新しい丘
egochann
第1話
子供の声が聞こえなくなって何年になるどろうか、20年前は、政宏の家の前の公園には午後4時過ぎになると何十人もの子供たちが遊びその声が響いていたものだった。砂場で遊ぶもの、ブランコで遊ぶ女の子たち、ビニールの飛ばない玉で野球をする小学生たちが元気よく遊ぶ声が聞こえたものだった。そのころ政宏は大手電気メーカーに勤めていたのだが、海外取引担当のために、週に2日は深夜から午後までの勤務シフトだったから、夕方、自宅でくつろいでいると子供たちの声が聞こえていた。その声が癒しになっていたのだ。それから20年、ほぼ同じ時期にこの町に越してきた家族は子供たちが独立して、夫婦だけの家庭が増えて子供の声は消えていった。
政宏は3年前に会社を辞めた。定年後2年間は契約社員として働いていたのだが、恐ろしいばかりの技術革新に追いついていけず、退職を決意したのだった。その後も、かつての同僚から仕事に誘われたりしたのだが、都心まで通勤する不愉快さに思いを馳せたとき、嫌悪感しかわかなかったので、断った。政宏が住んでいる「緑ヶ丘住宅」は平成5年から分譲が開始された新興住宅街だった。都心まで私鉄で40分ほどかかるいわゆる「50キロ圏」の典型的な郊外住宅地で、子育て世代で、元手のないサラリーマンが30年ローンを組んで、子供二人を大学まで育てる資金計画にはぴったりとあう価格設定で、抽選になるほどよく売れた住宅街だった。入居してすぐに「自治会」が結成され、建築協定も出来て住宅街を「きれい」で「平和」な町つくりをしていこうという「意識の高い住民」が住む町として地元の新聞に掲載されたほどだった。
政宏は第一期の販売で家を買った。それまで住んでいた家を3000万円で売却して、ローンの残金を差し引いた現金を頭金にしてローンを組んで購入した。そのころ長男が中学2年生、長女が小学校4年生だった。転校しなければならなかったが、新築の一戸建てに住めることで子供たちも喜んだ。
それから20年。長男は大学を卒業して商社に入り、2年前に結婚をして孫も半年前に生まれた。長女は大学を卒業して北海道の道庁に就職して独立していった。
1年前から政宏は自治会長を引き受けていた。総戸数100軒ほどの自治会だからそれほど多い規模ではないのだが、さまざまな委員会があり、けっこう忙しい仕事だった。政宏は何気に引き受けたのだが、あまりの忙しさに現役で働いている人ではとても勤まらないと実感したのだった。
その日も、自治会館の会議室で防災委員会の会合があり、他の自治会では委員会のメンバーだけが出席するのだが、緑ヶ丘住宅の自治会では自治会長もしくは副会長が必ず出席しなければならない規約があり、それが大変なのだった。
「この秋の緑ヶ丘祭りで、地元の消防署の所長を招いて講演会をしましょう」とある委員から提案があった。だが、緑ヶ丘祭りはいつも町の中心部分にある公園で行われるので、野外で講演会というのもどうかという疑問が他のメンバーから疑問が出された。では、小学校の体育館でやればどうかと提案した委員から出たが、それでは会場がふたつになってしまい、実行委員会の人員が足りなくなるし、祭りに集まった人が分散されて祭りそのものが盛り上がらないという意見もあって、その提案は否決されそうになっていた。
そんなとき、会議室のドアが突然開いた。
「誰だ、身体障害者の駐車スペースにクルマを停めたのは。すぐに移動しろ」
自治会館の前の家の田坂だった。血相を変えている。またかと政宏は思った。いつものことだった。自治会館の駐車スペースは狭く、止められる台数が少ないためにどうしても身体障害者向けの駐車スペースに停める人もいるのだ。それを見つけては怒鳴り込んでくる。本来健常者がそこにクルマを停めることはルール違反になるのだから仕方ないのだが、田坂の講義が執拗だった。何か他に恨みでもあるのではないかというほどに執拗な行動だった。
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