銀の髪に込めた愛
御剣ひかる
誰だって最初は初心者でしょう
洞窟の奥に、若い男の声がこだました。
「リセア、魔法を中断しろ! こいつはファイア・ワームだっ!」
剣士の言葉と同時に、ワームの口の奥から、赤とオレンジの炎を渦を巻いて吐き出された。
リセアは地に伏せ何とか免れたが、洞窟内の温度が一気に上がって息苦しい。
こんなの聞いてない。
かき乱されたブラウンの髪を後ろへと手で払い、リセアは立ち上がった。
依頼は、町から一時間ほど森の中に入った洞窟に最近棲み着いてしまった小さなワームを退治してほしいというものだった。
駆け出しの冒険者兄妹は、実力にあった依頼だと引き受けた。
しかし同じワーム種でもファイア・ワームは初心者の手に余る魔物だ。しかも膝丈ほどと聞いていたのにこいつは腰の高さほどもある。
さらにリセアは火の魔法をメインとする魔法使いだ。ファイア・ワームが相手ではできることは少ない。
悪条件が揃いすぎた。
「いったん引くぞ」
兄は撤退の判断を下した。
リセアはうなずき、洞窟の入口へと走り出す。兄もすぐ後ろをついてくる。
体をうねらせ猛然と追いかけてくるファイア・ワームの、かっと開いた口を見て、兄が立ち止まり剣を振るった。
火を吐こうとしていたワームはその動作を止めて目の前の獲物に食らいつこうとする。
「兄さん!」
「先に行け」
言いながら剣でワームを受け止める。
「で、でもっ」
「この攻撃をしのいだら俺もすぐに引く。先に外に行け!」
兄の戦いぶりなら大丈夫。
そう信じて、信じたくて、リセアは洞窟の出口へと走り出した。
暗くて見えにくいが洞窟は広い一本道だ。外の光を頼りにリセアは走った。
後ろがオレンジ色に明るく光ったのを感じたが、今は何も考えないことにした。
町まで一時間の距離を、リセアは二時間かけて帰った。
兄が追いついてきてくれないかという期待が彼女の脚を鈍らせたのだった。
町の入口近くまでたどり着いたリセアの後ろから声がかかる。
「大丈夫ですか?」
声が聞こえた瞬間、兄かと思ったがすぐに違うと理解した。
振り向くと、銀髪を一つに束ねた男性がリセアを心配そうに見ていた。
この町を拠点とする冒険者なら誰でも知っている。ベテラン冒険者、ヨウキだ。時々どこかのパーティに参加していることもあるが基本的にソロで活動している。それだけの実力者ということだ。
当然、リセアも彼を知っている、というよりは彼にあこがれている。兄もそうだった。彼のように強くなると高い目標を掲げて剣の稽古をしていた。
その兄は、きっと、もう……。
「あ……」
答える言葉が見つけられずリセアはただじっとヨウキを見上げるだけだった。
「君も冒険者ですね。依頼でトラブルがあったなら、ギルドに報告した方がいい」
静かに、優しい声で告げられて、リセアはうなずいた。
冒険者ギルドで、リセアは起こった出来事を話した。
受付係の女性に話す間もずっと、ヨウキは後ろで見守ってくれていた。
彼女の話を聞いていた他の冒険者の中から「戦う前にワームとファイア・ワームの区別がつかなかったのか。これだから初心者は」とあざけるような声が聞こえた。
悔しいがまったくその通りだ。リセアはうつむいて歯を食いしばった。
「誰だって最初は初心者でしょう。今、判断ミスをあざ笑った誰かは、一度もミスを犯したことはないのですか!」
声を張り上げたのは、ヨウキだった。
リセアは驚いて彼を見上げた。
眉間に深いしわを寄せ、口元をゆがめている彼は、本気で怒っている。
ギルド内はしんと静まり返った。
「その洞窟、僕が行ってきましょう」
「今からですか?」
「はい。それだけ成長の早いファイア・ワームなら、すぐに退治した方がいいですから」
ヨウキは受付係の返事を聞かずに踵を返し、出て行った。
ヨウキが帰ってくるまで、リセアはただただ彼が無事であるよう祈るだけだった。
兄が生還することも、まだあきらめきれていなかった。怪我をしていて思うように動けなくても、ヨウキが助けてくれるかもしれないと自分に言い聞かせた。
ギルドの談話スペースの椅子に、石像のように座ったまま動かず、手を組み合わせ目を閉じて、静かに祈り続けた。
夜も遅くなった頃、ギルドの入口がそっと開いた。
リセアは目を開け、入り口を見た。
少し疲れた様子のヨウキが立っていた。
「やぁ、待っててくれたのですね」
リセアは勢いよく立ち上がり、微笑を浮かべたヨウキに走り寄った。
「君のお兄さんの、でしょうか」
笑みを消したヨウキが差し出してきたのは、兄が使っていた剣だった。柄に巻いた滑り止めの布はすすけていたが、確かにリセアがあげたものだ。
抜身の剣をヨウキが持ち帰ったということは、他には兄の持ち物はなかったのか、あったとしても持ち帰れるようなものではなかったということだ。
兄は死んだ。しかも遺体も帰ってこないような死に方をした。
今朝まで一緒に過ごしていたことがまるで遠い過去のようだ。
「兄さん……」
剣を受け取り、リセアはその場に力なく座り込んだ。
涙がとめどなく流れた。最初は歯を食いしばって泣き声をこらえていたが、それもすぐに限界に達した。
夜中のギルドに、リセアの慟哭が響いた。
「この度はありがとうございました」
翌日、リセアはギルドに立ち寄りヨウキに礼を述べた。
「いいえ。このような言い方は適切ではないのかもしれませんが、せめてあなただけでも無事でよかったです」
きっと兄も、そう思ってリセアを逃がしたのだろう。
「ところで、あなたはこれからどうされるのですか?」
「え?」
「冒険者を続けるのですか?」
問われて、これからのことを全く考えていなかったことに今更のように気づいた。
冒険者をやめてしまう選択肢も、全く考えていなかった。
魔法は使いこなせる人はあまり多くないと聞く。せっかく授かった力を活用したいと思っていた。
兄を失っても、その気持ちは消えていないようだ。
「そう、ですね……。多分……」
どこかのパーティに入れてもらうことになるのでしょう。
そう続けようとした。
「なら、僕と組みませんか?」
「えっ? わたし、ヨウキさんの足手まといにしかなりません」
リセアは思い切りかぶりを振った。ヨウキは彼女を見て愉快そうに笑う。
「他のパーティに入る前に僕と組んで少しレベルを上げた方がいいと思いますよ」
それはその通りだ。ヨウキほどの手練れの冒険者と行動を共にすればたくさんの経験を積むことができるだろう。
「判りました。たくさん学ばせてください」
リセアの返事にヨウキはうなずいて手を差し伸べた。
握手を交わしながら、ごつごつとした彼の手はベテランの剣士らしい、それでも優しい手だとリセアは感じた。
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