腑に『落ちた』恋でした
事の始まりは単純です。
私、
お昼ご飯を頂いた私は、とてもとても夢見心地でした。
私の右手には体育館がございます。体育の授業は勿論、放課後には部活動で毎日賑わいを魅せる場ですね。ですが昼休みは利用ができない規則となっております。ですので今の時間の体育館とその周辺は非常に静かです。
その体育館の方向から人の声がしたのです。それも2人分。
昼休みですので誰がどこへいらっしゃろうが自由でしょう。それが偶然体育館だっただけ。なのに、私は酷く気になって、声の発信源へ近づいておりました。
体育館の入り口は、西館に向かう道中に分岐しております。移動するのは楽でした。耳に入る声が大きくなるにつれ、私も足音を小さくいたしました。四隅に着くと、幾らかの単語が耳に飛び込んでまいりました。壁にくっついてそぉうと耳を澄ませば、なんと。好き、という言葉が聞こえてくるではありませんか。きゃッと叫びたくなる口元をすんでの所で抑えます。無粋、無粋です。
告白とは女の子の聖戦なのです。
私は未だにありませんが、告白する娘という生き物は皆、恋しいお方の心を射止めるべく身を尽くすのです。ちょいとでも可愛らしいと思われたいから、リップを塗り。一瞬でもおや、と見つめられたいから髪を
そんな戦乙女の決死のお言葉、私の喧騒で水を差すわけにはまいりません。私は石、これからこの壁の白い石になって私は見守るのです。
両手――先生のノートは傍らに置きました――で口を抑え、私はじっと傾聴します。名も知らぬ戦乙女によるエピソードは加速します。遠くからお姿を拝見していたことから、彼の人の部活動に対する姿勢に感銘を受けただの、どれどれこういう話をして会話が弾んで嬉しかっただの。聴く度、私の口角は上がりました。嗚呼、はしたない、はしたない。
わかっております。これは盗み聞きです。しかも赤の他人の。私は意地汚い娘です。今すぐにでも止めるべきなのです。
なのに。
戦乙女の旋律がマルテラートを刻む度、私の頬は熱くなります。戦乙女のソプラノがフォルテとピアノで揺れる度、私の心は波立ちます。嗚呼。私は
戦乙女の玉音が止みました。あとは彼の人のお言葉を待つばかり。蚊帳の外の私もそわそわ、そわそわと気持ちの凪が訪れません。まだでしょうか。大丈夫、大丈夫です。あんなに熱を込めてお心を告げたのです。彼の人にもきっと届かれました。
結末は冒頭の通りでした。
砂利に座した私はたっぷりと息を吐いて、吸います。そしてまた吐きました。心には小雨が降ってまいりました。とても冷たい、冷たい雫です。
何故と思わずにはいられません。戦乙女、名も知りませんが、彼女は本気でした。その言の葉も始終、清いものでした。そんな彼女の心は彼の人には全く響かなかったのでしょうか。
どうしてと彼女も伺います。少しだけ涙で濡れた声でした。
「今はどうしてもそんな気持ちになれないんだ。だから、ごめんね」
少し低い低音は存外、澄んでおりました。お言葉こそ軽薄でしたが、私は彼の人自身を浅ましく思えませんでした。
当然ですが私を置き去りに、彼の人と彼女は数回言葉を交わします。そして彼女は東館へ、静かに去って行かれました。私の胸に一抹の侘しさが到来しました。どうも彼女の気持ちを考えると物悲しくなります。野次馬風情が身勝手です。なのに気を緩めば涙が出てしまいそうです。
彼女の足音が消えました。すると彼の人も砂利を踏まれます。しかし、なんと、西館近くのこちら側へ近づいて来られるではありませんか。このままでは間違いなく見つかってしまいます。どうしましょう。今度こそ、はしたない子と露見されます。一刻も早く身を隠さねば。
ノートを拾った私は首をぶんぶんと振り、救世主を発見いたしました。すぐに忍び足、且つ急ぎ足という矛盾を抱えて西館方面の
ほっと胸を撫で下ろした頃でした。きゅッという足音を聞いたのは。
タッチの差というものでした。胸が五月蠅く響きます。ぎゅッときつく目を瞑りました。大丈夫、大丈夫なはずですが。嗚呼、もしも、見つかってしまいましたら。咎められましたら、どうしましょう。
しかし何も起きませんでした。リタルダンドな足音へ胸も静かになっていきます。私の尊厳は喪われずに済みました。盗み聞きという行為は今も申し訳ない思いでいっぱいです。が、もう過ぎてしまったこと。過去は覆せませんから、自戒を示すには未来の行動あるのみでございます。では、早速行動に移さねばなりませんね。私は抱えたノートを整えます。西館へ向きました。
そして、去り行く彼の人を見てしまいました。
彼の人は西館へ進まれていました。横側のご尊顔はきりりと引き締まっていて、深い湖畔のような聡明さが伺えます。ぴんと伸びた背は、金剛石のような確かな意思が伺えます。そよ風に
気がつけば、私の胸は
私は独りの廊下を進みます。急いではおりませんのに、足は
きゃあッ、やだッ。思わず西館内の階段を駆け上がりました。いつの間にか室内にいたようです。はしたない。でも今は私の心が一番はしたない。そう違います、違うのです。彼の人はこんなことなさいません。第一、私のことを存じておりませんし。どうして、なんで。私はこんな厚かましい妄想をしてしまうの。こんなのまるで、あの名も知らぬ彼女のよう。
目から鱗が落ちました。
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