第22話 白猫亭へーアン part4

 石段を一番下まで転げ落ちたところで、アンは完全に気を失った。

 降り続く雨が激しく顔や体を叩くが、目を覚ます気配はない。


 人間の姿に戻った曹長がゆっくりと石段を降りてきて、足元に横たわるアンを見降ろした。

「まさかすでに魔力を発動できる状態だとは。これは“些細な“伝達ミスですませる訳にはいかんな。情報室の分析能力について改善の余地があることを報告しておかないと」


「あの……申し訳ありません、曹長……」

 曲がった鼻から鼻血を滴らせ、わき腹に手を当てたリックがバツが悪そうにやってきた。

「リック」

 曹長は振り返ることもなく、抑制の効いた、雨音をほんの少しだけ上回る声でリックに話しかける。


「おまえは身体能力も非常に高く、頭脳も明晰で優秀な成績を収めていた。ニューヨーク本社が『聖なる力』の継承者候補として推薦してきたのも理解できた」

「……」

「だが私は、おまえはまだ若く、自己抑制の修練期間が必要だと反対したんだ。それでなくとも『聖なる力』を手に入れた者はその副作用として感情のコントロールが難しくなることがわかっていたからだ」

「はい……」

「結果的に本社の意思が最優先され、おまえが力を受け継ぐことが決定した時、私と二人一組ツーマンセルで行動することを提案したのもおまえをフォローして鍛え、成長させるためだった」


 リックは曹長に気づかれぬように履いていたカーゴパンツのサイドポケットに静かに手を伸ばした。


「そこさえクリアできれば、おまえは晴れて栄誉ある我が『ゴールドバーグ&サンズ』の未来を担うにふさわしい人間になるはずと考えたんだよ」

 フーッと、曹長がため息を漏らした。

「それがこんな結果になるとはな。実に残念だ」


「曹長!」

 リックが軍用拳銃を取り出し背後から発砲しようとしたが、それより先に巨大化した曹長の右腕がリックの頭部をなぎ払うように一瞬で消し飛ばした。

 頭をなくしたリックの体はゆっくりとひざまずき、うつぶせに倒れた。身体中から正体不明の黒い虫のような物体が大量にはい出して地面に吸い込まれて消えていった。

 曹長はその場に残されたカーゴパンツと、彼が大のお気に入りで自慢の品だった限定カラーの鮮やかなオレンジ色のエアフォース1を見つめ、つぶやいた。

 

「さよならだ、相棒バディ


 そして改めて倒れたアンに近づくと、パンツの内側の隠しポケットから『ベレッタPICO』と呼ばれる、手のひらで隠れそうなほど薄くて小型のハンドガンを取り出すと頭部に狙いを定めた。

「生きて確保が困難な場合は、生死を問わずデッドオアアライブという命令だったな。魔力を持つのがわかった以上、これもリスク回避のためだ」


 その時だった。何かの気配を感じた曹長が振り返ると、激しい雨の中、石段の最上段に白い光に包まれた巨大なトラのような怪物がこちらを見降ろしていることに気づいた。


「……何だ、あれは。報告書にも一切の記載はなかったはず……!」


 曹長は銃をしまうと、再び巨大なゴリラのような姿に変身し、白く輝く怪物に向けて威嚇するような咆哮を上げた。

「ウオオオオオオオウッ!」

 周囲の空気がその圧力にビリビリと震えるが、まったく意に介さず、ゆっくりとこちらに向けて降りてくる怪物の姿にじれたように、曹長が凄まじい瞬発力で階段を駆け上がり、頭上で固く握った両手を振り下ろして叩き潰そうとした瞬間ーー。


 白い光によって指一本触れることもできずに曹長の巨体は跳ね返され、続けざまに怪物の口から放たれた巨大な青白い炎が包み込んだ。

「ーーーーー!!」

 断末魔の悲鳴をあげながら燃え尽きていく様に興味も示さず、階段を降りた怪物は横たわるアンに近づくと、じっとその顔を見つめている。

「…………」

 やがて怪物を包む光はだんだんと弱く小さくなって、それと共に怪物の姿も小さくなり最後にぱあっと無数の小さな光の粒をまき散らせるとー


 そこには一匹の美しい白猫がたたずんでいた。

 











 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る