第 4 話 第二ユニバース:殺害(4) 1985年12月8日(日)

 朝、俺は、ガキをグラウンドに連れて行き、キャッチボールをした。ホットドックを食わせた。ソフトクリームも一緒に食べた。女房は、友人とお出かけだ。どこの誰だか知らない。聞きたくもない。だから、ガキの面倒は俺が見るのだ。もしかすると、女房は女性の友人ではなく、男性の友人と出かけているのかもしれない、とチラッと思ったが、さもありなん、亭主が俺では浮気したくなるのもしょうがない。俺だって、結婚以来まったく潔癖というわけじゃない。俺も女房も晩婚で、いわゆる職場結婚というやつだった。女房は制服組ではなく、アドミの事務屋をやっていた。調書をタイプしたり、レターを整理したり。だが、俺の職務は当然のごとく理解して、それを覚

悟で結婚したはずなのだが。俺が35で女房は31だった。すぐガキが産まれて、今や結婚6年だ。


 家に戻ると女房が帰ってきていた。


「あなたがたまに家にいるのもいいものね?」と女房が言う。たまに家にいる俺をほっておいて、自分は友人とやらと会っていたんだろ?

「非番だからな」これで、ブルックリンのモルグに行く、などと言うと、金切り声を上げて叫ぶんだろうな?「それで、ちょっとモルグに行く用事があるんだ。1、2時間で戻る」と言った。署に行くとウソをついても、それはばれる。署の知り合いに電話をかければ、俺が署にいる、いないなど彼女にはすぐわかるから。

「モルグ?」と、彼女の目がつり上がった。

「そうだよ、モルグ。昨日、日本人の女の子が射殺されたんだ。それで、死亡証明書を見に行かないといけない。おっつけ家族が来るだろうし・・・」

「モルグ?担当の検死官は誰?」

「ドクター・タナーだ」

「マーガレット?マーガレットなのね?あなた、あの女とまた・・・」と、やはり女房は金切り声をあげて、ヒステリックに叫んだ。

「おいおい、マーガレットと俺は今は関係ないよ」

「結婚前に関係を持っていたわ!」

「それは結婚前の話で、今は関係ないさ」

「日曜にモルグにわざわざ行くのもマーガレットが担当だからね?」

「違うよ。ちょっと気になることがあって行くだけだ」と、俺は言った。実はおまえと日曜に面つき合わせているのが堪えられない、とは言えない。「すぐ、戻るよ」

「何時間でもモルグにいても差し支えないわ、私は」と、彼女は寝室に入ってドアをバタンと閉めてしまった。やれやれだ。なんでこんなことになっちまったのか。

俺は憮然としながら車を走らせた。車は、日曜日でどこもシャッターを下ろした商店街を抜け、安レストランの脇を通り、ブルックリンバッテリートンネルを抜けた。プロスペクト公園脇のケイトンアベニューを通り、モルグに行った。モルグだって日曜だ。警備員の他は誰もいない。宿直の検屍官を除いて。


 俺は警備員にバッチを見せ、ドクター・タナーに会いに来た、と言った。警備員は規則ですから、と言って、マーガレットに電話する。「ご自分のオフィスにおられるそうです」と言われた。俺は、事務棟の3階にエレベーターで上がり、マーガレットのオフィスに行く。オフィスのドアは半開きになっていた。俺はノックした。


「あら、ノーマン、早かったのね?夕方近くに来ると思っていたのに」

「女房と喧嘩したんだよ。日曜に仕事で出かける?!と金切り声で怒鳴ってたよ」

「まあ、おだやかじゃないわね?」

「そうだろ?おまけに、モルグに行くというと、検屍官は誰?と聞きやがるから・・・」

「私の名前を言った?」

「ああ、正直だろ?」

「それで、ますます怒ったのね?そう、ノーマン、わざと怒らせて、さっさと逃げ出す口実にしたんじゃないの?あなた?」

「そうとも言えるかもしれねえな」

「まったく、結婚したらいいハズバンドになる、と昔私に言ったのにね・・・」

「それは、マーガレット、おまえが俺の求婚を拒否したこともあって・・・」

「業界人とは結婚しない主義なの。でも、まあ、もしも結婚していたら、家で一緒にいなくても、こうして職場で一緒にいられる時間は少なくとも増えていたでしょうね?残念でした」

