1:12 Unexpected Test ─予期せぬ試験─


 本試験が開始しあれから数時間が経過した。私たちは途方に暮れながらも、地下牢獄の牢屋の中で壁に背をつけていた。


「どうしてだよ……ッ!? どうしてあんなことに……ッ!」


 座り込んだキリサメは両手で頭を抱え、唇を震わせ、恐怖心によって肉体を支配され、


「私が、私のせいで、イブキさんがっ……」


 ジェイニーは真っ赤に染まった金髪を右手で握りしめ、虚ろな瞳で石の地面を見つめている。戦意はとうの昔に失せてしまっているようだ。


「……アレクシアさん」

「何だ」

「僕たち、これからどうするの?」


 不安を募らせたデイルが牢屋の前に立つ私へそんなことを尋ねてくる。


「ここで時間を稼ぐのが最善策だろうな」

「でも、もし見つかったら……」

「言っただろう。時間を稼ぐと」


 このような事態へ陥ったすべての原因。それはレッドゾーンへと降り立ったことがすべての始まりだった。



―――――――――――――――



「……薄暗いですわ。食屍鬼はこの辺りに歩いていらして?」


 レッドゾーンへと降り立った私たちは薄暗い地下牢獄の中を歩く。ジェイニーたちは徘徊する食屍鬼を警戒していたが、


(金の十字架。このレッドゾーンに三つあるはず……)


 私は特待生枠に必要な金の十字架を手に入れるため、わざとジェイニーたちと距離を取りながら後方を歩いていた。


「ワッハハハハハァァアッ!」

「出ましたわ!」


 しばらくすると遭遇したのは一匹の食屍鬼。ジェイニーたちは剣を抜いて臨戦態勢に入り、私は辺りを見渡してただの金の十字架を探す。


「来い化け物め!」

「ワッハハハハハーーッ!」


 笑い声を上げながら襲い掛かる食屍鬼に対して、イブキは力強く刀剣を振り下ろすと、その肉体を真っ二つに斬り裂いた。


「ワハハァ……ッ!?」

「そこですわ!」


 控えていたジェイニーが前に飛び出し、狼狽えている食屍鬼の胸へ木の杭を突き刺し、


「――慈悲なる愛を」

 

 食屍鬼の心臓を貫いた。不快な笑い声も消え失せ、食屍鬼の肉体はあっという間に灰へと変わる。


「よっしゃあ! 案外ザコだったな!」

「この程度、造作もないですわ」

「あの、俺、何もしてないんだけど……」


 ジェイニーとイブキが刀剣を鞘に納めている背後でキリサメは苦笑した。私が見ていた限り、キリサメはタイミングを掴めないままうろうろと動いているだけ。 


(……レッドゾーンと呼ばれているようだが、食屍鬼とはあまり出会わないな)


 三十分ほど歩き、遭遇した食屍鬼は最初の一匹だけ。私たちの警戒心が薄れかけている最中、紫色の線が引かれた場所へと辿り着く。


「この線って……」

「ええ、この先が"デッドゾーン"ということですわ」

「んじゃあ、このまま進むのは危険だな。逆側まで戻るか」


 イブキは回れ右をして歩いてきた道を引き返す。後に続いてジェイニーも再び歩き出したが、


「ここからは別行動だ。私はこの先に進む」

「それは危険ですわ。流石に止した方が……」

「このままレッドゾーンを歩いても金の十字架は見つからない。デッドゾーンなら十字架の数も多いだろう」


 私は紫色の線を越えてデッドゾーンへと侵入した。ジェイニーたちは足をその場に止め、不安げな様子でこちらへ振り返る。


「アレクシア、あんまりジェイニーさんや圭太と離れるのはよくないだろ……!」

「私が離れても私自身の生存率は変わらない。変わるのはお前たちの生存率だけだ」

「あら、言ってくれますわね?」

「事実を述べただけだ」

 

 私の一言に青筋を立てたジェイニー。やっとのことで決別してくれたのか、レッドゾーンの内側へと早足で突き進む。イブキも「また後で会おうな」と私に手を振り、暗闇の奥へと消えていった。


「えっと、俺は……?」

「好きにしろ」

「わ、分かった」


 キリサメも私に背を向け、ジェイニーたちの後を追いかける。あの男はまともに戦えない。集団で行動するのが当然の判断だ。


「……金の十字架はどこにあるのやら」


 刀剣を右手に、木の杭を左手に握りしめ、デッドゾーンを慎重に進んでいく。


(木の杭は八本……つまり始末できるのは八体だけ。遭遇する食屍鬼は両脚と両腕を切断し、相手にしないのが正解か)


