第17話 虚言癖と誇大妄想と裸のマネキンに恋した変態?
食堂にぽっかりと空いたあこちゃんと紳士の場所―その席には大きなクマさんとちいさなクマさんのぬいぐるみが腰掛けている。
両方ともに前掛けがされていて、テーブルにはお茶碗とお箸までちゃんと揃えられてあった。
「いつもの決まりが崩れちゃうのが嫌なのよ」
ジュディーさんはそう言っていたけど、その行動にはあこちゃんへの願いがこもっている。あたしにはそう思えた。
あたしはここに来たばかりだから推測でしかないけれど、この食堂はみんなにとって…部屋に引きこもって食事をする作家さんは例外だけど…家族の象徴みたいな場所なのかも知れない。
みんなで集まってたわいもない話をして「これおいしいね」とか「これキライ」だとかお喋りをして、だけどママの作る試行錯誤のメニューが毎日気になって心の隅っこで楽しみにしている。
そんな時間をみんなで共有できる家族の理想像がここには確かに存在しているみたいだ。
そうじゃなきゃ、ここに集まる必要なんてないもの。
あたしの思いとは裏腹に、お腹の虫たちは大喜びをしていた。
だって今晩のメニューはスキヤキなんだもん。
グツグツ美味しい音をたてながら、お豆腐やシイタケや、お肉や春菊がお鍋の中で踊っている。
でもウキウキしているのはあくまでもお腹の虫さんたちで、あたし自身の気持ちは靄がかかったように重たくなっていた。
何にもできない自分が後ろめたいのと、不安感に負けそうになってしまう事実に耐えられないのだ。
だからって訳じゃないけど、あたしはさっきからネギとニンジンばっかりを食べているような気がする。
こんな時にお肉ばかりを頬張っているのはおしゃべり男だけで、絵描きさんやダンサーさん、ジュディーさんですらお箸は進んでいなかった。
花屋さんは卵をずっと混ぜ続けていてもはやメレンゲみたいになっている。
「俺さ、牛丼屋さんでね、あ、行ったことあるでしょ? あそこで卵頼んで混ぜるじゃない。んでさ、最後に箸をカンカンって茶碗で音出す人っての、あれが理解出来ないんだよね。何なんだろねアレ。ひと仕事終わった達成感ってやつかね?」
おしゃべり男は笑いながらみんなを見て続けた。
「そこへ行くとさ、花屋さんは凄いよねうん。だって混ぜて混ぜてもう十分くらいになるよ。まだ箸カンやらないでしょ。あ!箸カン!いいねいいね。流行語になっちゃたりしちゃったりしてさ。大賞頂きでさ。んでパーティーとかバッチリ決めちゃってさ。んでマスコミにまた追われちゃうのやだなあ」
花屋さんは一心不乱に卵を混ぜ続けているけど、あたしはおしゃべり男の「パーティー」という単語が気になってしまった。
絵描きさんが花屋さんに言った。
「もうおいしく食べられるわよ」
花屋さんは言う。
「ほほほほほ、ほんとうですか?」
絵描きさんはにっこり微笑んで
「ほんとうよ」
と言うと、花屋さんはお箸でカンカンとお茶碗を鳴らしてお肉を食べ始めた。
今ではあこちゃんの代役は絵描きさんなんだ…あたしの心の声が呟いたけど、代役とパーティー、さっき見たステージとジュディーさんの歌声。それらが結びついた瞬間、あたしは立ち上がってこう叫んでいた。
「みんなでショーをやりませんか?」
あたしの口から米粒が飛んじゃったけど、そんな事もどうでもいいくらいに興奮していた。
みんなはキョトンとしてあたしを見ていたけど、お構いなしに話を続けた。想いが一気に溢れ出たという感じだ。止められなかった。
「あこちゃんが戻って来たら、みんなでお帰りなさいパーティーをするんです。何でもいいんです。スライドショーでも歌でもダンスでも。とにかくびっくりさせて喜んでもらうんです」
静まり返った食堂においしい音だけが聞こえていたのは束の間で、ダンサーさんの控えめな拍手と共にジュディーさんの豪快な笑い声、そして花屋さんのお箸をカンカン鳴らす音が辺りに響き渡った。
火照った顔が熱くなってあたしは腰掛けて水を飲んだ。絵描きさんも拍手をしてくれている。
素直にうれしくてもっと何か言わなくちゃと思ったけれど、後の事は何にもまだ考えていなかったから混乱していた。
おしゃべり男が立ちあがって言った。
「それね、それ実は俺も思ってたわけ!」
「座って」
絵描きさんがすかさずたしなめる。
ジュディーさんがビールをぐいっと飲み干して「やりましょうよ!いいわねえ。思いっきりハッピーなステージにしましょう!」とあたしにウインクをしてくれた。
あたしは「はい」と元気に返事して、我慢していたお肉にお箸をつけた。
みんなは笑いながらも時々真剣な眼差しで議論を進めている。お箸も進み始めているみたいであたしは嬉しかった。
舞台設営や美術、ショーの内容、司会進行や開催時間、有名人を呼びたいとか花火を打ち上げたいとかの無理難題は笑い飛ばして、いつしかあたしも話の輪に加わっていた。ジュディーさんのあの言葉「自然体でいいのよ」が頭をかすめていった。こういうことなのかな? 思いのままにってことなのかしら?
