第 11 章 第一ユニバース:新橋第一ホテル(2) 1978年5月7日~12月23日

 新宿ゴールデン街から午前2時に原宿に帰ってきて、メグミはプンプンであった。怒り狂っていた。


 原宿で軽い夕食を済ませた後、私たちは山手線で新宿まで脚を伸ばした。九時ぐらいにはなっていただろう。あの頃の新宿ではまだ宵の口だ。東口を出て、紀伊國屋の手前で左に曲がった。新宿区役所前の横断歩道を渡り、区役所通りの手前で斜めにしばらく行く。そうすると、右手に汚い飲み屋が密集している。そこがゴールデン街だ。まだ、時間も早く、筒井康隆も赤塚不二夫もタモリも現れてはいまい。そこで、私はメグミを内藤陳の経営する「深夜プラスワン」に連れて行った。ギャビン・ライアルの作品から名前をとった店だ。内藤陳はコメディーグループのトリオ・ザ・パンチのメンバーで、ハードボイルド評論家もしていたのだが、なにせ、酔っ払うと陰湿になってやたらと絡む人間だった。


 ただ、北方謙三や矢作俊彦が常連でカウンターに居座わる店なので、何か面白い話でも聴けると思っていたのだが、日曜日の深夜では、そういう作家は誰もいなかった。そこにはベロベロの内藤陳がいた。カウンターの中にはバイトでまだ学生だった馳星周がいた。内藤陳は私を見るや「あ!この前の生意気な若造!」とつばを飛ばして叫んだ。「内藤さん、待ってくださいよ、私も客なんですから」「テメエなんか客じゃないぞ!だいたい、ロバート・B・パーカーが好きだなんて信じられんぞ。俺の仲間じゃないやね」「内藤さん、すみません、私は彼のいちファンなもので。内藤さんのお好みのケチを付けるつもりはないですよ」「気に食わんな。それに、そのミニスカのネーチャンは誰だ?俺の好みに合わん!」「内藤さん、勘弁してくださいよ。坂東くん(馳星周の本名、坂東齢人*1)、なんとか言ってよ」「宮部さん、何が気に食わないのか、今日の夕方からこれですからね」「坂東、うるさい!黙ってろ!それよりもネーチャン、あんた誰だ?」と内藤陳が言う。

*1 実際は、第三ユニバースでは馳星周は1965年生まれで、1978年では13才なのだが、これも並行宇宙では生まれ年が異なるのかもしれない。


 気の強いメグミは「内藤さん、私は加藤といいます。ネーチャンじゃありません。何を失礼な!」と大声で内藤陳に張り合う。「坂東さん」と彼女はカウンターの中の馳星周を睨みつけて言った。「バーボン、いただけます?ロックで」「は、ハイ、何になさいますか?」「フォアローゼズあります?」と強い口調でいう。「ございます」と坂東が言った。「じゃあ、トリプルをロックで頂戴!私の連れにも同じもの!」と私の飲み物まで注文した。

「内藤さん、初めまして。加藤です。ネーチャンじゃありません!乾杯していただけます?」とメグミは内藤陳に乾杯の姿勢で自分のグラスを差し出した。内藤陳は「生意気なネーチャンだな。気に入ったよ!」とメグミと乾杯して、二人で話し始めた。

 私は彼らをほっておいて「坂東さん、筒井さんや赤塚先生、タモリはどこにいるんだろうか?」と訊いてみた。「ああ、宮部さん、彼らは今頃、新宿コマ裏の『ジャックの豆の木』で乱痴気騒ぎですよ」「そうか、『ジャックの豆の木』か。わかった。そっちに行こう」と私は坂東に言った。「メグミ、次に行こう」というと、内藤陳が「オニーちゃん、俺はこの加藤オネーチャンと話しているんだ!邪魔をするな!」と叫んだ。「内藤さん、加藤と私は用事があるので失礼します。申し訳ない。次にまた参りますので」と坂東に勘定をうながした。「俺の酒が飲めないってんだな?」と内藤。「いや、内藤さん、用事があるので。さあ、メグミ、行こう」と私は勘定書をチラッと見て、1万円札を置いた。「坂東さん、おつりは取っておいてね」とメグミの手を引いて店を出た。メグミは、不愉快な店よね、とブツブツ言っていた。

 私たちは、ゴールデン街から出て、新宿コマを回り込んで、『ジャックの豆の木』に行った。


・・・『深夜プラスワン』の方がマシであった。『ジャックの豆の木』には、内藤陳よりもさらにベロベロに酔った筒井康隆、赤塚不二夫、タモリがいて、筒井は2010年では考えられないセクハラをメグミにぶちまけ、タモリは白のブリーフいっちょうでイグアナよろしく床を這い回り、赤塚はメグミのスカートの中に頭をツッコミ・・・


