第 8 話 第二ユニバース:殺害(8)1985年12月12日(木)
チェックインを済ませ、部屋に入った。洋子も一緒だ。7時半になっていた。日本は朝の9時半だ。
「どうする?シャワーを浴びる?」
「いや、絵美のお母さんの様子を見に行こう」
「そうね、それが先ね」
「でも、彼女睡眠薬を飲ませたんだろう?寝ていたらドアを開けることが出来ないじゃないか?」
「フロントに言って、彼女の部屋の鍵をもうひとつもらってあるの。だから、ノックをしても出なかったら、私の持っている鍵で開けるわ。ママにもそう断ってあるから、大丈夫よ」
「了解。さすがだな、洋子は。先を読んでる」
「商売柄ね」
お母さんの部屋と、僕、洋子の部屋は隣り合っている。僕の部屋を出て、すぐ左がお母さんの部屋、右が洋子の部屋だった。僕らは彼女の部屋に行ってノックをした。1分くらいしてもドアは開かないので、洋子の持っている鍵で開ける。
部屋に入ると、彼女は起きていた。ベッドに上体を起こしてぼんやりしている。彼女はうつろな目で僕らを見つめた。すぐには口を開かなかった。しかし、なんとか彼女は笑みを浮かべて言った。「明彦君、来てくれたのね、ありがとう」
「6時に空港に着きました。今、午後8時半ですよ」
「もうそんな時間なの?」
「よく眠れましたか?」
「ええ、大丈夫」と、彼女は無理に笑みを浮かべて言った。
「起こしたみたいですね、森さん、ごめんなさい」と、洋子が言う。
「いいえ、起きていたのよ。ボンヤリしていたの。何も考えられなくって」
「空港からの車の中で、洋子から今の現状を聞きました。何をするかは、わかってます。だから、今は休まれていた方がいい。僕らがやりますから。何か飲まれますか?食べられます?」と僕が訊くと、「水が欲しいの」とぽつりと言った。洋子は、テーブルの上に置いたあった水差しを取り上げ、グラスに半分ほど満たすと、ベッドの彼女の横に座って、背中を支えながら水を飲ませた。
「洋子さん、ありがとう」と、彼女が言う。「明彦君、昨日空港に着いてから、ずっと、洋子さんにはお世話になってしまったの。私一人では右往左往するばかりでしょ?」と、彼女は洋子を見て微笑んだ。「わざわざ娘のためにフランスから来ていただいて、なんとお礼の申し上げようがあるのかしら」
「気にしないで下さい。私に同じことが起こったら、絵美さんは私と同じことをしたはずですから」と、洋子が言った。
「絵美も明彦君の紹介で、いいお友達を持ったわ」と彼女が言った。
たぶん、洋子は、僕、絵美、洋子の関係を説明するのが難しいので、僕の紹介で絵美とあって、友人になった、とでも彼女に説明したのだろう。
「オレンジとリンゴをむくわ」と、洋子が言って、コンプリメントのフルーツバスケットから果物を取り出し、バスルームに行って洗ってきて、ナイフで手早くカットした。「睡眠薬の効果が切れたから、喉が渇いていると思いますよ。これを食べてくださいね?」と洋子が果物の皿を差し出すと、彼女は素直に食べた。おいしかったのか、全部食べてしまった。「そうそう、食欲があるのは良い兆候です。ルームサービスで何かお取りしましょうか?」と洋子が訊くと、「いいえ、これで十分。ありがとう、洋子さん」と言った。
「シャワーを浴びられますか?お風呂は?」と、洋子が訊く。
「いいえ、疲れたの」とうつむいて言った。「明日の朝にします」と言う。
「そうですか。明日の朝は9時半にNYPDに行かないといけません。ですから、7時には起きないと。睡眠薬はまだあります。さっきは2錠飲まれたから、今度は1錠飲まれればいいでしょう。どうされます?飲まれますか?飲まれた方が何も考えずに眠れますよ?」と洋子が言った。
「そうね、睡眠薬の助けを受けた方がよさそうね」
洋子は、ハンドバックから、処方された紙包みから睡眠薬を1錠取り出した。水差しから水をグラスについで、彼女に睡眠薬と水を飲ませた。「さ、横になって」と洋子は彼女を横にして、枕の位置を整え、ブランケットをかけた。「よく眠るんですよ。明日7時に私が起こしにまいります。」「よろしくお願いします、洋子さん」と言って彼女は目を閉じた。
