1:6『試験準備』
仮試験の前日となる夕食後。私は本試験でのサインを貰うために、シーラと一対一で話し合うために、張り詰めた空気の中で向かい合っていた。
「シーラ、私が話したいことは分かるだろう」
「……」
「私はアカデミーへ入学する。その為に仮試験を突破し、本試験を受けなければならない」
「……」
シーラは黙り込んだまま、口を頑なに開かない。話す気力すらまるで感じさせず、ただ俯きながら机の模様を見つめているだけだった。
「私が本試験を受けるには契約書にシーラのサインが必要になる。だからその時はサインをして――」
「嫌よ」
「何故だ?」
「嫌なものは、嫌なのよ」
どれだけ追及しても否定をするシーラ。拒む理由も答えようとはしない。このままでは話が進まないと私は溜息をつく。
「……私はこの三年の間、シーラの考えを尊重し続けてきたつもりだ」
「……」
「だがこれだけは私も譲れない。お前が母親として向き合うつもりなら、私は子として正面からぶつかり合うぞ」
私が揺らぐつもりはないと固い意志を示せば、物寂しそうな表情を浮かべたシーラがこんなことを聞いてきた。
「どうして、アカデミーに入りたいの?」
「吸血鬼共を殺すためだ」
「ふふっ、吸血鬼……やっぱりそうなのね。"あの人"や"あの子たち"と同じように、みんな……」
私の返答を聞いたシーラは渇いた笑い声を上げ、ぼそぼそと静かに自身の過去を語り始める。
「数年以上も前の話よ。私の夫は銅の十字架のリンカーネーションだった。吸血鬼や食屍鬼から、弱い人たちを守り続けてきたの」
「……」
「けどね? ある日、突然帰って来なくなっちゃった。私と二人の子供を置いて、死んだのか、生きているのかも分からないまま――二度と会えなくなって」
シーラは一枚の古ぼけた写真を私に見せてきた。そこに写っていたのは二十代前半のシーラと、正義感に満ちた男性。そしてその間には十歳にも満たない少年と少女が写っていた。
「だから私はあの子たちをアカデミーには入れないと心に誓った。もう二度とこんな心が引き裂かれるような想いはしたくないから……って」
「だがこの家で子の顔は見かけていない。つまりそれは──」
「えぇそうよ。私はあの子たちを本試験に送り出してしまったの」
シーラは俯いたまま目を強く瞑ると肩を小刻みに震わせる。その顔には後悔と哀しみと自分に対する怒りが垣間見えた。
「なぜだ? なぜ誓ったのに、送り出した?」
「あの子たちを、信じたからよ」
「……信じた」
「あの子たちは私が止める度にこう言ってきたの。『必ず戻ってくる。戻ってきて、アカデミーに入学して、お父さんを探してくるから――信じて待っててほしい』って」
固く閉ざした瞼から何粒もの雫が溢れ出し、シーラの両頬を伝わっていく。天真爛漫に振る舞っていたシーラが、こうして涙を流す姿を見るのは初めてだ。
「私は、信じてしまったのよ。あの子たちは必ず帰ってきてくれるって。あの子たちは私を置いていかないって。心から、信じてしまったの」
「……」
「私が信じなければ、あんなことにはならなかった。信じなければ、止められたのよ。信じなければ、私はっ……」
私は机の上に置かれている四人家族の写真を手に取った。自然と惹き付けられたのは、幸せそうに映り込んでいる二人の子供。
(……本試験は目立つ行動をしなければ、死ぬことはないとあの臆病者が言っていた。本試験の内容は未だ不明だが、シーラの子供たちは何か目立つことでもしたのか?)
写真から容姿を汲み取るが、シーラの子供たちは"目立ちたがり"だとは思えない。内気な少年少女という言葉が似合うだろう。
「だから私はあなたを行かせないわ。もう何も失いたくないのよ」
「シーラ」
「分かってほしいわ。アレクシアちゃんが大切だからこそ、引き止めていることを――」
「私を見ろシーラ」
シーラは未だに俯いたままだ。この話を始めてから一度も視線が合わない。私は立ち上がり、向かい側に座るシーラの右肩を掴んだ。
「私が死ぬと思うか?」
「……」
「私は吸血鬼共を死滅させるまで永遠に生き続けるつもりだ。この言葉が、お前には偽りに聞こえるか?」
私はシーラの顔を覗き込みながら強く揺さぶり強引に視線を合わせる。
「どうして、危険を冒してまで吸血鬼と戦いたいの? ここにいれば、ずっと安全なのよ?」
「始末しなければ増え続けるからだ。だからこそ安全な場所なんてものも存在しない。このグローリアが一生安全だという保障がこの世界のどこにある? そんなものは、どこにもないだろう」
私の真剣な瞳を見つめ呆然とするシーラ。残酷な現実を突きつけてしまったことで、シーラの表情は着実に曇り始めていた。
「この時代は吸血鬼共が優勢だと聞いた。もしこの状況が続けば、人間は吸血鬼共に敗北する。奴隷となり人としての生涯を終え、二度と人として生まれ変われなくなるはずだ」
「アレクシアちゃん、あなたは一体……」
「……今まで黙っていたが、私は千年以上も前から吸血鬼共を殺し続けてきた転生者だ。この紋章がその証拠になる」
左脚に巻いた包帯を解き、転生者の紋章をシーラへと見せつける。紋章を目にした瞬間からシーラの表情は一変し、口を半開きにしたまま、私の顔を見上げてきた。