 脳内で食屍鬼の様々な対処法を考えつつも、金の十字架をデッドゾーン内で探した。寂れた牢屋の中や、剥がれた石壁の裏などを。


(……妙だな)


 デッドゾーンには食屍鬼が何百匹もいると説明を受けていたが、侵入してから食屍鬼と一匹も遭遇していない。あの鳴き声すら聞こえてこなかった。


「この線は確かに越えている」


 あまりにも事前情報と乖離している。私はゾーンの境界まで引き返し、デッドゾーンの境目を示す紫色の線を確認した。


「これは──」


 線の色は紫色のはず……が、妙に"青味"を帯びている。私は靴底で紫色の線を何度か擦った。


「――青色だと?」


 すると紫色の線が剥がれ落ち、徐々に浮かび上がるのは青色の線。私は嫌な予感がし、レッドゾーンの奥を見つめる。


「……まさか」 


 レッドゾーンに向かって駆け出す。デッドゾーンでは金の十字架が見つからず、食屍鬼とも出会わなかった。その理由は真逆のブルーゾーンだったから。そう考えれば納得できる。


(だがあの場所がブルーゾーンなら何故――)


 たった一つ、納得ができない点を上げるとすれば、


(――他の候補生がいなかった?)


 ブルーゾーンを志望した候補生たちが見当たらなかったことだ。私は真実をこの目で確かめるため、レッドゾーンを駆け抜ける。


「青色の線はここか」


 数分もせずに辿り着いたのは青色の線が引かれた境目。私は先ほどと同じように、その線を靴底で何度も擦る。


「……紫色の線」


 やはり浮かび上がってきた色は紫。つまりはここから先が真のデッドゾーンだ。私が色を認識した途端、血生臭さが通路の奥から漂い、私の嗅覚を刺激してくる。


(こんな小細工、何の意味がある?)


 デッドゾーン内へと足を踏み入れれば、すぐに候補生の肉塊が目に入った。どこを見渡しても、壁や床に飛び散るのは肉片。


「だ……ずげでっ……」

「……」


 声を掛けてきたのは下半身が千切られ、上半身だけ床に転がっている男。まだ脈もあり、かろうじて生きているらしい。私はしゃがみ込み、その声に耳を傾けた。


「ぎゅう……げづぎが……ッ」

「吸血鬼だと?」

「ぎゅうげづぎが、ごのろうごぐに……にげ……ろ……ッ」


 瞳孔を開きながらこちらに手を伸ばせば、男は肉体を一度だけ大きく痙攣させ、すぐに息絶える。私は男の胸元にある木製の十字架を右手に握らせてから、ゆっくりと立ち上がり、通路の奥を見据えた。


