1:13 Crisis Test ─危機なる試験─
食屍鬼の群れにケイタ・イブキは殺された。その現実を受け止めきれないキリサメに、私は平然とした様子で右手を差し出す。
「まさかアレクシア。お前が俺を励まして――」
「木の杭を寄越せ」
「……だよな」
木の杭の残り本数はゼロ。私は約束通りキリサメから八本の杭を受け取り、ホルスターに一本ずつ装備した。
「私は金の十字架を探しに行く」
「探しに行くって……イブキが殺されたんだぞ!? どうして金の十字架のために、この安全な場所から出ていく必要が……」
「ここが安全な場所だといいな」
私は牢屋から通路へと一歩を踏み出せば、キリサメたちが落胆する方向へ振り返ると、納めていた刀剣を抜いてそう吐き捨てる。
「それって、どういうことだよ……?」
「おかしいと思わないのか?」
「おかしいって……」
「ゾーンの境界線を示すための線の色が、上から別の色に塗り替えられていた」
キリサメは私の言葉を聞くと勢いよく立ち上がった。デイルも私の発言に耳を傾けながら目を丸くしている。
「そういや、お前はデッドゾーンに独りで向かったんだよな……?」
「あぁ、だが実際はブルーゾーンだった。候補生も食屍鬼もいなかったからな」
私は地下牢獄の天井と床を交互に剣先で指し示し、キリサメと視線を交わした。
「ブルーゾーンへ続いているはずの扉も、実際はデッドゾーンへと繋がっていたはずだ。これを仕組んだのが地上の人間たちの可能性は――」
「その可能性はかなり低いかと」
言葉を遮ったのは今まで口を閉ざしていたジェイニー。虚ろな表情を浮かべながらも、私たちの会話を聞いていたらしい。
「あの皇女様がこんな仕組みにするなんて考えられませんわ。戦うことを拒む者たちを、食屍鬼の巣窟に送り込むなんて……」
「ぼ、僕もアベルさんに同感かな。もし過酷な本試験にしたいのなら、あの扉がどこのゾーンに繋がっているのかを言わなければいいだけだし」
「それもそうか」
デイルの意見に私は納得をした。気弱なのが欠点だがデイルはそれなりに頭が働く。私は二人の意見から一つの仮説をこう述べた。
「ならこの地下牢獄には――"吸血鬼"が紛れ込んでいる」
「きゅ、吸血鬼……?!」
「アレクシアさん、その理由を教えて下さっても?」
私は落ちている石の破片を拾い上げ、壁に十字架の絵を描く。
「お前たちと合流する前、半殺しにされた候補生と出会った。その男は私に『この地下牢獄に吸血鬼がいる』と言った。食屍鬼ではなく、吸血鬼とだ」
「それ、食屍鬼と言い間違えたとかじゃないのか?」
「それもあるかもしれん。だがよく考えてみろ」
十字架を輪郭を描き終えると私たちの現在位置を大きく丸で囲った。
「知能を持たない食屍鬼がこの地下牢獄のゾーンを理解し、線の色までもわざわざ塗り替え、出口の場所を変えることができると思うか?」
「分からないだろ。もしかしたら頭の良い食屍鬼がいて……」
「いない。食屍鬼に残されたものは感情だけだ」
握りしめていた石の破片を投げ捨て、木の杭をホルスターから一本だけ取り出す。
「ワハハハハァッ!」
「ひッ、食屍鬼……!?」
暗闇に紛れ、一匹の食屍鬼がこちらに駆けてきた。デイルは食屍鬼を目にすると小さな悲鳴を上げる。
「ワハァァ!?!」
私は襲い掛かる食屍鬼を飛び越し、その頭部に刀剣を突き刺して、首元を右足で力強く踏みつけた。
「ワハハッ、ワハハァア……ッ!?!」
「な、なんでこいつは笑ってるんだよ……?」
押さえられている食屍鬼は、ひたすらにジタバタと身体を動かしながら、大きな声で笑い続ける。キリサメは顔を真っ青にして、食屍鬼を眺めていた。
「食屍鬼は知能を持たないが、"喜怒哀楽"の感情がたった一つだけ残されている。コイツの場合は"楽"だろうな」
「喜怒哀楽って……」
「聞いたことがありますわ。嬉しいことがあれば"喜ぶ"。嫌なことがあれば"怒る"。哀しいことがあれば"泣く"。楽しいことがあれば"笑う"。食屍鬼は人間だった頃に、内面で最も溜め込んでいた感情を爆発させていると」
私はキリサメに説明をするジェイニーを他所に、押さえている食屍鬼の心臓に木の杭を深々と突き刺す。
「じゃあそいつは……」
「楽しいことが何一つない人生だった。本当は誰かと笑い合いたかった。……そう捉えられるだろうな」
「……マジかよ。それってあまりにも可哀想だ――」
瞬間、キリサメの言葉を遮るように食屍鬼が現れた方向から、黒色の刀剣が回転しながら、何本もこちらに向かって高速で飛んでくる。