「じゃあ、お母さん、僕らは失礼します。明日の朝、お目にかかりましょう」と僕は言った。彼女はちょっと目を開いて僕を見つめ、「明彦君、ありがとう」と言う。「大丈夫、洋子と僕がいますから。では」と言って、僕らは部屋を出た。
洋子と僕は、僕の部屋に行った。
「よくお母さんの世話をしてくれて、洋子、ありがとう」と僕は言う。
「普段の私からは想像もつかない?」と、洋子はニヤリと笑っていった。
「いいや、こういうとき、洋子は当然のようにテキパキとなんでもこなすと思っていたよ」
「そうね、こういうときはね」と、洋子はベッドに座った。「久しぶりね?明彦。バカみたいに突っ立ってないで、ほら、ここ」と、バンバンとベッドの彼女の横を叩いた「ここに座って」
「こういうときでも、洋子は変わらないな、そういうところは」
「そんな人間は変わらないわよ、いつでも。ほら、明彦、顔を見せて」と、洋子が僕の顔を手で挟んで彼女の方に向けた「どう?悲しいの?」と言う。
「話だけだろ?まったく実感がわかないんだ。成田からこっちに来る間の記憶も曖昧なんだ」
「そうね。今晩はゆっくり休むことね。あなたも睡眠薬を飲む?」と洋子が言う。
「いいや、飛行機の中で寝てばかりいたから、睡眠薬はいらない。それよりも、クイックシャワーをして、洋子、食事をしよう。そして、絵美のことを話したい、洋子と」
「いいわよ、あなたがそれでいいなら」
「洋子、本当にありがとう。僕じゃあうまく対処できなかったし、お母さんも困ったと思う。本当にありがとう」
「明彦と私の仲だから・・・」
「そうだね・・・僕を通じた絵美との仲でもある。車の中で洋子が言ったことを考えていたんだ。僕は、絵美と洋子をどちらがどちらというのではなくて、愛していたのだね。自分で気がつかない間に・・・」
「それだけじゃない。私の明彦に対する思いは、いつの間にか、絵美さんの明彦に対する思いと同じになったのよ。おかしいわね?私たちの間でいろいろあった。美佐子のこともあった。絵美さんのことも聞いた。でも、愛情に一番も二番もないのよ。それが与えるだけの愛情で、奪うつもりがなければ。だから、私たち、私と絵美さんの愛情も同質で同じものにいつの間にかなっていたのね。去年の8月、私がだまし討ちで、絵美さんと会ったじゃない?」
「まったく・・・」
「思った通りの女性だったわよ。私と非常に似ていた。私を7年若くしたら、彼女そのものになるわね」
「そうだね、二人は非常に似ている。だけど、二人の女性を愛するなんてことを、僕は何か抑制していたのかな?自分で自分に制限をかけていたのかな?」
「どうなのかしらね?あとで将来考えられるようになったら、よく反芻してみることね。さ、シャワーを浴びていらっしゃい。私はレストランをチェックしておくから。状況がどうあれ、おいしいものでも食べなくちゃね」
「わかった」と、僕はスーツケースから着替えを取り出し、手早く服を脱いで、バスルームに行った。シャワーを浴びて出てくると、洋子が電話をかけていた。「あなたのリコメンデーションは?・・・え?どの料理でもいいことよ。地中海料理?それで結構。どこにあるの?・・・うんうん、M2Fね?わかった。それで予約は?要るの?要らないの?・・・そう、では1023号室のミス・シマズで予約してちょうだい。2名よ・・・OK?そうそう、それともう一点。ドレスコードは?・・・スマートカジュアルね?ありがとう。じゃあ」と言って受話器をおろした。どんな場所でも、洋子の手にかかると魔法の扉が開くのだ。
「このホテルの中2階のファイブスに行きましょう。5丁目55番地だからファイブスなんだって。トリプルファイブにすればいいじゃない?ねえ?」と彼女は言う「ドレスコードはスマートカジュアルだって。何を着るの?」
「そうだな、キャメルの黒のジャケット、チノパンツ、白のタートルネックのセーターにするよ」
