第4話 89.27パーセント

 翌日。取り敢えず解決すべきは見合い問題だと、暁良は翔摩とともに礼詞の元を訪れていた。

 相手の政治家のお嬢様と会うのは二日後だ。それまでに礼詞の気持ちを確認しておく必要がある。

「二人揃ってどうした? また路人が何かやらかしたのか?」

 研究室のドアを暁良が明けると、開口一番で言われたのはこれだった。やはり礼詞の頭を悩ませているのは本性を現した路人以外にないらしい。

「いえ。今日は山名先生のことで」

 そう翔摩が言うと、礼詞は不可解だという顔になる。しかし、紀章のことを無視できるわけないので、話を聞くことは承諾した。

 礼詞の研究室は本人の性格を反映したかのように綺麗だった。物が整然と並び、机の上には無駄なものが置かれていない。

 まさに路人と対照的。

「そういえば、最近盗難事件が起こっているそうですね」

 翔摩が黙っておいてくれという佑弥の言葉をガン無視してそう問う。暁良はおいおいと思ったが、解決すればいいのでまあいいかと止めなかった。

「盗難事件? 俺は聞いていないが、そういえばよく学生が失くし物をしたと言っているな」

 お前の耳には入っているのかと、なぜか礼詞は質問した翔摩ではなく暁良を見る。どうしてそう自分を頼ってくるのか。あいつの中で俺ってどういう存在だよと嘆きたくなる。

「そうらしいですよ。俺は宮迫から聞きました」

 まったくどういつもこいつも、そう顔に全開に出しながら暁良は言った。すると、礼詞はふむと頷く。

「後で訊いておこう。それで用件は何だ?」

 礼詞は来客用にと置かれているソファを二人に勧めながら訊いた。ちゃんとコーヒーも出てくる。総てが路人と真逆だ。

「それがですね」

 どうすると、翔摩は話の切り出し方が解らないと暁良を見た。失語症を経験するだけあって、会話が苦手なのだ。

「山名のおっさんが妙な話を持ってきたんですよ」

 仕方ないなと、暁良が総て説明することになる。初めは路人への縁談だとと驚きあきれていた礼詞だが、それが徐々にわが身に降りかかることとなると顔から表情が消えた。それはもう大丈夫かと不安になるほど真顔である。

「――というわけで、路人との縁談話がお前との縁談になっているんだよ。山名先生の中では」

 そう締め括ると、礼詞は真顔のまま何の反応も示さない。いや、示せないのか。

「ショックが大きすぎたのでは?」

 さすがに翔摩も理解不能なのだろうと心配になり暁良に耳打ちする。

「まあ、意味不明だよな。縁談が断れないからって他に振るって、その発想が普通はない」

 暁良も話を聞いた時のことを思い出して同情した。紀章の頭の中もカオスになっているのだろうが、それにしても変な発想なのだ。

「――その、二人に相談があるんだが」

 ようやくショックから立ち直ったらしい礼詞がそう口を開いたので、厄介事は止めてくれよと思いつつ二人は頷く。

「その――二人は女性の相手をしたことがあるか?」

「はっ?」

 質問がどういう意味なのか。理解できずに二人は同時に間抜けな声を出すことになる。

 女性の相手って、デートのことなのかその先のことなのか。いや、聞き方からしてその先か。

「その、だな。路人もそうだと思うんだが、俺たちは異性とは研究者としか会ったことがない。つまり、同世代の女性の友人すらいないんだ。一体どういう会話をすればいいのか。それすら解らない」

「――」

 衝撃の告白ってこういうことを言うのか。暁良はそう思うが翔摩には解ることらしく頷いている。ううん、やっぱりこの大学に飛び級で入る奴らは特殊だ。

「解ります。昔から日本の理系には女性が少ない。すると必然的に出会いはないんですよね。それも飛び級で入っているために同世代となると難しいです。俺も、初めて桜井が路人さんの研究室に加わった時はどうしようかと悩みました」