「こ、今度はなんだよ……!?」
「……」
私は握りしめた刀剣で一本ずつ黒色の刀剣を叩き落すと、何者かの足音が聞こえてくる暗闇の奥をじっと見据えた。
「……アイツか」
「アイツ?」
デイルが首を傾げるまでの一瞬。その隙に私の目の前まで鋭い爪が迫りくる。
「――吸血鬼だ」
「……ッ!!」
私は身体を後方へと逸らし、その爪を寸前で回避すると、刀剣で目の前にある肉体を斬り上げた。
「……オマエは」
ソイツは後方へと飛び退いて、斬られた個所を片手で押さえる。
「オマエ、アレをよく避けられたな」
「貴様は遅すぎる」
「はっ、威勢がいいな」
食屍鬼とは違い、言葉を話せる人外。革の黒いコートを身に纏うあの男は吸血鬼だろう。その鋭い牙と青白い肌が確たる証拠だ。
「アベル家とアークライト家の血筋を継いでいるのは……そこの二人だな?」
「どうしてそれを……」
「見れば分かるに決まってるだろぉ? その辺の人間よりもお前たちはいい匂いがするんだよ!」
短い白髪を掻き分け、吸血鬼の男はニヤリと笑みを浮かべる。
「そこまで正確に喋れるということは、貴様の爵位は"
「おお、見る目がある人間だ。んじゃあ、オレの爵位を当ててみな」
「……
「そうだぁ! よく分かったなぁ?」
子爵は吸血鬼特有の怪力を見せつけるようにして左拳を叩き付け、頑丈な壁に亀裂を入れた。
「
「恐らくは名家の血筋が狙いだろう。厄介な芽は若いうちに摘むのが得策だ」
「で、でもどうしてグローリアに入ってこれて……」
「考えるの後だ」
いつの間にか食屍鬼が後方へと回り込んでいる。子爵の合図を待っているのか、唸り声を上げながらも、私たちを逃がさぬように待機していた。
「私はアイツを始末する。お前たちは各々でどうにかしろ」
「ダメですわ!
「どうせこの状況では逃げられない。お前たちがあの食屍鬼を始末して、逃げ道を作るというのなら話は別だが」
私は刀剣を構えると子爵に向かって走り出す。ジェイニーとデイルも覚悟を決めたようで腰に携えた剣を抜いて、後方で待機している食屍鬼を向かい合った。
「このオレを殺すだと? 下等種族の人間なんかが、上等種族の吸血鬼を殺せるとでも思ってるのか?」
「何を言っている? 下等種族は貴様の方だ」
「オマエ、調子に乗りやがってぇ……!」
片手で振り上げた刀剣の刃と、振り下ろした鋭い爪が衝突し合う。暗闇の中に火花が飛び散る最中、私は子爵の腹部に木の杭を突き刺そうとするが、
(……やはり硬度が足りないか)
子爵に触れた途端、頑丈な皮膚によって瞬く間に木の杭は粉砕した。
「そんな柔い杭で何ができるんだ? まさか心臓を貫くつもりか?」
(それに……男爵とは比べ物にならないな)
爵位が一段階上がるだけで力量は大きく異なる。一撃の重さも、距離を詰めてくる速さも、男爵とは段違いだ。
「……折れたか」
猛攻を捌き切ったが子爵の爪の硬さに、刀身が真っ二つに折れる。後退すべきだと視線を子爵から逸らした一瞬の隙に、
「剣が無けりゃあ戦えないのかぁ?」
「――ッ」
子爵は落下していく折れた刀身を掴み、私の左肩に深々と刺した。衣服が裂け、真っ赤な血が周囲に飛び散る。
「アレクシア!」
その光景に声を上げるキリサメ。私は追撃を貰わないよう、木の杭を子爵の右目に力を込めて突き刺し、一旦距離を取った。
「おい大丈夫か……?!」
「邪魔だ。あの二人の援護でもしていろ」
「今はどう考えてもお前の方がヤバいって! 早く止血しないと!」
左肩に刺さる刀身を引き抜き、紋章を隠すための包帯を解いて、傷口を強く縛り上げる。一方で子爵は手に付いた私の血を舐めていた。
「やっぱりオマエの血は見た目の通り、上等品だなぁ」
(……吸血鬼の血に気が付いていないのか?)
「ああそうだった。こいつらにもきちんと餌を与えねぇと」
子爵の背後から姿を見せたのは二匹の食屍鬼。首元には木の十字架を掛け、血の涙をボロボロと頬へと伝わせている。
「あれは――」
食屍鬼はどこかで見覚えのある顔。私は御守りとして渡されたシーラの家族の写真を取り出す。
「――シーラの子供たちか」
「えっ?」
二匹の食屍鬼にはシーラが過去に失った子供たちの面影が残されていた。キリサメは私の言葉に驚いていたが、それだけに留まらず、
「それに貴様は――シーラの夫だったか」
子爵の顔は行方不明のシーラの夫と同じ顔だった。
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