ЯeinCarnation
小桜 丸
序章:降誕
プロローグ:『吸血鬼の誕生』
Prologue ~序章~
遠い過去の話。
豊かな自然に彩られた広い大陸にひっそりと存在するのは、争いを好まぬ人々が住まう国。その国に住む"少女"は誇り高き貴族の娘として生まれた。
「ほら見てください。可愛い女の子が産まれましたよ」
「女の子! ……ははっ、このしかめっ面はお前にそっくりだな!」
「ふふっそうですね。無事に産まれてきてくれたこと、我が主に感謝しましょう」
母親は慈愛に満ちた修道女、父親は誇り高き騎士。青空に浮かぶ太陽は、少女の誕生を祝福するように、温かな光で小さな額を照らす。
「あなたは常に謙虚であり続けるのよ」
「はい、母上」
「お前は皆に優しくあることだ」
「はい、父上」
少女は与えられたその謙虚さと温厚な性格によって、多くの人々に愛された。眩しい程の笑顔は「女神が微笑むかのようだ」と。心に染みる程の慈悲深さは「聖水で心を洗われるかのようだ」と。
「はぁっ、はぁっ……」
「まだ未熟だ。太刀筋が甘すぎるぞ」
「父上。もう一度、もう一度お願いします!」
「よし、来い!」
少女は騎士である父親のように弱き者を守るため、貴族としてではなく、一人の人間として剣術を学んでいた。その何事にも挫けぬ"強靭な精神"は父親に近しいものを感じさせるようだ。
「あなたは博愛の心を持って生きていくの」
「母上、それは何故ですか?」
「命は、皆が平等に与えられたものだからよ。命の価値に優劣なんてないの。命ある者は、皆が愛される資格を持っているわ」
少女は心身共に美しい女性となるため、母親から博愛の心を学んでいた。財産や権威を持たぬ者にも手を差し伸べ、食糧を分け与えようとする博愛の心。少女の心に深く刻まれたのは母親が持つ"愛の精神"。
「さぁ今日も神に祈りを捧げましょう」
「はい、分かりました」
恵まれた少女は剣術で己の精神を鍛え、愛の精神を育む日々を神様に感謝し、日課として教会で祈りを捧げていた。この幸せな日々が続くように、終わらないようにと願いながら。
「あなたッ、逃げて……!!」
「ここは私が引き付ける! 早く、早く走るんだぁあぁッ!!」
しかし祈りは届かなかった。少女が住んでいた国は、食糧難に陥っていた
「ぐあぁあぁ……ッ!?」
「父上ぇえぇえぇっ! いやぁああぁあッ!!」
父親は弱き者を守る騎士として果敢に立ち向かったが、少女の目の前で無惨に斬り殺された。命尽きる父親を前に、少女は掠れた声で泣き叫ぶ。
「
騎士である父親を斬り殺したのは──同年代らしき青髪の少女。瞳に宿るのは傲慢さと、人の命を何とも思わぬ冷酷さ。
「いい? あなたは一人でも生き残るの」
「嫌ですっ……母上と別れるなんてっ……!」
「いつまでも――あなたのことを愛しているわ」
母親は少女を逃がすための囮となり、青髪の少女に首を跳ねられた。両親と故郷を失った少女は、泥だらけになって暗闇に包まれた森の中をただ走り抜ける。
「きゃあっ……!?」
悲しみと苦しみが身体に染み込んでいく。
次第に呼吸が荒くなり、意識も揺らぐ。足がもつれ、泥水へと顔を打ち付けた。その衝撃で少女の意識は途絶える。
「おい見てみろよ。こんなところにガキが転がってるぞ」
「ホントだ。しかもかなり育ちが良さそうな服を着てるじゃねぇか」
「へへっ……。こいつ、市場で高く売れそうだな」
「あぁ間違いなく貴族に売れるぜ。この幸運、神に感謝しねぇとなぁ」
不幸なことに少女は野盗に拾われ、奴隷として売り払われてしまった。何度も逃げ出そうと試みたが、屈強な男たちを前にすれば不可能に近く、少女は抵抗もできずに
(どうして、どうしてこんなことに……)
市場へ運ばれていく最中、少女は手を合わせ、日課である神に祈りを捧げた。どうか優しい貴族に買われるようにと。
「今日からお前は俺のモノだ。もし逆らえば、すぐにでも殺してやる」
「……」
しかし少女の祈りは神様に届かない。不幸なことに、暴君ともいえる貴族に買われてしまった。
「どうしてッ、お前はッ、こんなこともできないんだッ!?」
「ごめんなさい、ごめんなさいぃッ!!」
(あの子、可哀想……)
暴君なる貴族と鞭を打たれる少年。自分と同じ境遇の少年に哀れみの感情を抱いた少女は、心を苦しめながらその光景を眺める。
「ねぇ大丈夫?」
「……うん」
「困ったことがあったら、私を頼ってね。絶対に助けてあげるから」
ついに耐えられなくなった少女は、母親から教わった慈愛の心と愛の精神を持ち、傷だらけの少年に救いの手を差し伸べた。
「この絵画を傷つけたのは誰だ……?!!」
「あ、あいつです!」
「えっ? ち、違います! 私じゃ──」
「あ、あいつが傷つけているのを見ました!」
が、少女はその少年に罪を被せられた。慈愛の心と愛の精神を持って、救いの手を差し伸べた相手に裏切られたのだ。