おしゃべり男が小学生みたいに「ハイ!」と大きな手を挙げて話し出す。
「だったらさ、台本っての必要じゃない?」
みんな頷いていた。あたしが書きます!って言いたいとこなんだけど、自信は全くないし台本ってものを今までに見たこともないのだ。書けるはずもない…。
そんな不安を打ち消す豪快な笑い声はやっぱりジュディーさんだった。
「簡単じゃない。いるじゃないの物書きが!」
あたしはハッとした。ここにいない人間であこちゃんや紳士でもない人間。
「作家さんに頼めばいいじゃない!」
ジュディーさんがあたしを見てにっこりと微笑んだ。
あたしはもう一度立ち上がって。
「あたしがお願いしてきます! 任せといてください!」
と言うと、みんなから拍手喝さいが沸き起こった。もう後には引けない。あたしの居場所はここなんだ。そう思えた瞬間だった。
作家さんの部屋は、あたしの部屋とは一番離れた場所(もう一方の端の部屋)で、扉の色は紫紺色。今は扉の色にこだわっている場合ではないのは承知している、でもなんとなく…作家さんの方が真っ黒な扉がお似合いじゃないのかしらと、あたしは考えてしまった。
まあ、あたしの心根も真っ暗なのかもしれないけれど、それはここに来たばかりの頃の話だ。実際には三日しか時は過ぎていないけど、あたしの心はもはや真っ黒なんかではない。すこしだけ、白みがかった灰色。とても前向きなグレイだ。
いずれは純白になれればいいなとあたしは思う。
みんなとの晩ご飯を終えて、あたしは自分の部屋の、天井を陣取るペンギンさんと対話した。彼女は無口であまり多くを語らない。でも、つぶらな瞳が「ふゎいと!」と言ってくれているようで、あたしはこの部屋の前までやって来たのだ。
時間は深夜零時を少し回ったところ。ひんやりとした空気があたしにまとわりついている。
それでも恐怖心や不安感などはなく、ちょっとした好奇心が芽生え始めている。
みんなで同じ方向を向いているのだ。それだけの事がこんなにも心境を変えてくれるなんて夢にも思わなかった。
作家さんは決して悪い人なんかじゃない。初対面の時にそう感じた。それは今でも変わらない。「死」という言葉を発した時にあたしはひどく動揺して憤慨もしたけど、それはみんなも薄々考えていた―というより考えてしまった事であり、それが素直に言葉に出ただけなのだ。
言ってしまえばみんな同罪なのだと思う。
あたしはごくりとつばを飲み込んで扉を軽くノックした。
絵描きさんは「作家さんは夜には眠らないのよ」と言っていたけど本当なのかしら?
