第9話 裏での調整は慎重に

 どうしてこう問題は捩れて行くのだろう。

 暁良は呼び出された会議室で大きく溜め息を吐いていた。

 だからこの話の中心は路人だろ、とも毒づく。どうにもおかしい。

「どうだ? 暁良。あいつが結婚に向かないことはお前も同意しているそうだな」

 横で困った顔をする紀章を尻目に、呼び出した張本人である穂波は不敵な笑みで暁良に問う。

「ええ、まあ。あのお嬢様と釣り合うとも思えないし」

 暁良はどうして穂波があの見合いを知っているのか疑問だが、素直に答えないと後が怖い。というわけで正直な感想も付け足した。

「ほう。なかなか芯のある奴だとは聞いている。将来は父親の跡を継いで政治家になるのではと噂されるほどだ。旦那に科学者を貰おうというのも、どうやらそのための布石らしい。要するに現在の政策で必要な科学知識を手っ取り早く旦那から得ようという魂胆なんだよ。愛する相手から教わるならば文句もない。それに他の奴らも旦那の方に意見を求めることだろう。結婚はそういう意図を含んでいるんだよ」

 さらっと内幕を明かしてくれる穂波に驚くと同時に、さすがはあのお嬢様と暁良はうんざりしてしまった。

 強そうだと思ったが、まさかそんな腹があったとは。

 しかもあの面談では感じられなかったしたたかさ込みである。家庭に納まる気などさらさらないというわけだ。

「それならますます路人では困るだろ? 外ではしっかりしているかもしれないが、普段はポンコツだ。役に立たないよ」

 それならば余計に礼詞の方がいいなと、暁良は紀章の考えに同意する。

 路人がそんな人の旦那に収まれば、余計な問題を起こすに決まっている。というか、クマさんのぬいぐるみを抱いた姿に幻滅することだろう。事情を知らなければただのマザコン男だ。

「まあな。適任という面では礼詞だ。しかし、この大学のスポークスマンを務めているのは路人だぞ。いくら将来有望の政治家であるお嬢様にもそこまで見抜く力はないんだな。別に脳みそも問題ない。ただ日常生活が破滅的だというだけだ。さて、お前はどう理解させる? しかも相手は惚れているんだろ? 痘痕もえくぼという昔の言葉があるくらいだ」

 条件に無理があるんだよと穂波は笑う。この人、明らかに楽しんでいるだけだ。そのために今の情報を流したに過ぎない。暁良は顔を引き攣らせた。

「だとよ。赤松、どうするんだ?」

 しかし、問題解決のキーマンは自分ではなくもう一人、この会議室でずっと押し黙っている礼詞だ。色々と勝手に交わされる会話に異議はないのかと暁良は訊いた。

「――その、このことは路人に言わなくていいんですか?」

 勝手にあれこれ述べ、しかも悪口のオンパレード。それでいいのかと礼詞は思った。

「いいんだよ。見合いの話が来ている。ついてはお嬢様に諦めるよう説得しろ。これを命じて実行した時が怖い。あいつは馬鹿正直にやり遂げてくれることだろう。そもそも人付き合いの悪い奴だからな。お嬢様の気持ちなんて一切無視。傷つけるだけ傷つけて終わる」

 これが実の母親の言葉か?

 そう疑いたくなるほど穂波は辛辣だ。しかしさすが、的を射ている。路人に話せばとっとと見合いはなかったことになるだろう。しかしそれでは駄目なのだ。

 紀章としては世話になった政治家の娘。何とか穏便に済ませたい。それに若い女性の心を踏みにじる真似を容認できるはずもない。

「――そういうことだ。何とかお嬢様が路人本人に接触する前に食い止めるしかない。解ったな?」

 紀章はそう言い、礼詞に頑張れと無責任なことを言う。礼詞は困惑した顔をして、結局暁良を見るのだ。

 何たる堂々巡り。

「口説くってもな。接点がないぞ」

 仕方ないなと、暁良もこうやってアドバイスするから巻き込まれると解っていても助け舟を出す。するとそれならば一肌脱ごうと穂波が笑った。まったく、どこまでも女傑だ。

「接点など簡単に作れる。科学技術省の会議、その担当を路人から礼詞に変えればいい。路人は立ち上げの会議でさらに自分の研究が制限され、より祭り上げられることを嫌って逃走したんだ。この申し出には二つ返事で頷く。どうだ?」

 だったら最初から礼詞にしてやればよかっただろと、暁良は心の中でツッコんでいた。逃走の口実を自ら与えたようなものではないか。明らかに一年間の無駄が発生している。

 まあ、路人はおかげでのびのびのほほんと大学生活を送れるようになったのだから、結果オーライではあるが。

「その、私には無理です」

 しかしここで礼詞ははっきりと無理だと言った。あれほど自信満々、命じられれば何でもやる男とは思えない発言だ。

「なんでだよ?」

 だから暁良の問いは当然のものである。

「解らないか? あいつには人を惹きつける魅力がある。だから大学もあいつに色々と重要な役割を振っているんだ。それだけではない。やはり路人は天才で、自分はせいぜい秀才どまりだ。人前で説明することも、俺の説明はどこまでも大学の講義と変わらず、専門家にしか理解してもらえない。ああいう、他分野やまったく知らない相手も含む場で説明するのは、無理なんだ」

 意外な告白に、暁良だけでなく穂波も唖然となった。

 いつもは偉そうで大きく見える礼詞がしょんぼりしている。

 紀章は何か言いたげだったが、翔摩での失敗があるせいか口を噤んでいた。

「その、会議ってそんなに難しいのか?」

 あまりにどんよりと暗くなった会議室の空気に、暁良がおずおずと紀章に説明を求めた。

「まあな。予算の調整や色々なことをやる上での法整備の調整なんかもある。ただ説明してこれをやりますでは終われないものだ。自らも相当な知識を持って臨まないと相手に言い負かされる。それだけではない。何も知らない相手にどれだけそれが重要か説かなければならない。難しい立場だよ」

 紀章の説明はよく解らないが、路人がやっていたことが凄いことだというのは解った。そんなことを、あの適当のほほん男がこなしていたのかと驚きだ。

 それと同時に、やはり性根に合わないことをやっていたというストレスは凄まじいのだろうとも思う。路人が嫌気を差して逃走しても仕方ない。

「でもお前がやらなければ、お嬢様との接点は一向にできないぞ。なあ、その会議って路人だけ出るものなのか?二人で行けばいいんじゃないか?」

 暁良はどうせならば路人に会議での説明をやってもらっておいて、他を礼詞に振ればいいのではと思った。で、会議には二人で出席すれば問題ない。

「まあな。今までも何度か礼詞にも参加してもらっている。しかしその中ではやっぱり路人に目が行く気がするぞ」

 紀章はより惚れる結果にならないかと心配なのだ。外面だけがいいというのも困りものだった。

「ううん。そこはほら、何とか会話するところに持ち込んで」

「よし。次の会議には礼詞と暁良にも出席してもらおう。私も呼ばれている会議だ。その辺の調整は任せろ」

 何かとアイデアを出す暁良を見て、穂波はこれだと言い切る。しかし、それに暁良はええっと叫んでいた。

「文句は受け付けない。それにどうせ、路人の助手としてお前にはあちこちに出てもらうことになる予定だったんだ。少々早まっただけだよ」

 さらに追い打ちをかけるように穂波はそんなことを言う。

 暁良はどうしてあの日あの時、路人にちょっかいを出してしまったのだろうと、今更科学者狩りの罪の重さを実感するのだった。

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