!」


 当時の騒動を思い出したのか、ノーラが小さな笑い声をあげた。


「そしたらあんた、みんなメロメロ!その日から全員あの子のファンになっちゃったってワケよ。だから、この屋敷を建てるときも街をあげて協力してくれて、お披露目パーティーもこの通り大盛況だったのよ!」


「まあ……第一次世界大戦の後で、日本とイギリスは友好関係だったからというのも大きいんだけどね」

 その先に待ち受ける厳しい冬の時代を知っているだけに、ノーラの声が少し沈んだその時だった。


 吉岡アンを始め、たくさんの人たちーの記憶ーが、いっせいに階段の方に注目した。


「みんな、一体どうしたの?」

「まあ、黙って見ていなさい」

 

 二階から現れたのは、おそらくは180センチ近くある吉岡アンよりさらに背が高く、端正な顔立ちに優しい笑顔を浮かべた日本人男性で、その腕にピンクの洋服を着た赤ん坊を抱いている。


「あれが、アンの夫。あんたやジョシュアの曾おじいちゃんにあたる吉岡聖隆よ」

「えー!やだ、ちょっとウソ!曾おじいちゃんてばすっごく背が高いし、超イケメンじゃん!」

 アンはノーラを肘でズンズンと突っついた。

「こらこら痛いって!ふふ、そうね。あたしも日本人を見たのは吉岡が初めてだったから、アレが普通だと思っていて日本に来て見たらみんな小っさいからビックリしたわ」

「ということは、あの抱かれている赤ん坊が……⁉︎」

「あんたのおばあちゃん、吉岡・ジョディ=華子よ」

「そうか!でも……ここに、太郎おじちゃんはいないの……?」

「アン、あれをご覧なさい」


 ノーラが指差したのは、玄関からつながる扉だった。気がつけばみんなが笑顔を浮かべてそちらの方を見つめている。

「いよいよだ」

 呪文の詠唱を終え、ひたいに汗を浮かべて少し疲れた表情のジョシュアが、アンとノーラの間に割り込むように入ってきた。

「ええ。いよいよ、その時が来たのよ」

 ノーラの声が感極まったように、上ずっているのがわかる。

「新約聖書風に表現すれば、家を出て、還ることを願い続けた息子が、長い歳月を超えて帰還するのよ」


 綺麗に磨き上げられた鈍い金色に輝く真鍮製のドアノブがまわり、ドアがゆっくりと開いた。

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