「この、役立たずがぁあぁッ!!」
(私は、私は助けてあげたのに……っ)
鞭打ちを受けながら少女は生まれて初めて"憤怒"する。そして牢屋へ戻ると
「ねぇ! あなた、どうして私のせいに――」
「おまえ、気色悪いんだよ」
「気色、悪い……?」
「哀れむような視線とか、励ましの言葉とか……何もかもが気色悪いんだよ! 俺だけじゃなくて、他の奴だってそう思ってる!」
薄暗い牢屋の中、少女は奴隷たちから殺伐とした視線を浴びる。どの奴隷も少女が手を差し伸べ、愛情を持って声を掛けた者たちばかり。
「そ、そんな……! 私はただ、皆でこの苦しみを乗り越えられたらって……」
「だったらさ、俺たちの
「えっ?」
「どうせ死ぬまで飼われるんだ。"イイ思い"ぐらいさせてもらうぜ」
「や、やめて、離してっ……! いやぁあぁあぁッ!!」
その日から少女は奴隷たちに強姦され続けた。傍観するだけの奴隷たちは心優しき少女に、救いの手を差し伸べてはくれない。
「我が主よ……どうか、どうかこの地獄からお救いくださいっ……」
少女は
「おい、少しぐらい鳴いてくれよ?」
「……」
「見ろよコイツの顔! 首を絞められた家畜みてぇな顔してんぜ!」
しかし想いと魂を込めた祈りは神様に届かない。毎晩毎晩、あらゆる負の感情をぶつけられた少女は抵抗する気力すら失い、冷たい地面の上で成すがままになっていた。
(あれは……)
ふと少女が視線を逸らせば、そこには丈夫な木の棒が転がっている。母親から注がれた愛情、父親から受け継いだ強靭なる精神、そして幸福に満ちた日々の記憶。
「……っ!」
「うおぉっ!?」
少女の脳裏にそれらが過った瞬間、奴隷を押し返し、落ちていた木の棒を右手で握りしめた。
「何だよ急に?」
「──ね」
「あ?」
「死ねぇええぇぇッ!!」
弱き者を守るために振るうと誓った剣術。そのような誓いなど少女の中でゴミ屑同然の誓いとなり、
「や、やめっ――」
「いなくなれッ! 消えろ、くたばれ、害虫共ぉおぉッ!!」
弱き者である奴隷を殺すため、初めて振るった。頭部を叩き割り、首をへし折り、脇腹に穴を開ける。
「はぁっ……はぁっ……あ、あははッ……」
強姦してきた奴隷を数人殺害し、少女は動かぬ死体を蹴り飛ばす。人を殺したという事実に少女は思わず笑ってしまう。
「殺してやる、殺してやる……全員、殺してやる……!!」
「ま、待ってくれ! 俺らは見てただけだ! お前に手を出しては──」
「黙れぇッ! 見ていただけのお前たちも害虫だッ! 」
生まれて初めて抱いた"殺意"は収まりが付かず、見ていただけの奴隷たちも問答無用で殺してしまった。
「おいお前、一体何をして……全員殺したのか!?」
「あ、あははっ……殺して、何が悪いの?」
牢屋に響き渡る奴隷の悲鳴。その場に駆け付けた見張りの者を少女は構わず撲殺し、牢屋の外で暴君なる貴族を探す。
「見つけた……!」
「なっ、貴様どうやって牢屋から――」
「消えろッ!!」
辿り着いた部屋で貴族を見つければ、少女は飛びかかり、木の棒で滅多打ちにする。気が付いた頃には、貴族は苦しみに満ちた顔で仰向けに倒れていた。
「ひッ……!?」
「……?」
部屋の隅にうずくまっている十代もいかない少年。少女は怯えた姿を目にすると、木の棒を床に落とし、両膝を突くと絶望してしまう。
(どうして、こんなヤツの子供がのうのうと幸せに暮らしているの? 人の為に何もしないこの子供が、幸せなのはどうして?)
「こ、ころさないで……」
(私は皆の為に尽くしてきた。幸せになるべきは、私。不幸になるべきは、こういう連中)
少女は救いを求め、毎日のように神へ祈りを捧げた。神様が助けてくれると、神様が幸福を与えてくれると信じて。
「あぁそっか」
「たすけて、たすけて……!!」
「神様なんて――いないんだ」
少女はゆっくりと歩み寄り、少年の首を両手できつく締め上げていく。
「ぐっ、や"め"て"ぇ……」
「……」
「ぁっ──」
「……」
「――」
動かなくなった少年から手を離し、落ちている木の棒を拾い上げると、少女は館の出口へと歩き出した。
「次はあの女だ。あの女を殺してやる。私の父親を、母親を殺した──あの女を」
"憎しみ"の感情を抱くと共に脳裏を過ぎるのは"青髪の少女"。殺すため、復讐するため、攻め込んできた隣国を目指し始めた。一歩ずつ一歩ずつ、地を踏みしめながら。
「この世界から"害虫共"を排除してやる」
少女の右脚太ももには"ЯeinↃarnation"と刻まれた紋章が浮かび上がり、光を失った瞳が真っ赤に染まる。
そうこの日、この世界に──人類の天敵となる"吸血鬼"が生まれた。
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