「……こっちか」


 次に耳に入ったのは金属が石をなぞる音。私は男の遺体を後にし、音のする方向へ早足で向かう。


「ワッハハハァァ!」

「くっそぉ! そこら中にいやがる……!」

「イブキさん、数が多すぎますわ! ここは一旦逃げましょう!」

「そうだ伊吹! この数は流石に無理だろ!?」


 視界に入ったのは食屍鬼の群れと交戦するジェイニーたち。その背後ではデイルが怯えた様子で刀剣を構えている。


「その数を相手にするのは無理だ」

「アレクシアさん……!」

「状況が把握できていない。ここから退くぞ」


 私の存在を認知した瞬間、真っ先にデイルが私の方へと逃げてきた。それを合図に、ジェイニーたちも食屍鬼に背を向けて走り始める。


「ワハハハーーッ!」

「きゃあぁあぁ……ッ!?」


 しかしジェイニーの長い金髪を食屍鬼が乱暴に掴み上げ、その場に転ばせてしまった。


「ジェイニーを離せぇえぇえーーッ!!」

「止せ、その女は捨てろ──」

「うおらぁああぁあッ!!」


 後続には別の食屍鬼が迫っている。助けるのは命を捨てる行為だ、と私は止めようとしたが、果敢なイブキはジェイニーの髪を掴んでいる食屍鬼に刀剣を突き刺す。


「ワハハァ……ッ?!!」

「ジェイニー大丈夫か……!?」

「え、えぇ! 助かりましたわイブキさ――」


 手を差し伸べたイブキ。その手をジェイニーが掴もうとした瞬間、真っ赤な血が点々と二人の顔を染め上げた。


「がはっ……ぐぁ……ッ」

「圭太ぁあぁああぁッ!!」

「イブキ、さん……?」


 イブキの腹部を貫いたのは、後続から飛びかかってきた食屍鬼の鋭い爪。致命傷を負ったイブキはジェイニーにもたれかかる。


「ア、アレクシアさん! 僕、あの人の怪我の治療をするから……!」

「何だと?」


 デイルは倒れているイブキの元へと駆け寄り、どこからか包帯やらを取り出して、食屍鬼の目の前で治療を始めてしまった。


「おい、お前の木の杭を後ですべて寄越せ」

「わ、分かった!」


 キリサメに要求してから私はその場から駆け出すと、イブキの腹部を貫いた食屍鬼の心臓を、懐に隠し持っていた木の杭で貫き、一撃で仕留める。


「八体だ」

「は、八体?」

「私が八体の食屍鬼を殺す。それまでにそこの男が走れない容態だったら――覚悟を決めろ」

「――ッ!」


 ジェイニーにそう吐き捨てた私は、襲い掛かる食屍鬼を一匹ずつ斬り刻み、心臓に木の杭を突き刺していく。


「一匹、二匹、三匹……」

「イブキさん! しっかりしてください!」

「ジェイッ……ニー……ッ」

「駄目だ、血が止まらない!」


 私の吸血鬼の瞳が暗闇の奥をハッキリと映し出す。食屍鬼の数は五十は軽く超えるであろう長蛇の列。


「四匹、五匹、六匹……」

「伊吹、頼むから立ってくれよッ!」

「海斗……俺ここで……死ぬのか……ッ」 

「そんなこと言うな! お前は諦めないのが取り柄じゃねぇのか……ッ!?」


 残り二本の木の杭は、左右から飛び込んできた食屍鬼に一本ずつ突き刺し、約束の時間が訪れる。


「退くぞ。その男を捨てて今すぐ走れ」

「そんな、捨てるなんて……」

「そうだ……! 俺は友達を見捨てることなんて――」


 未だに決断ができない二人を他所に私は刀剣を鞘に納め、食屍鬼から距離を取った。


「ならこの状況を打破してみることだ。私は最善策を取らせてもらう」

「そんな薄情なこと……!」

「情があるその男と薄情な私。どちらが生き残っているかをよく考えろ」

「……もう駄目だ、治療しきれない!」


 治療を諦めたデイルも食屍鬼に背を向けて全速力で走り出す。どうやらこの気弱な男だけが賢明な判断が出来るらしい。


「ジェイニー。俺たち、仲間、だよな……ッ?」

「……」

「また、剣技を、教えてくれよ……ッ」

「……」


 ジェイニーはイブキに言葉を返すことなくその場から駆け出した。イブキの右目から光が消え失せる。


「なぁ海斗ッ……俺を、置いていかないよな……ッ?」

「……」

「俺たち、中学からの、友達、だろ……ッ?」

「……」

 

 キリサメは拳を力強く握締めるとその場に立ち上がり、己の不甲斐なさを憎みながら、ジェイニーの後に続いて駆け出す。今度は左目からも光が消え失せた。


「どうして……だよぉぉおぉ……ッ!?」


 私も仰向けに倒れているイブキに背を向け、食屍鬼から逃れるために走り出す。最期に見えたイブキの顔は絶望そのもの。


「たすけて……くれよぉ……ッ!!」

「……」

「俺はッ……助けたのに……何で、助けてくれないんだよぉおぉおッ!?!」


 背後から聞こえてくる悲痛な叫び。ジェイニーとキリサメは顔を真っ青にしながら、ただ地下牢獄を走り抜ける。 


「うらぎりものぉ……うらぎりものぉぉ……ッ!!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」

「うらぎりものぉぉおぉおぉぉおーーッ!! あッ……あ"ぁあ"あ"ぁあ"ぁあ"あ"ーーッ!!?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!!」


 最期の言葉は潰え、肉が裂ける音とイブキの断末魔が私たちの耳元に届く。ジェイニーが走りながら連呼するのは懺悔の言葉。


「一度、息を整えましょう……」

「そう、だね……。僕もそれに賛成だよ……」


 デッドゾーンを越え、レッドゾーンの内側に戻ってきた私たちは、状況確認のため、近くの牢屋へと身を潜めることにした。

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