「どうしてその紋章を? アカデミーに入学しないと、紋章は刻まれないはずなのに……」
「お前が知る者たちの紋章はすべて偽物だ。本物の紋章は人の手によって刻むものではない。選ばれた人間の体に自然と浮かび上がる」
「本物に、偽物? ごめんねアレクシアちゃん。私、気が動転しちゃって……」
理解ができずに片手で額を押さえるシーラ。私はシーラの隣まで歩み寄り、今度は両肩を掴んで、こちらに身体を向かせた。
「シーラ、お前はキリサメの件も含めて優しすぎる。その優しすぎる性格が故に、子供たちの死も、自分の責任にしようとしているのだろう」
「だって、私が止められなかったからあの子たちは戻ってこなくて……」
「違う。戻ってこなかったのはシーラの責任ではない。お前はただ自分の子供たちを信じただけだ」
私は持っていた四人家族の写真をシーラに返す。その写真にはまだ家族を信じることが出来たシーラが写り込んでいた。
「信じないのは簡単だが、誰かを信じることはとても難しい。だがお前は子供たちの為に、難しい選択肢である"信じること"を選んだ。それは母親としてあるべき姿だろう」
「アレクシアちゃん……」
「シーラが私を信じて本試験へ送り出し、もし帰ってこられなかったとしても……。私はお前を恨まない。期待に応えられなかったことを私が来世で悔やむだけだ」
母親として子を信じるという選択は正しい。私はそう訴えかけてから、シーラの両肩からゆっくりと両手を離した。
「信じて、いいの?」
「私を信じろ」
「……分かった。私はアレクシアちゃんを――信じるわ」
返答を聞いたシーラは大きく深呼吸をすると、私の両手を自身の手で包み込み、決心した表情で頷く。
「あ、あのー……」
シーラが信じると決心した丁度のタイミングで、酷く汚した紳士服を着ているキリサメの姿が横目に映り込んだ。
「カ、カイトくん~!」
「うおぉーーっ!?」
数日ぶりに姿を見せたキリサメにシーラはすぐさま飛びつく。私は帰ってきたことにやや驚きながらも、キリサメに歩み寄った。
「私、心配してたのよぉ~!?」
「す、すんません! 仕事を探すのに必死で……!」
「……空気が読めない男だ」
「え? 空気が読めないって何だよ?」
砂と土に汚れた紳士服。ぼさぼさの髪の毛。みっともない恰好をしているが、最後に見かけた情けない面は浮かべていない。
「……お前の帰る場所はアベル家だろう」
「あ、あぁ……! もしかして俺とジェイニーさんが話しているのを見たのか?」
「偶然な」
キリサメは「うーん」と少し照れ臭そうにしながらも、私に苦笑交じりの表情を見せてきた。
「やっぱここがいいなって」
「……アベル家の方が待遇はいいぞ。働かなくてもいい、食事も豪勢。お前が気にしていた不平等もなくなるはずだ」
「確かにあっちの方がいいかもしれないけどさ。俺には俺に合う場所があるんだって気が付いたんだ」
私たちの会話など微塵も聞こえず、ただ泣きじゃくるだけのシーラを見て、キリサメは静かにそう微笑んだ。
「イブキはきっとあっちの方が合うんだと思う。でも俺はおっちょこちょいなシーラさんがいて、鬼のようにスパルタなお前がいるこっちの方が合うんだ。なんか息がしやすいっていうか……」
「働く場所を見つけていなければ何も変わらん」
「それに関しては大丈夫だ! 何度も何度も頭を下げに行った酒場の店主に『ここまで根性のあるやつは初めてだ。その根性を認めてやる』って言われたからな!」
どうだと言わんばかりに親指で立てているキリサメ。私は窓際まで移動すると、繁盛している酒場を眺めた。
「……あの酒場の店主は自分の仕事に異常なほどに誇りを持つ。中途半端な根性で働かせては貰えんだろう。実際、あの酒場は仕事を求めていた私を唯一厄介払いした場所だ」
「そ、そうだったのか……!? お前でも厄介払いをされたのかよ!?」
「だがお前は認められた。どうやら私以上に根性があるようだな」
私も働く場所を見つけようと様々な場所を訪れたが、酒場の店主だけはこちらの話すら聞いてもらえなかった。一方的に言われたのは『お前には気合いと情熱が足りねぇ』という言葉のみ。
「後は好きにしろ。私は明日に備えて部屋に戻る」
しかしキリサメはその粘り強さを認められたらしい。私はキリサメの胸元を右拳で軽く叩くと、明日の仮試験の準備を進めるために二階へ向かう。
「あ、そうだった! ついでに俺も明日の仮試験に参加するからよろしくな!」
「……なぜ受ける?」
「何事も挑戦だなって。落ちたら落ちたで、酒場で働きながら生活していくつもりだからさ」
「そうか」
調子のいい男だ、と背を向けたまま大きな溜息をつき、私は二階の部屋に続く階段を一段ずつ上がっていく。
「まずは身なりからだ」
自室に置かれた三面鏡の台。その引き出しから私は無言でハサミを取り出す。
「見えにくいな……」
三面鏡に映り込む私はどれもが半透明。私は鏡を見つめながら、生まれた時から伸ばし続けていた長い青髪に触れ、
「……髪は命か。下らん戯言だ」
そんなジェイニーの言葉を思い返しながら、長い青髪に切れ込みを入れた。
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