雨音ラプソディア
月影砂門
第一番〜始まりの旋律《メロディア》
序楽章
俺たちが出逢ったのは、街道を叩き付ける雨音がやたらと五月蠅く響く、ある日の夜だった。その日の雨を喩えるなら、母を待ち侘びて泣きじゃくる子ども。早く泣け止めと想うよりも可哀そうにと同情してしまうような。そんな雨だった。
その頃俺は、中学でサッカー部のエースをしていた。いつものように夢中で練習に励んでいたら、突然大粒の雨が地面どころか俺たちまで突き刺して来た。部員と泥だらけになりながらボールを片づけ、止むなく下校することになった。
「はぁ、最悪だよ。オレ傘持って来てねぇし」
「俺も忘れた。天気予報も当てにならねぇよな。試合明日だってのに」
俺たちは、部室の鍵を閉めて正面玄関から家路を一気に駆け出した。こんな雨では、ファミレスに行ったり、ゲームセンターではしゃぐ気も失せた。
しばらく走り続け、少し疲れて屋根のある建物の前で雨宿りをした。俺は、ふと夜空を仰いだ。そこで不思議な光景を見た。俺の真上の空は、真黒な雲に覆われていたが、その一部から光が差していたのだ。向こうは晴れているのかと目を凝らしてみても、どうみても土砂降りだった。光が差し込む向こうが気になった俺は、隣にいる友人に声をかけた。
「なぁ、あれなんだと思う?」
「え?うわ、あそこだけ晴れてる……のか?見に行ってみようぜ」
俺たちは街灯を通り過ぎ、真っ暗な夜道を抜けて光の真下に来た。本当にここだけは雨が止んでいた。頭の真上には満天の星空。こんな空を見たことがなかった。
「すげぇ……」
嘆息混じりの友人の声。俺も心の底から、この空を美しいと思った。
すると、そのとき
悲しい夜闇の雨を
優しい歌で晴らしましょう
寂しそうに泣く空の
涙をそっと拭いましょう
母を恋しと泣く空に
わたしが光を灯しましょう
満天に散らばる数多の星が
祈りと希望の光を灯すとき
それは、とても短い歌のようだった。しかし、とても強く優しい声音とハープの音色に聞き惚れた。先ほどの荒び泣く雨の音はもう聞こえず、ただスポットライトのようにこの場所を照らしていた。この場所の向こう側を見てみても、先ほどの雨が嘘のように止んでいた。しかし、それでもここだけは別世界のような錯覚に陥った。
「なんだろう、これ」
「さっきの歌が、この雨を晴らしたのか?」
そんな力がこの世に存在するのだろうか。そんなことは考えたこともないが、この世界のどこかでは有り得るのかもしれない。この世は、ごく有り触れたようでいて、どこかで非現実的なことが起こっているのかもしれない。俺たちは、それを知らずに平穏に暮らしている。確かに、それが知らない者にとっては幸せなのかもしれない。しかし、無知でいることも、同時に不幸せなことではないかと、どこか哲学的なことを考えてしまった。普段物事を深く考えていなかった割には、そのときは少し考え耽っていたかもしれない。
「……誰かいるのかい?」
俺たちは、その言葉にギクッとした。まさか、俺たちがいることがバレていたというのか。別に、何かに狙われていたり、疾しいことをしたわけではないので、潔く二人してその声の主がいるところに出て行った。
そこにいたのは、肩まで伸ばされた星に照らされ艶やかに輝く夜を映したような髪と、猫を思わせるような蒼い双眸の……可憐な少女、だと想う。不思議な作りのモノトーンで統一された衣装を身につけている。何となく普通の人間ではないだろうな、と一目見てわかった。そして、一目見て心を奪われてしまった。
「えっと……さっきの歌を歌ってたのは、君か?」
俺の代わりに、顔を赤らめつつも友人が尋ねてくれた。友人の問いかけに、その人は肩を竦ませ、苦笑した。
「聴かれていたみたいだね」
その声は、この澄んだ空気とよく似合う、透き通るようなメゾソプラノだった。音楽で習ったので、間違ってはいないはずだ。
「こんばんは。わたしは