もし怒られたらどうしよう…作家さんは得体の知れない存在で、一対一で対峙するのには勇気が必要なのはわかっている。
けれどもう後へは引けない。
あたしが言い出しっぺなのだ。今度こそはやり遂げたい。その一心であたしは再び扉をノックした。
待てど暮らせど応答はなく、ダメもとであたしはドアノブに手をかけた。
軋んだ音が廊下に響いて、作家さんの部屋の内部があたしの目の前に現れた。
月明りにぼんやりと浮かぶ室内は、あたしをその場所から動けなくするには充分の光景で「絶句する」とは正にこの事なんだなと後になって思う。
壁一面には大小様々な壁掛け時計が飾られてあって、それらが示す時間もバラバラだ。
窓にカーテンはなく、中央に木製の机と床には何故か砂利が敷き詰められている。
そこに佇む数十体の裸のマネキン人形。胸の膨らみがあることから全ては女性の裸体だ。
顔はのっぺらぼうでカツラも被ってはいない。
狂気の世界、作家さんの内面を知ってしまったあたしの脳裏に「変態?」という文字が浮かび上がった。
あたしは扉を閉めて、作家さんを探す事にした。
逃げたりはしない。頼れる人間は彼しかいないのだから。
作家さんを見つけるのにそう時間はかからなかった。あたしが一階のホールへ向かう階段を下りていくと、そこのシルバーに施された手すりを磨きながら、作家さんが二階へと昇って来ていたからだ。
出合い頭の作家さんの驚いた顔はこっけいだったけど「腰を抜かさなかっただけマシだわ」とあたしの意地悪な心は悔しがっていた。
実際あたしはあなたのせいで生まれて初めて腰を抜かしちゃったんだからね!
あたしは単刀直入に言った。
「お願いがあります」
作家さんの目は定まらなくて、あたしを見ることもなくキョロキョロと辺りを伺っているようだ。
小動物みたいに始終何かを警戒している風にも見える。
「一人ですか? お願い? 一人でお願いに来たのは間違いない?」
あたしはふぅと息を吐いて「もちろんです」とだけ答えた。その方が話は速く済むと思ったからだ。
「絶対に一人? 神に誓って?」
「誓います」
あたしは無神論者だけど、ここは作家さんのペースに合わせるべきで、出来るだけ早く要件は済ませたかった。どうしても「変態?」という文字が頭から抜け切れていなかったから…。
「わかった、話を聞こうじゃないか」
作家さんは手に持った雑巾を丁寧に折りたたんでポケットにしまい込んだ。
ここのホテルがいつもピカピカに保たれているのは、作家さんのおかげなんだとあたしは関心したけれど、ポジティブに捕えようとすればするほど、あのマネキン人形達が脳裏に浮かんでは消えていく。のっぺらぼうの裸の人形…作家さんはいったいあれで何をしているんだろう?
余計な雑念は捨てて、あたしは咳払いをした後で言った。作家さんの目をちゃんと見据えながら。
「台本を書いてもらえませんか?」
「台本を?」
「そうです」
「何のために?」
「あこちゃんのお帰りなさいパーティーのためにです」
「パーティー?」
作家さんは腕組みしながら天を見つめていた。
あたしは作家さんが余計なことを言わないでくださいと神に願った。無神論者のはずだったのに。
作家さんは天を見つめた後、あごに手を当てて今度は俯き、そしてまた天を見上げた。
そんなに考え込む事なのかしら? その様子はまるで機械仕掛けのお人形―感情のないマネキンそのものに見えた。
あたしはたまらず。
「お願いします」
と言った。
作家さんはあたしを見て―その目は真っ直ぐにあたしを捕えていた。初めて作家さんの顔をちゃんと見た気がした。意外にも二重瞼で鼻筋が通っている。髪型次第でイケメンに変身しちゃうかもしれないなと思った。
「それはつまり、芝居かステージをやるということ?」
「はい、ショーです」
「なるほど、ショータイムの台本か…」
「作家さんにしか書けないんです、お願いします」
あたしは深々と頭を下げた。作家さんの足元を見ながらあたしは思っていた。
普通の人と普通に会話しているみたいだと―。
「受けましょう、その依頼」
その言葉と同時にあたしは「やった!」と叫んでしまった。抱きつきたいくらいに嬉しかったけど、やっぱり「変態?」という文字が脳裏に浮かんであたしは冷静でいられたようだ。
今日はぐっすり眠れそう―。
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