第18話 夢を見せてあげる

翌日からは、朝食のあとは決まって作戦会議の時間となった。

もちろん作家さんも自然と集りに参加をしてくれたけど、どういう訳か食事だけは自分の部屋で済ませてからの出席で、呼びに行くのはあたしの役目―それでも全員が同じ目的に向かっている事には変わりはないわけだから納得できる仕事だ。あの部屋の中だけは見ないようにしたけれど。


ジュディーさんの歌声は日に日に陽気で軽快なものになっていって、花屋さんは時折興奮しながら「HOHOHO」と笑うようになった。ダンサーさんが語ることはなかったけれど、感情表現は右手で表すようになっていた。OKなら親指を立てる。NOなら顔の前で横に手を振るという具合に。

おしゃべり男のお調子者ぶりは相変わらずだったけど、作戦会議が白熱しだすとその才能は開花した。一瞬にしてみんなから攻撃対象とされてしまうからだ。

それでも笑っている彼は自分の役回りを心得ているようにも思えた。

絵描きさんは進行役。

話をまとめるのも上手い。色違いの瞳は朝日に輝いてとても美しくて、あたしはその魅力に幾度となく引き込まれた。そして不思議に思った。


「絵描きさんはなぜここにいるのだろう?」


それはこのABARAYAの住人たちは、一般の社会ではあまり受け入れられていない人達なのではないかと勝手に考えていたからだけど、絵描きさんはあたしの知り得た人間の中でもかなりの人格者のように見えたし、みんな絵描きさんが話を始めると熱心に耳を傾けていたのだ。

実際、作家さんが初めて提出してくれた台本は、百ページ以上の文学的な内容でとてもやれたものではなく、しかも登場人物が五十人という実演不可能な代物だった。

あたしを含めてみんながどう発言したら良いのか悩んでいる時も。


「作家さん、もうちょっとレベルを引き下げられる? そうね、もっと簡単な筋書きみたいなものでいいの。幻想的で美しいもの…台詞とかは要らないわ。一人の女の子が一生忘れられない光景を作ってあげて」


と、絵描きさんはにこやかに言って、その言葉に作家さんは嫌な顔もせずに「了解した」と頷いただけだった。

あたしにはそれが先生と生徒の関係に映ってしまったのだ。

だから絵描きさんがこの場所にいることが不自然な感じもしたけれど、その存在は大きくて、紳士やあこちゃんのいない今となっては必要不可欠な存在である事に違いはない。

言ってしまえば精神的な支えだ。


二月の始め、あこちゃんからのビデオレターにみんなは歓喜した。

あの頃と同じ笑顔で笑ってくれているし、その傍らには紳士の姿も見える。

東京の大きな病院でしっかりと検査をしてくれているみたいだ。

あこちゃんんは顔半分くらいの大きさのマスクをしていて、紳士もマスクをつけていた。

おしゃべり男が「まさか口裂け女になったんじゃないの?」と言うと、ジュディーさんが「年齢がばれるわよ!」と言った。みんなは笑ったけど、ノートパソコンの画面に映るあこちゃんだけが不安そうな顔をしていた。

当然の事なんだけど、あこちゃんは口裂け女のお話は知らなかった。


「マスクをつけすぎると口が裂けちゃうの?」


あこちゃんのその発言もまた可笑しくて、みんなは大笑いしていた。

この頃になると、ショーの内容もみんなの役割もしっかりと決まっていて、それぞれが与えられた仕事を一生懸命にこなしていた。

作家さんは台本の手直しや照明や音響の段取り。舞台監督という重要な任務に昼夜問わず悩み苦しんだ。それでもお掃除に手抜かりはなく、手すりや絨毯、壁や窓もいつもピカピカにしてくれていた。この人は眠らないのかしら? あたしはいつも思っていた。


照明と音響係はおしゃべり男と花屋さん。

おしゃべり男の「機材はお手のもの」という話には偽りはなくてあたしはほっとした。花屋さんが気がかりだったけど、機器の扱いを一度聞いただけで記憶してしまう能力にあたしは愕然としてしまった。普段の生活での認知力とあまりにかけ離れていたからだ。

ショーのステージにあがるのはダンサーさんとジュディーさんで、音楽に合わせて何度も何度も稽古を積み重ねていった。

絵描きさんはもちろん美術監督。大きなパネルに絵を描いてはやり直しの繰り返し。だけどその作業に専念している姿は芸術家のようで素敵だった。

あたしは雑用を自分から買って出た。必要な備品をインターネットで購入したり、裁縫は苦手だったけど簡単な衣装をこしらえたり、時には伝達係となってみんなの間を縦横無尽に駆け回った。けれど楽しかった。心地よい疲労感で毎日熟睡もできた。