右手にハープを握りながら広い夜空を抱きしめるように両手を広げる「黎」と名乗るその人は、綺麗な笑みを浮かべて言った。そして名字は「言ノ葉」ハープの音色に言葉を重ねて夜空に届けるその人を象徴するような名字だなと思った。
「夜にわたしの姿を見た人は、君たちくらいじゃないかな」
愉快気な笑みを浮かべ、ハープはそのまま大切そうに抱きしめながら言った。キョロキョロと辺りを見回すと、すぐそばにある岩に腰掛けた。
「いい曲だった」
音楽についてはほとんど知識を持っていないが、純粋に良い曲と詞だと思った
「そうかい?それは嬉しいことを言ってくれるね」
「晴れを願う歌だったのか?」
友人が訊ねた。
「うーん、まあそうなんだけど、思い浮かべたものを『真言』にして、この子の旋律に重ねただけさ。さっきの歌は、ここで思いついたものだったんだ。気に入ってもらえたのなら、よかったよ」
さっき美しい歌は、この黎という人の頭のなかでさっき作られた歌だったのだ。それから、黎さんの言葉の中に知らない言葉が含まれていた気がする。
「真言ってなんだ?」
「そのあたりの詳しい話は、まだ出来ないんだよねぇ。もしキミたちが運命の相手であるのなら、わたしの『言霊』はキミたちの心に反応するはずだしね。……ふむその片鱗は生まれているようだね」
さっきから何を言っているのかさっぱりわからない。この人、魔術師とかいうファンタジーの登場人物か何かなのか。性別も年齢も住んでいる場所も不明だが、悪い人ではないだろう。何しろ、歌で晴らすような人だ。悪い人の訳がない。
「君たち、名前は?」
「
「
「よろしくね、焔くん、犀くん」
黎さんは、無邪気な笑みを浮かべると、細く優美な手を伸ばした。俺もそれに重ねた。性別は……女で間違いないはずだ。見た目は年下。口調は……年上だろうか、判別できない。
「世界は全て音楽でできているのだよ」
「音楽で?」
「人が発するものの全ては、旋律であり歌だ。足音だって、地面を蹴ることで鳴る音だ。今わたしたちが話す言葉だって一つの詞みたいなものさ」
この人から言わせれば、この世の全ては音楽だということだ。しかし、一理ある。
「じゃあ、運命は?」
「難しい質問だねぇ」
黎さんは、真剣な眼差しを俺に向け、俯くと顎に手を当て目をつぶった。しばらくすると、笑みを浮かべ
「運命は──
なるほど、美しい喩えだ。歌を思い浮かべ、空に届かせる強さを持つものの言葉は説得力があり、力強い。これがこの人の『言霊』の力なのだろうか。俺たちは、挨拶をして踵を返し来た道を戻ろうとした。すると
「あ、忘れてた」
ふと黎さんが呟いた。俺たちは足を止めて振り向いた。
「何を?」
「君たちがここに来るまでに奏でていた音楽だよ」
「俺たちが奏でていた音楽?」
足音のことだろうか。確かに黎さんは、足音一つでも一つの曲だと言った。俺たちは無意識のうちに音楽を奏でていたと言うのだ
「ふふっ、それはね────だよ」
黎さんの声は、風と共に流れて行った。なんと言ったかは、ハッキリしていないけれど、確かにこれから、俺たちが何らかの形でともに何かを響かせるのだろうと思った。
───
「黒い雲・・・ねぇ」
「どうした?」
「おう、なんだまた新しい予想でも閃いたか?」
バーベキューが出来そうなほど広いベランダから空を仰いでいた少年がそっと呟いた。ベランダには出ず部屋で紅茶を飲んでいた少女と大雨の中素振りをしていた青年が反応した。
「さらにあれが晴れたと・・・」
「なんかの前触れか?」
「すぐに晴れるとは・・・さすがあの子だ」
かなり長引くだろうと思っていた大雨がすぐに止んだことに対し、少女は美しいアルトで嬉しそうに呟いた。
「これ、報告事項かな」
「マジで?アイツらに会うの嫌なんだよな」
「同意見だ」
美しい星空の下、三人だけは深い溜息を吐いた。この先に運命を動かす再会があることを信じるかのように
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