「わかったわ。私も合わせましょう。じゃ、私、着替えてくる」と言って、立ち上がってドアの方に行った。ドアを開けて、振り返ると、「明彦、ホテルでキミと違う部屋にいるというのは違和感があるわね」と言って、ニヤッと笑ってウィンクして行ってしまった。
ファイブスで適当にコース料理を注文した。食事をしながら、僕は、胸にわだかまっている疑問を洋子に訊いた。「これは刑事事件なんだろう?誰に射殺されたんだろうか?通り魔の犯行なのか?」
「NYPDで、弾丸の検査をしているところなのだそうよ。登録された銃器から発射されたものなら、その銃器の持ち主を特定できる。この検査が済まないとハッキリしたことはわからない。射殺された状況は、刑事から聞いたのだけど、目撃者によると、彼女はタイムズスクエアを歩いていて、歩道で撃たれたということ。どこから撃たれたのか?今調べている途中。でも、刑事がオフレコで言ったのは、弾道の角度からして、水平位置、つまり、地面から撃たれたようじゃない形跡があるらしい。もっと、高いところから、たとえば、ビルの上の方の階とか、屋上とか」
「ちょ、ちょっと待てよ、洋子。地面にいる人間から撃たれたのなら、通り魔などの犯行と疑えるけど、上方、ビルの中からとか屋上からというのは、待ち構えていないと撃てないだろ?計画的な犯行なのか?」
「明彦、先を急いじゃダメ。刑事もあくまでオフレコで、正式書類をモルグからもらっていないから断言できないが、検屍官が口頭でそういったということなの」
「う~ん、しかし、計画的だったとしたら、絵美はなぜそんなことに巻き込まれたんだろう?誰の犯行なんだろう?絵美は何をしていたんだ?」
絵美は何をこのニューヨークでしていたんだ?
ファイブスの食事を終えて、僕らは僕の部屋に戻ってきた。
「ママには、何かあったら、連絡は私の部屋にしてと言ってあるの」と、洋子が言う。「だから、私は自分の部屋にいないといけない、そうなんだけど・・・」
「そうなんだけど?何?」
「あのさ、こういう状況下でさ、こういう提案はどうなのかな?と思うけどね・・・」
「言いにくそうだな?」
「言いにくいなあ・・・明彦、私の部屋に来ない?別々に寝るのも変でしょ?」
「ああ、そういうことか?そうだな。一人で寝るのも嫌なもんだからね」
「明彦と同じホテルで、別の部屋に寝るというのが、私には想像も出来なければ、実行も出来ないだけなのよ」
「いいよ、行こう」
「そんな簡単に言えるの?」
「絵美はそんなことでは怒りゃしないさ」
「そうかな?」
「絵美は、さっさと洋子の部屋に行って、抱き合って寝なさいと言うだろう。洋子が同じ立場で、ほら、そこに浮遊していたとしても、同じことを言うだろ?」
「なるほど。説得力はあるな?」
「自分から、私の部屋に来ない?と言い出したくせに?」
「私だって、気になるから・・・」
「さ、一人じゃ辛いしね、洋子の部屋に行こう。ウィスキーが1本あるしさ」
「私もブランディーがあるわ。レミーがある」
「絵美はブランディーが好きだったから、それを飲もう。追悼だ」
僕はジャケットとウィスキーを持って、洋子の腕を持った。「行こう、キミの部屋に」
洋子の部屋に行って、僕はさっさと服を脱いでアンダーパンツだけで、洋子のベッドに潜り込んだ。洋子がブランディーをドレッサーから持ってきて、グラスに注いだ。「ほら、これ」とグラスを僕に押しつけた。「洋子もさっさと服脱いで」と、今度はベッドを僕がバンバン叩いた「ここに潜り込めよ」
「わかった」と洋子は言って、服を脱いでいった。いつものように、服は床の上に散乱したまま。それで、ブラとショーツだけになって、洋子はグラスを持って僕の脇に潜り込んできた。
「そう言えば、明彦、シャワーしてないじゃない?」
「明日の朝浴びよう。夜中に浴びてもいい」
「ちょっと汗臭いわね?」
「うん、長いフライトだったからね」
「明彦の匂いがする」
「久しぶりだ」
「明彦?」
「どうした?」
「私もね、妹を亡くしたみたいな心境だわ」
A piece of rum raisin
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