第6話 赤松研究室の先輩たち
「おい」
穂乃花との面談を終えて大学に戻ってきた暁良に、そうぶっきらぼうな声を掛けたのは佑弥だ。
「何だ? 俺は今、猛烈に疲れているんだよ」
あのお嬢様は強敵だぞと、紀章が空気に飲まれてしまって礼詞へと目を向けられなかったところだ。ここはもう、腹を括って路人を結婚させるしかない。
「疲れている? 学生の身分のくせに生意気な。それより盗難事件はどうなった?」
同い年のくせにと、暁良はその言い分にむすっとなる。しかし相手はすでに研究員。たしかに学生の暁良よりかは忙しいだろう。
「そんなもの考えてられるか。こっちはその赤松のせいで大変なんだよ」
が、こっちも色々と仕事を抱えている。学生だと軽んじられても困るのだ。すると佑弥は何のことだと真剣な顔になる。
「先生のせいで? どういうことだ?」
「――教えてやってもいいけど」
暁良はこいつ丁度いいかもと思い直す。佑弥は今、礼詞にばっちり監視されているところだ。当然、説得する時間は山のようにある。路人と和解してもらえれば、何か違う策が浮かぶかもしれない。
「さっさと言えよ。どうせあの一色絡みだろ?」
さすがと、暁良は素早い指摘に苦笑してしまった。礼詞が常に路人のことで悩んでいる姿を見ているだけのことはある。
「そうだよ。路人に縁談が来ているんだ。ところが山名のおっさんは路人ではなく、赤松と結婚してほしいと思っている。複雑だろ?」
ざっくりまとめて言うと、それはそうだろうと頷かれてしまった。やはり誰の目から見ても路人は結婚に適さない人材らしい。
「問題はその相手のお嬢様が路人にべた惚れってことだ。どう勘違いしたものか、素敵なお方となっているんだよ」
こっちも困っているんだと、暁良はオーバーに肩を竦める。すると顔は良いからなと、これまた紀章と同じことを言う。
「そんなにイケメンか? ただののほほん男だろ? まあ、目の鋭い奴だとは思ったけど」
まあ暁良の場合、最初の出会いが悪い。科学者狩りをしていた暁良は、見た目からして科学者の路人にちょっかいを出した。そこで路人の作った罠に引っかかったのである。おかげで最初から変人としか思っていない。
「正面からまともに見てみろよ。大学で講義している時なんかはきりっとしている」
佑弥は凄い人だと解っているのかと冷静に諭してくる。いまさら路人の認識を変えるつもりのない暁良はああそうと受け流した。
「それよりだ。その縁談騒動で忙しいというのは解った。だが盗難は今も続いているんだ。俺が動くと俺のせいだと疑われる。ちゃんと手伝え」
佑弥は頼む立場だというのに偉そうだ。それに暁良はこいつもちゃっかり変人なんだなと脱力だ。
「それは自業自得だろ? というか、赤松は盗難に気づいていない感じだったぞ」
本当に物が無くなっているのか。暁良はその前提から疑う。
「無くなっている。そもそも被害者は俺だけではないんだ。それも筆記具やノート、その他細かなものばかりなんだよ。どうしでだろうな」
だから大騒ぎにならないともいえると、佑弥は困るものの被害が地味だと困惑顔だ。
「そんなものばっかりが盗まれているのか? やっぱり嫌がらせだろ?」
暁良はそうなると礼詞への嫌がらせではと疑ってしまう。するとそれはないと即反論があった。
「お前のところの一色路人とは違うんだ。先生が嫌がらせを受けるなんて断じてない」
あまりにきっぱりと言われ、はあと暁良は変な溜め息のような声しか出なかった。その嫌がらせを率先してやっていた奴は誰だとツッコミたい。
「ともかく、用事は終わったんだろ? 先生とその女性の結婚が妥当かどうかは知らないが、手伝ってやるから研究室に来てくれ」
佑弥はここで話していても埒が明かないと、暁良の腕を掴んで無理やり研究室へと連行した。もう礼詞にばれても構わないと思っている。ともかく地味な被害がこれ以上出ないようにするだけだ。