 メグミが怒り狂うのも理解できた。とりあえず、筒井、赤塚、タモリと連絡先の交換をしたので、将来なにかの役に立つのかもしれない。「ふ、不愉快だわ。なんて連中なのかしら!明彦!もう二度と新宿なんて行かないから!」と私を怒鳴る。「まあまあ、筒井康隆と親交が持ててよかったよ。もしかすると、別のバージョンの時をかける少女ができあがるかもしれないぞ」とメグミをなだめたが「あの筒井康隆!セクハラよ、あれは!」と怒鳴られた。「メグミ、昭和43年にセクハラなんて概念はないよ」というと「まだ、内藤陳の方がマシだわ!」とまだ怒っている。


 翌日、私は渋谷から京王井の頭線に乗って駒場東大前で降りた。駅の階段を下ると30メートルで駒場キャンパスの門になる。門からすぐのところを右に曲がり、駒場博物館の手前の建物に入った。入って1階すぐ右のどん詰まりの学生支援課がある。私は身をかがめて、支援課の窓口に顔をのぞかせた。「前川さんおられますか?宮部と申しますけど」というと、机についていた紺色の事務服を着た前川さんが書類を手にとって立ち上がった。「ああ、宮部くん、早速来てくれたのね。前からお願いされていたアルバイトの件、抑えておいたわよ。ハイ、これ」と書類を渡された。11月から支援課の前川さんには新橋の第一ホテル新館の最上階にあるバーのアルバイトを抑えておいてとお願いしてあったのだ。「前川さん、ありがとうございます」と彼女に言うと私は小声で「これ、つまらないものですが虎屋の芋ようかん、課の人たちとお食べください」と風呂敷包みを渡した。「家のいただきものなんですけどね、家族が留守しちゃって」と言うと「え~、わるいわねえ」「いただきものです。お気になさらず」「じゃあ、遠慮なくもらっておくわ。それで面接したいということだけれど」「いいですよ。今日は用事はありませんので、今からでも構いません」と言うと、「じゃあ、今、担当者に連絡しておくわ。場所はわかる?」「ホテルの場所はわかりますが」「え~っとね、ホテル正面を左に回り込むと従業員出入り口があるのよ。そこの受付で人事の阿部さんと言うと案内してくれるわ」「ありがとうございます。早速まいります」


 駒場キャンパスを出ると、井の頭線で渋谷まで戻り、山手線で新橋まで行った。日比谷口を出て150メートルほど行くと新橋第一ホテル新館に着いた。前川さんの説明通り、従業員出入り口の受付で阿部さんをお願いした。大学の学生支援課からの紹介なので面接は形式的なものだった。勤務時間が6時から翌朝の1時まで。終電がない場合は従業員階に仮眠室に泊まれること。食事は5時に出社したら、従業員食堂で夕食を無料で食べられること。制服は黒のズボン、黒のベストに白のワイシャツ、蝶ネクタイが2着支給されること。毎週、必ずホテルのリネン課に洗濯を出すこと。清潔にして爪も必ず切ること。そのような注意を受けた。「宮部くんはいつから仕事が初められますか?」と阿部さんに訊かれたので「12月1日からで構いません」と答えた。「基本、週休2日だけれど、曜日はバーの従業員のローテーション次第なので、チーフバーテンダーの吉田さんと相談してください」とのことだった。「じゃあ、早速、吉田さんを紹介しよう」と阿部さんは内線で吉田さんの在席を確認した。従業員エレベーターで12階まで上がりエレベーターホールからすぐ左手の6段ほどの階段を下ると、右手の窓際がバーだった。左手はフレンチレストランだ。階段を降りてL字型に座り心地の良さそうな樫の木づくりの10席ほどのカウンターが有り、そこから建物の端までは2席から4席のテーブル席が設けられている。


 カウンターの後ろにチーフバーテンダーの吉田さんがいた。阿部さんが「吉田くん、頼まれていたアルバイトを連れてきたよ。宮部くん、チーフの吉田さんだ」と私を紹介した。私の履歴書の写しを吉田さんに渡して「じゃあ、吉田くん、頼んだよ。宮部くん、帰りも従業員出入り口から出てくれたまえ。12月1日の6時にここに出社、従業員証はそれまでに作って従業員受付に渡しておく。お願いします」と言って阿部さんは自分の事務所に戻っていった。


