第3話 問題発生 その③

「おおい、起きろ」

 クマのぬいぐるみに抱きついて眠る路人を起こそうと暁良は肩を揺するが、寝入ってしまったようで一向に目を覚まさない。こうなるともう地震が起きても気付かない。

 それを知る暁良は溜め息だ。また今日も何時に帰れるか解らない。

「こらっ、寝るなら眼鏡を外せ。割るぞ」

 暁良は仕方ないなと、路人の丸眼鏡をそろっと引き抜く。まったく、無邪気な顔で寝やがって。

「暁良」

 丸眼鏡をふりふりと眠る路人を睨む暁良に、翔摩が気の毒そうに声を掛けてきた。一体何だと振り向くと、翔摩が入り口を指差している。

「――」

 また厄介事だ。そう直感した暁良は入り口を見ずに済ませたかった。しかし相手が誰か解らないのは気持ち悪い。

「げっ」

「げっ、とは何だ? ちょっといいか?」

 振り向くと同時に叫んだ暁良に、入り口で腕を組んでこちらを睨む山名紀章は不機嫌だ。しかし用事があると手招きする。

 今度は紀章かと、最も厄介な相手に暁良は肩を落とす。紀章のおかげで無事に飛び級試験を突破できたものの、そもそも紀章が自分を路人の助手にすると決めなければ受けずに済んだ。何かと複雑だ。

「何か用事ですか?」

 隣の紀章の研究室に連れ込まれ、絶対に厄介事だと解る暁良はぶっきらぼうに訊く。

「大事な用だ。これは火急速やかに対処する必要がある」

 紀章は不機嫌な顔のまま、そう重々しく告げる。

 一体何があったのか。嫌な予感しかしない。

「何をです?」

 ああ、確認したくない。そう思いつつも訊く以外に選択肢がない。

「路人に見合いの話が舞い込んでいる。が、あいつには研究に専念してもらわねばならん。というか、普通に振る舞うなんて不可能。見合いも結婚も上手くいくはずがない。解るな?」

 言っているうちに興奮した紀章は顔を真っ赤に同意を求めてくる。

「はあ、つうか見合い?」

 路人にとってとてつもなく縁遠い話に、暁良は首を傾げる。相手を間違っているのではないか。

「そう、見合いだ。相手は科学技術省立ち上げで世話になった政治家のお嬢様だ。無下には出来ない。が、路人を出せば自ずと失礼なことが起こる」

 そうだなと、紀章は目で同意を求める。それは暁良も容易に想像出来るので頷くしかない。問題はその先だ。

 暁良を呼びつけて一体何を企んでいるのか。このおっさん、まともそうに見えてしっかり変人なのだ。油断できない。

「そこでだ。路人を諦めてもらい、科学者の婿がほしいなら礼詞はどうかと勧めたい。これを手伝ってくれ」

「――はい?」

 たっぷり間を開けて暁良が聞き返したのも無理はない。色々とツッコミどころ満載だ。というか、色々と間違っている。

「はい? ではない。お嬢様としては路人がいいと言っているようだが、親代わりの俺が見ても心配なところしかない。そんな相手と結婚して苦労させるわけにはいかないだろ」

 違うかと、そう問われても暁良は困る。確かに紀章は路人の親代わりで合っているが、信用度ゼロとは凄い。

「だからって赤松なら上手くいくって保証もないでしょ?」

 一先ず他の候補として礼詞にするという案を止めないか。暁良は真面目であるが故にずれまくる礼詞と路人はどっこいどっこいにしか思えない。

「いや、礼詞ならば問題ない。見た目も路人に見劣りすることはないだろ、うん」

 結局基準は顔かと、暁良はこっそり溜め息を吐く。まあ、どちらも顔はいいだろう。黙っていればイケメンの部類には入る。

「いいか。まず俺と一緒にお嬢様に会い、路人のことを諦めさせるんだ。そして礼詞の写真を見せて素晴らしさを解く。その前に礼詞を言いくるめないとな」

 着々と企みを進める紀章に、暁良はもう止められない。

礼詞に結婚するよう説得。それだけで無理だろう。しかも路人に惚れた相手となれば尚更だ。

「何で問題しか起こらないかな」

 華やかな大学生活を夢見てた暁良は、脱力してしまった。





「――それは無理だろう」

 路人の研究室に戻ると、困り果てた暁良は論文を書き終えて休憩していた翔摩に三つの相談事を早口で喋った。もちろん、一番喋ったのはお見合い騒動だ。で、翔摩はあっさり無理と言ってくれる。

「無理じゃ困るよ。山名のおっさんが言い出したら聞かないのはお前も知ってるだろ?」

 紀章のせいでストレス性の失語症を発症したほどの翔摩だ。その言い出したら一直線の性格は身を持って知っている。

「そうだけどな。路人さんを連れ戻すだけで1年半掛かったんだ。人間の難しさは理解してると思うんだけどな。そろそろ」

 何とかお見合いそのものを諦めさせることは出来ないか。翔摩はそちらに時間を割いた方がいいと思っている。

「いや、懲りてないね。路人のことは、自分の育て方が悪かったくらいで終わってる。あと、俺を介入させればいいとか、妙な思考回路に陥ってるね」

 絶対に諦めないだろと、暁良は買ってきたコーラを飲みながら嫌になる。

 問題の三つとも暁良に相談するという形で持ち込まれていることに、そもそもの問題がある。どうやらこの大学のメンバーは本性を現した路人との距離感がまだ掴めないらしい。

「ま、今まで大人しく研究していた人が実はとんでもない変人とは、すぐに理解できないよな」

 翔摩はずっと必死に本性を隠す路人を見ているだけに、そのギャップの大きさもよく解っていた。だから紀章たちがもて余すのも仕方ないと思う。

「どうする?赤松はまず今の路人が認められなくて変になってんだぞ。盗難事件は置いといても問題ないとして、ここをクリアしないと見合いもへったくれもない」

 何をするにも礼詞と路人を仲直りさせるしかない。暁良はそう主張するも翔摩は乗り気ではなかった。

「それが大問題だよ。20年以上の確執だ。赤松先生が素直に路人さんの変化を受け入れるのも難しければ、路人さんに少しは昔のように振る舞えと言うのも難しい。平和的な解決には時間が必要だ。見合いには間に合わん」

 翔摩はだから話自体を消すしかないと首を振った。どうして紀章はその場で断らなかったのか。

「相手が相当厄介ってことか」

 二人同時にその可能性に気付き、同時に深い溜め息が漏れる。最悪とはこのことだ。

「誰を説得するのが早いか。それを考えての赤松かよ」

 暁良は思わず頭を掻きむしった。こんなことあるか。

「なるほど。山名先生もさっさと路人さんの説得を諦めるわけだ。つまり、見合いは成功しなくてもいいんじゃないか?」

 翔摩は相変わらずクマのぬいぐるみに抱きついて眠る路人を見た。結婚なんて、夢に見たこともないだろう。そのくらい締まりのない顔をしている。

「いや、それはないと思うね」

 失敗させたいならむしろ路人を引っ張り出すだろう。本人がこちらの意図を伝えなくても壊してくれるに違いない。

「協力はするが、あまり期待しないでくれ」

 結局、紀章も何一つ変わっていないとの結論に達した翔摩は渋々協力することになるのだった。

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