その勢いのままばんっとドアを開けて研究室に入ると、中では先輩研究員の二人が議論の最中だった。二人ともどうしたと目を丸くする。
「おう、宮迫。どうした?」
先に声を掛けてきたのは、礼詞よりも年上、32歳の野々上真一だ。無精ひげがトレードマークの、ちょっとおじさん感がある人物である。
「あ、先輩。あの盗難事件ですよ。その解決のために一色先生のところの助手を引っ張って来ました」
さすがに先輩たちの前で路人を呼び捨てには出来ず、佑弥はちゃんと先生と言った。それに暁良は吹き出しそうになる。
「へえ。君が山名先生に見込まれて飛び級したって子か。初めまして、野々上です。こっちは金岡」
真一は人懐っこい笑みを浮かべ、そう言って横にいたもう一人の研究員、金岡春樹を紹介する。こちらも礼詞より年上の30歳。冷たい印象の顔立ちの青年だ。
「色々と無くなって苦労している。手数をかけるが協力してくれ」
春樹はにこりともせずにそう言った。暁良は色々な奴がいるなと呆れてしまう。研究員というと堅苦しい感じの奴ばかりかと思っていた。しかし春樹のようなイメージ通りの奴の方が少ないという事実にぶち当たっている。
「その、筆記用具とかなんですよね? そんなに困りますか?」
そもそも先輩二人も解決したいと思っている事実に驚きだ。どうしてかと訊ねたくなる。
「それは当然だろ。研究員なんて薄給だぞ。僅かな金でも惜しい」
無精ひげをじょりじょりと触りながら、真一は遠い目をした。世の中がどれだけデジタル化しても、紙と鉛筆は必要だしなとも付け加える。
「それに本や電卓といった値の張るものも盗まれている。少額の物ならばまだ失くしたのかと考えられたが、そういうわけでもないと確定した。ここは犯人を捕まえ、目的を聞き出すべきだろう」
横にいる春樹は犯人を捜す妥当性を述べた。すでにキャラの差がはっきり出ている二人に、暁良はどうしたものかと悩む。
「その、金岡さん。本ってどういうものですか?」
ここは理論的に話してくれそうな春樹に訊くべきか。そう思って暁良はまずそちらに質問した。
「俺の場合は人工知能の教科書だな。あれは5000円近いだけに痛かった。こいつは何故か車の雑誌を盗られたらしい」
被害が少額でよかったなと、春樹は真一を睨んだ。しかしあれには重要な情報が載ってたんだと真一はすぐさま反論する。面白コンビらしい。
「そんなに色々と無くなっているんですか。どうしてだと思います?」
暁良はそんなに盗まれていることの方が問題だろと、この研究室のセキュリティを疑った。
「いや、だから研究室の中では盗まれないんだよ。他の教室を使っている時とか図書館で作業している時とか。そういう、僅かに目を離した時に盗まれている」
そうですよねと、佑弥は二人に確認した。すると二人もそのとおりと頷く。
「他の研究室の奴らに聞いても、そんなことはないと言っていた。つまり、俺たちが標的になっているのは間違いない」
春樹はどこのどいつだと眉間に皺を寄せた。おかげで余計に冷たい印象になって怖い。
「ライバルである一色先生が、連れ戻された嫌がらせにやっているのかとも考えていたんだけどな。あの先生、より面白くなっただけで復讐とか考えてなさそうで真っ先に容疑者から外れちゃったよ」
そう言って真一はゲラゲラと笑う。おかげで手掛かりゼロだと呑気に付け加えてくれた。
「はあ」
奇妙な盗難事件は本当に起こっていたのだ。それも礼詞の周囲だけで。何かと問題が礼詞に集約していくのは気のせいか。
「やはりここは赤松先生に協力を頼むべきではないですか?」
暁良がそう提案すると
「じゃあ、頼むな。俺たちが進言しても自ら解決しろと言われて終わるからさ」
あっさり真一にそう返されてしまった。なるほど、佑弥が必死に暁良を引き込もうとするわけだ。
「ったく、何だよ。あの偏屈野郎」
思わず暁良はそう悪口を言ってしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます