第23話 ジョシュアとアーサー part1
「……もう降り出してきたのか」
白猫亭の一階、かつては宿泊客で賑わったロビーに置かれた総革張りのヴィンテージのチェスターフィールドソファーに腰掛けたジョシュアは、窓を叩く雨音に気づいた。
窓の外に目をやると、薄暗くなってきた眼下に広がる尾道の街並みにポツリ、ポツリとあかりが灯りはじめている。
「何年たっても、やっぱり雨は苦手だな……」
ジョシュアは十四年前の出来事を思い出していた。
ジョシュアの父リチャードは、ウォルズリー家の当主アーサーのひとり息子として生まれた。
ウォルズリー家はおよそ百億ポンド(一兆円)以上とも称される莫大な資産と、長年にわたる王室や教会との深いつながりを持ち、政府に対しても多大な影響力を誇る英国を代表する名門貴族である。
ロンドン郊外に所有する広大な敷地にはヒースの咲く丘陵や小川が流れ、美しい庭園とそびえ立つ古城は、観光名所としても有名であった。
だがリチャードは伝統的で恵まれた貴族の生活を否定し、まったく違う生き方を選んだ。
自分自身が幼くして家督を継いで、その厳しさと孤独を知る父・アーサーの理解もあり、アメリカに留学しハーバード大学を卒業すると、若くしてIT企業を起業して大成功を収めたのだ。
やがて大学時代の同級生と結婚してからもイギリスには戻らず、アメリカに住み優秀な実業家として、毎日のように世界中を駆け回る多忙な日々を送っていた。
ジョシュアが生まれてからもそんな生活は続き、親子水入らずの日々を過ごすことは、ほとんどなかったが、ジョシュアは父の不在を寂しく感じながらも、優しい母と平和な日々を過ごしていた。
そんなある日のことだった。
数年に一度のウォルズリー家の式典に出席するため、ジョシュア一家が揃ってイギリスへ帰国した時に事件は起こった。
高速道路で空港から城へ向かう途中、渋滞していた車の列に大型トレーラーが突っ込むという、死傷者数十名に及ぶイギリス交通史上でも記録的な大事故に巻き込まれたのだ。
衝突の寸前に身を呈して護った母親のおかげで奇跡的にジョシュアは無傷だったが、両親は助からなかった。
ジョシュアがわずか五歳の時だった。
ウォルズリーの居城で大々的に執り行われた葬儀は世界中に中継され、国の内外からたくさんの人が訪れ、憔悴した祖父アーサーと幼いジョシュアに慰めの言葉をかけ続けた。
葬儀は長時間に渡り、小雨が降り続く中、たくさんの人が弔辞を述べ著名な歌手が歌を捧げた。
だが、幼いジョシュアにはそれがどういうことか理解できず、どうしてみんな泣いているのだろう、
パパとママはいつ帰ってくるのかと、ぼんやりと思っていた。
長い葬儀が終わりに差し掛かかり、最後のお別れと言われ母親の大好きだったバラを棺に手向けるその瞬間、もう二度と両親に会うことができないのを悟ったジョシュアは初めて声を上げて泣いた。
泣き続ける彼を支え、抱きしめてくれたのは祖父のアーサーであった。
「ジョシュ、ジョシュア。わしがいる。おまえを決して独りにはさせない」
幼いジョシュアはアーサーの元に引き取られ、ウォルズリーの城で共に暮らすようになったが、最初の数年間のことは今でもほとんど覚えていない。
心に負った傷はあまりにも深く、言葉を発することも、笑うこともせず、ただ毎日ぼんやりと部屋の窓から外を眺めて過ごしていたが、雨の日だけは終日泣き叫び続けた。
たくさんの医者がジョシュアの回復は難しいと告げる中、アーサーは親代わりとして心からの愛情を注ぎ続けた。
そして八歳の誕生日を迎える頃から徐々に容態は好転し、ジョシュアは少しずつ話し、笑い、人間らしさを取り戻していった。
その回復ぶりは目を見張るものがあり、いささか行き過ぎのところもあったが、アーサーをはじめ城の使用人たちの深い愛情に包まれて、ジョシュアは暴れん坊のわんぱく少年へと成長していった。
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