枯葉降る季節に

サトヒロ

 1


 枯葉が散っていた。

 落葉広葉樹の林道は、紅葉した枯葉が敷き詰められていて、赤く燃え上がっている。卓哉は右手で学生鞄を抱えてゆっくりと石畳を踏んでいった。

 

 境内では、祖母が枯葉を搔き集めて焚いていた。本堂では祖父が静かに経をよんでいる。卓哉は大きく風を吸い込んだ。秋いっぱいだった。


 卓哉は庭から自分の部屋に行った。

 時子が箒で掃除をしている。

 彼は学生帽と鞄を部屋の中に投げ出すと、機嫌をそこねた子供のように縁側に腰を落とした。

「掃除はしなくていいって、言ったでしょう」

「いけませんよ、散らかしているのは」


 時子は少しもひるまず反発してきた。歳は二十二、三歳だった。淡く細かい花柄の和服を着ている。黒く豊かな髪を大きく結っていて凛々しく、黒い睫毛と直線を二本引いた瞳の形は、日本人形のような美しさを秘めている。

「でも、いいよ。これからは自分でするから」

 卓哉は時子から箒を取り上げた。彼女は何も言わずに微笑むと、庭に下りていった。箒をもったまま、卓哉は彼女に虚ろな視線を向けた。


「お婆さまは、焚火をされているのですね」

 時子は空に立ちのぼっていく白い煙を見詰めながら呟いた。すっと立った彼女の後ろ姿は、静かで冷たく感じられた。


「どうしたの、掃除しないの」

「今、するところだよ」

「わたしのこと、お爺さまから聞きました?」

「何も……」

 ぼくは言葉を濁した。

 祖父からは、近づくなと言われていたのだ。


「わたし、ここに来れた義理じゃないんだけど……」

 ぼくはそっと溜息をついた。時子のことは何も知らない。知りたいとも思わなかった。

「東京なんかより、北海道の片隅のほうが、住みやすいと思うよ。生きていることに、文句を言う奴は、一人もいないから」


 紅色に染まった雲が流れていくのが、白樺の梢の間から見えた。遠い山脈の青い色は、夕暮れに呑まれている。

 

 卓哉は掃除を終えると庭に下りた。枯葉が一枚一枚緩やかに積もっていく。

 枯葉があるのは風流でいい、と祖父が言うのだが、祖母は庭を掃き焚火をしている時が一番楽しい、と言う。小春日和の日には、祖母はいつも庭に出ているのだった。


 時子が祖母を手伝って庭を掃いている。

 卓哉に気付くと、彼女が小股で走ってきた。祖父に気に入られようと、いつも和服を着ているのだが、その足取りはあやしかった。

「あの人が、来ている」

「あの人……」

「墓参りに来ている人、可愛い子……」


 時子は声を潜めて微笑むと、墓地に向かって振り向いた。

「早く行かないと、帰っちゃう」

 卓哉は苦笑すると駈けだした。

 墓石の前に白い菊の花束が供えられていたが、誰もいなかった。卓哉は境内の中を走っていった。暮色に包まれた林道の中に、有子の姿が白い幻となって浮かんできた。


 声をかけていくには、あまりにも、よそよそしいふうだったので、卓哉は立ち止まったまま身動きできなくなった。彼女の長い髪が、首のところで纏められ、また静かに肩に散っていた。

「おれは、風に飛ばされる枯葉のようだ」


 卓哉が戻ってくると、時子は縁側に座っていた。

「会えた?」

「急に、会いたくなくなったんだ」

「残念、……でも、仕方ないか。それは、それで……」


 時子は立ち上がった。そして小さな吐息を一つつくと、卓哉に憂いに満ちた眼差しを向ける。

「いいかげんなのよ、みんな……。でも、人って、一人では生きていけない。だから、自分のこと、誰かに知ってもらいたいと思っている。あなたも」

「ぼくは、そんなこと、一度も思ったことない」

「それは、嘘よ」

「嘘じゃない。みんな孤独なんだ。ずっとそうだった、だから……」


 時子は深い吐息をもらした。

「いつ、知り合ったの」

「去年の今頃、学校の廊下で」

「すぐ好きになったの?」

「そんなこと、関係ないだろう。どうして、そんなこと、訊くの」

「そうね……」

「ぼくは何も知らない。墓石の人が誰かも知らない。ぼくのことを、どう思っているのかも、わからない。ただ、それだけだから」


 夜になって雨になった。

 卓哉はガラス戸を少し開けて、濡れていく庭を見ていた。肌を刺す冷たい水滴が、風に揺られて彼の顔を濡らした。雨は透明なはかなさで、庭は闇のおぼろげな佇まいで、静かに溶け合い、彼の心を閉ざしていく。


「葡萄買ってきたわ。食べたいだけたべなさい」

 時子が部屋の中に入ってきていた。

「いらないよ」

 卓哉は庭に視線を向けたまま言った。

「じゃ、よしなさい。損するだけだから」

 彼女はさっさと部屋を出ていった。


 卓哉は身動きせず、じっと庭を見続けていた。雨音が心に沁み込んでくる。

「食べなさいよ」

 再び時子の声がした。

「いらないよ」

「いいから、食べなさい」


 時子は卓哉の前に葡萄の入った硝子の器を置いた。

「なにさ、子供は子供らしく素直になるのよ」

「子供でない。もう十八だから」

「へぇ、もう十八。、あきれるわ」

「よせよ、姉さんぶるのは」

 卓哉は大声を出した。時子は逃げるように部屋を出ていった。卓哉の胸は高鳴っている。雨しぶきが顔にかかった。吐息がもれた。


 葡萄を一粒摘まんで口に入れた。甘い香りが広がる。

 何もなかったように静かになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る