 履歴書を読みながら吉田さんが質問をした。「学校は駒場か。教養学部だね。自宅は原宿。なるほど。ここと近いな。勤務時間は阿部さんから聞いているね。ただ、1時ピッタリに終われるかはわからない。バーが閉まるのは1時だが、帰らない客がいたりする。洗い物が残っている場合もある。それで、全部終わったら、バーの連中とちょっと寝酒を飲むので、だいたい2時終わりだけど構わないかね?」「構いませんよ。仮眠室もあるそうですし、始発で帰れば6時には家に着きますから、それからも眠れます」「勤務日は聞いた?ローテーションで土日勤務になる場合もある。土日勤務なら平日2日休みになる。できるだけバイトには土日勤務をさせないつもりだけれど?」「それも大丈夫です」「キミ、酒の種類はわかるか?ウイスキー、ブランデー、スピリッツ類、カクテルなんかも?」「一応、この窓際に並んでいるお酒の名前はわかります。カクテルの名前も知っていますが、自分で作ったのは自己流なので教えていただければ、なんとかなると思います」「おいおいと習えばいい。基本的にフロア係でオーダー取りと配膳をやってもらう。ただ、バーテンダーが食事でいない時は臨時でカウンターの中に入ってもらう。それから、グラス、食器洗いだな。食器洗いのやり方も教えるから。自宅の食器洗いとは少々違うのでね」「了解しました」「じゃあ、そんなこところだ。12月1日6時にここで会いましょう」「よろしくお願いいたします」と私は一礼してバーを離れた。


 原宿の家に戻るとメグミが来ていた。白のボタンダウン、チェックのパンツでカーディガンを首にディレクター巻きにしている。「明彦、おかえり」「ただいま。メグミ、すっかりこの時代のファッションに馴染んでいるじゃないか?」「えへへぇ、可愛い?」「あのさ、それは20才の女の子が言っている『可愛い』なのか?それとも39才の女性が言っている『可愛い』なの?」「だんだん、20才の女の子に慣れてくると、20才の発想になっちゃうのかなあ?」「まあ、いいですが。女性の適応能力は若い身体的に有利なアイデンティティーに偏るのかもしれないな。男性とは異なる、ということかな」


 私はダイニングルームのテーブルに座った。メグミはキッチンでゴソゴソやっている。「今日ね、青山の紀伊國屋に行ったの。いろいろ買ってきちゃった」とおつまみを盛った皿をテーブルに置いた。「パルマの生ハムにゴートチーズ、おいしそうだったのでイチジクとトマトを和えてみたのよ。どう?」「おいしそうだ」「そうでしょうとも。ワインも買ってきました。ワイン、呑む?」「いただきます」「キャンティの赤と白を2本買ったの。あ、それから、ローストビーフも買ったわ。マッシュポテトは自分で作ったけど」とビーフの皿をテーブルに置き、藁に包まれたキャンティの赤の瓶とワインオープナーを持ってきた。「明彦、コルクを開けて」「懐かしいなあ、このトウモロコシの藁で包んだボトル。キャンティも分裂してからこのボトルにはあまりお目にかかってないものね」「1978年は、キャンティも分裂していないもん」「そうだな」


 メグミはワインを飲み干して「ああ、おいしい。生きていてよかったぁ~。明彦、もう一杯、頂戴。」と言う。ワイングラスに8分目まで注いだ。どうせみんな呑んでしまうのだから。「今日はどこに行ってきたの?」と彼女が訊いた。

「駒場の学生支援課に行ってきた。前に説明したね?洋子がこちら(第一ユニバース)に転移する日が来年の6月だけど、その前に12月24日に会うことになっている。もちろん、私の記憶にはそのことはないが、洋子が湯澤のヒアリングで、1回目に会って、それが2回目に会うきっかけになった、ということをこちらからの記憶で覚えている。だから、そのストーリーの通り、新橋第一ホテルのバーで私はアルバイトをする必要がある。学生支援課にそのアルバイトの募集があったら知らせてほしいとお願いしていた。それで、第一ホテルに面接に行ってきた。12月1日から始めるよ」とメグミに説明した。


「ふ~ん、おっぱいオバケが来るのね」と口をとがらせて、不満そうにメグミは言った。「ひどい言い方だなあ」とわたしが言うと、「あちら(第三)で、洋子がジュネーブ勤務で良かったわ。日本勤務だったら、絶対に明彦と何かあるもん」と言い捨てた。

「メグミ、そんなことは起こらないよ」とわたしが言うと、「あら?言い切れるの?洋子と何も起こらないと?でも、あちらでは同い年でも、こちらでは洋子は6才年上ですからね。おまけに彼女が来るのは来年6月。絵美の方が来年2月だから、丁度いいわ。絵美がうまくバランサーになってくれそう」

「そんなややこしいことになるかね?」

「なります。オンナのカンです!それと、明彦、お願い、こちらで記憶転移前から私と明彦に肉体関係があることは内緒にしてちょうだい」

「そんなこと、湯澤のヒアリングで・・・」

「私が湯澤くんにその話を言った?言ってないわ。賭けてもいいけど、絵美も洋子もこちらで何があったのか、ぜんぶ話していないわ」

「やれやれ、そういう内緒事をすると、いろいろなことが複雑になるんだけどね」

「ここはISS(国際宇宙ステーション)みたいな閉塞空間なの。秘密を抱えた人間は今はあなたと私だけ。ISSで男女の間で何があったのか、NASAだって報告は受けていないわ」

「やれやれ」


A piece of rum raisin

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