 今でも振り回されている感のある翔摩は、そっと溜め息を吐いて白状した。彼は瑛真相手にも気苦労が絶えないということらしい。

「あのさ。そういうことを悩むってことは、縁談は受けてくれるのか?」

 それより重要なのはこっちだと、暁良は訊く。すると礼詞はあっさり無理だと言い切った。

「無理って」

「いや、俺がどうこう言える問題ではないんだろうけどな。相手は路人がいい、つまり路人を見初めたわけだろ? それなのに俺が代わりになっていいのか?それは相手に失礼だと思うのだが」

 何とも真っ当な意見。暁良は初めて礼詞を見直した。こういう常識的な考えが出来る奴がいたのかとほっとしてしまう。

「それにな。俺は研究で忙しい。家庭を持つというのは相応しくない。まだまだやるべきことは沢山あるんだ。それよりも路人を真っ当な研究者に戻すことに専念したい。いや、あいつが真っ当になれば何の問題もないはずだ。うん」

 見直したがダメなのは一緒だなと暁良は悩む。どうにも路人のことで頭が占拠されてしまっている。

「あのですね。その縁談、穏便に断るなり何なりしないといけないんですよ。でも、それを路人が出来るわけないでしょ?だから先生の力がいるんですよ」

 仕方ないなと、暁良は裏側までばらす羽目になる。これでは話が何も進まない。

「――穏便にか。そうだな。本人も断って代わりも何もしないというのはダメか」

 一応は納得する礼詞はまだ扱いやすい。暁良はよしよしと胸を撫で下ろす。

「二日後に俺と山名先生でそのお嬢さんに会って来るからさ。まあ、結婚生活なんて悩むことないだろ?うちの母さんなんてノリで結婚したとか言ってたぞ」

 気楽に考えろよと、まったく参考にならない話をする暁良だ。一般家庭の結婚とほぼ政略結婚の差は考慮されていない。

「ノリって。それはないだろ」

 そしてあっさりと礼詞に否定される。こっちの気を使っている発言に対して否定するんじゃないと、暁良は笑顔が引き攣った。

「これ、そのお嬢さんの写真です」

 本来は路人に渡されるはずだったお見合い写真を、翔摩は礼詞に差し出す。こういうのを今時ちゃんと用意しているあたりにも向こうの本気が垣間見えた。これは断るのは大変だろう。紀章が代打を用意したくなるのも解る。

「うっ。見てしまうと引き返せない気がするが」

 映画でしか見たことがないなこれと、礼詞は受け取りつつすでに顔が引き攣った。そしてそろっと中を開ける。まだ見ていない二人も身を乗り出した。

「おおっ。美人」

「さすがは良家のお嬢様というところか」

 暁良と翔摩はその写真に素直な感想を述べた。着物姿の見合い相手は本当に美人だった。この人が路人に惚れるなんてあるのか。そう疑いたくなる。暁良はネット動画で見た昔の番組に出てくる広瀬すずみたいだなと勝手な評価もする。要するに清純派だ。

「――はあ」

 そして当の礼詞から出てきたのは溜め息だけだった。その顔は少し赤い。

 ひょっとして惚れたか。暁良は期待するも礼詞は無理だなと首を振る。

「お嬢様ということは自ら何もできない可能性がある。それは非常に厄介だ。万が一、断り切れなかったことを頭の中でシミュレーションしてみた。すると家庭が破綻する確率が89.27パーセントまで上昇した。うん。何とか断る方法を、俺が直接会うまでに考案する必要があるな」

「――」

 一体その確率はどうやって弾き出したんだ。暁良だけでなく翔摩も口をあんぐりと開けてしまっている。しかし本人が断る努力をしてくれるならばこっちは何も言うことはない。

「でもさ。山名先生はどうにか結婚させたいのではなかったか」

 礼詞の研究室を後にしてから、翔摩が前提が間違っていると気付く。

「いいんだよ。そこは当人同士の問題だろ。それよりも俺たちは路人の研究を手伝いに戻ろう」

 暁良は蒸し返すなと注意し、これがとんでもないことに繋がるとは考えずに終わった気分になっていたのだった。

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