特急電車に乗って目的地へ向かっている。そんな感じがしてならなかった。


二月の中頃。

久しぶりに東京からビデオレターが届いたけれど、そこにはあこちゃんの姿はなくて、紳士だけが映っていた。場所は病室ではなくて屋上からのものだった。

曇天模様の下、小雪がちらついている。

雪を見たことのない花屋さんは大喜びしてその場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

みんなからも歓声が沸き起こったけれど、姿の見えないあこちゃんが気がかりだった事には間違いないのだろう。時折の沈黙がそれを物語っている。

紳士がボイスレコーダーを取り出してあこちゃんの声を聴かせてくれた。みんなの気持ちを察してくれたのか、今ここにいないのは別の病室で再検査をしているからとも言っていた。

みんなあこちゃんの一言一言を聞き逃すまいと耳を傾けていた。


「みんなは…元気ですか…あこは、とても元気にしています…ちょっと…うん…ちょっとだけ…時間がかかってるけど…ちょっと…帰るのがおそくなっちゃうみたい…だけど…待っててね…春に…春くらいになったら…また会えるよ…それまでね…」


前よりも声は弱弱しかったけど、あたし達はあこちゃんの言葉を信じて、今まで通りの事を今まで通りに進めていった。

春になったら会えるんだ。

あこちゃんの驚いた顔、笑った顔、はにかんだり照れくさそうにしている姿、その隣で優しく語りかけてくれる紳士の声やしぐさ。それだけ観れたら良いんだ。あたし達の心はひとつになっていた。

神様お願い。素敵な春になりますように。あたしは幾度も心で呟いていた。


三月一日。

早朝にジュディーさんの声がホール中に響き渡った。


「みんな! あこちゃんね! 三月三日に帰ってくるって! たった今連絡あったわよ!」


中庭で絵描きさんのお手伝いをしていたあたしは「やった! 神様!」と叫んだ。

それを見た絵描きさんは満面の笑みで。


「今日と明日は、みんな眠れないからね」


とあたしに抱きついて胸に顔を埋めた。

しばらくすると、じんわりと温かな感触があたしのシャツ越しに伝わった。

絵描きさんの身体は小刻みに震えている。

あたしは思い切り、絵描きさんの丸くなった背中を引き寄せて言った。


「もうすぐショーが始まりますよ」


三月三日。

朝、みんなと食堂でクロックムッシュを頬張りながら最後の作戦を立てた。

あこちゃんの姿が見えたらすぐに行動を開始するのか、それとも時間をきっちりと決めるべきなのか。花束を誰が渡すのか。また、最後までもめていたショーのプロローグの音楽はバッハにすべきかウィルヘルミにするべきか否か…結局は多数決となってバッハに決定した。決め手はチェンバロの音色だった。ウィルヘルミを押していたジュディーさんはがっかりしていたけど実はあたしもジュディーさんと同じ気もちだった。



チェンバロの音色って針金っぽいんだもん…って。

花束はあえて渡さない事になった。

その代わりに目いっぱいのお花を心に焼き付けてあげるのだ。

時間は夕方四時。そのあとはみんなで楽しいディナータイム。きっと笑い声が絶えない時間になるはずだ。メニューはあこちゃんが大好きなビーフシチューと山菜のカクテルサラダ。それにお手製のロールパンとふわふわミルクのカフェラッテ。

一本の電話があって、あたし達はホテル前であこちゃん達を出迎えた。

マイクロバスから紳士に支えられるようにして降りて来たあこちゃんを見て、みんなは言葉を失ってしまった。

大きなマスクをしていても、前よりも瘠せてしまっているのがわかる。

肌の色もくすんだ感じで、何よりも車いすがないと歩けなくなっていた。それが衝撃だった。

知らない男の人と若い女の人もいた。

紳士はあこちゃんの面倒を一緒に見てくれる人って言ってたけど、あたし達はその二人がお医者さんだという事を瞬時に悟ってしまった。誰もそれには触れないでいた―。

重たい雰囲気を打ち消してくれたのはあこちゃんの一言だった。


「ジュディーさん、今日のご飯はなあに?」


その声がハッキリと聞き取れたのであたしは少し安心した。前よりかは回復に向かっているみたいだ。

ジュディーさんが一瞬考えたあとで。


「ビーフシチューよ」


と言うと、あこちゃんは「わぁい」と目を輝かせて喜んでくれた。

紳士もみんなも、そして先生たちも笑った。

夕方四時に外れ劇場前に集まるようにと絵描きさんが告げると、あこちゃんの瞳は一層輝いて見えた。

あたし達はそれを見て奮い立った。

一生心に残る光景を、美しい夢の世界を見せてあげるんだって―。

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