「ああ、残念だよ、残念だ。さ、俺の家庭生活の話はお仕舞いだ。その日本人の女の子の話だ」

「遺体を見る?」

「ああ、見たいね」

「じゃあ、安置所に行きましょうか?」


 俺たちはエレベーターで安置所に下りていった。マーガレットが俺に白衣とマスクを渡す。安置所の冷蔵室に入った。いつもながら、気分のいい場所じゃない。古いモルグだから、カリフォルニアにあるような個別の引き出し式冷蔵ユニットなどない。でかい、冷蔵室があって、そこに何体も遺体がストレッチャーにのせられて、検屍や引き取りを待っている。


「ここで待っていてね」と、マーガレットが言って、冷蔵室に入る。ストレッチャーを押して出てきた。「規則だから、遺体の体もY形切開をしたけど、死因は明確だわ。側頭部から入った弾丸による即死。頭部の処理は出来るだけしておいたけど、後は葬儀屋がなんとか誤魔化すわね」とマーガレットは言いながら、死体にかけてあったシーツを引き下げた。


 日本人は背が低いと思っていたが、この娘は5フィート8インチ。ヒールをはけば、俺とどっこいどっこいじゃないか?頭蓋冠はキチンと元に戻されていた。頭頂部の切開の跡は綺麗に縫い合わされていて、髪の毛で切開部を隠されている。綺麗な死に顔だ。かなりの美人だ。


「綺麗な子でしょう?モデルみたいね?調書は読んだ?」

「いや、まだだ。ちょっと目を通しただけだ」

「いい?ここが弾丸の射入口」と、髪の毛をのけて頭部を指し示した。ポッカリと穴が開いていた。大口径の弾丸だったら、反対側の側頭部が吹き飛んでいたろうな、と俺は思った。「それで、切開して脳を調べたの。弾丸は反対側の頭蓋の裏に止まっていたわ。そこと射入口の位置を考えると、40度くらいの傾きがある。もしもまっすぐ立って、顔をまっすぐにして歩いていたなら、狙撃した人間の位置はビルの3~8階、或いは、屋上と考えられるのよ。もういい?」とマーガレットが言った。

「もう、いいよ。十分だ。気の毒に」と俺は言う。

マーガレットが髪の毛を元に戻して、シーツで彼女をおおい、ストレッチャーを冷蔵室に押していった。冷蔵室から出てくると、「じゃ、上に行きましょう」と言う。彼女のオフィスに戻る。

「気になったから、調書にはまだ書いていないことがあるのよ。ちょっと電話して調べたの」

「なんだ?気になったってたというの?」

「遺体と一緒に、彼女の持ち物も搬送されてきて、これは証拠品として署に戻したわ。それでIDを見たの。ニューヨーク市立大学(CUNY)なのね、彼女の大学は。NYU(ニューヨーク大学)じゃないわよ」

「CUNYなんて珍しくないじゃないか?」

「彼女、マスターコースなの。それで、専門が犯罪心理学なのよ。大学のアドミに無理言って調べてもらった。IDにあったカレッジ名からするとそうなのかなあ、と思ったのよ」

「犯罪心理学?」

「そう、私たちの分野よね?」

「だけど学生だろ?」

「それでも、同じフィールドだわ、臭うのよ、私には」

「う~ん・・・」

「検屍官がそれ以上立ち入ってはいけないわね?後は、ノーマン?警視さんの領域ね?」

「なるほど。まあ、参考になったな」

「まったく、こんなに若くて綺麗な子が殺されるなんてね。アメリカって嫌な国よね?」

「しょうがねえだろ。ここはニューヨークだからな」

「さ、以上、私の話はお仕舞い」

「ありがとう、マーガレット。どうだい?今日は?夜勤じゃないだろ?」

「5時に交代が来るわ。でも、ノーマン、ダメよ。家に帰るのが怖いからって、私を誘っては」

「読まれてるな」

「ちゃんと帰って、奥さんに謝って、私とは何ともないって言わないとね」

「疑われてるんだぜ?」

「じゃあ、疑いを解きなさい。何でもないのは事実なんだから」

「俺は残念だよ、何にもない、何でもない、ってのがな」

「あら?ノーマン、私が残念じゃないって思っているとでも?・・・さ、帰って。私、書類仕事がたまっているんですから・・・」


 俺は車に乗り込んだ。キーを差す。マーガレットは今なんて言った?『私が残念じゃないって思っているとでも?』と確かに言ったな?ま、だから、どうなんだ?と俺はエンジンをかけて、元の道を戻った。いずれ遺族が来るだろうから・・・日本人だろ?英語がわかるんだろうか?・・・まあ、いい。どうせ、早くても遺族が来るのは数日後だ。明日考えよう、と俺は思った。


A piece of rum raisin

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https://kakuyomu.jp/works/1177354054934387074

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