8章-了 優しい鼓動

 古の森へ着いてすぐに、ブランはものすごく嬉しくなりました。黒ドラちゃんの棲み処のある湖のそばの大きな木の場所が、はっきりとわかったからです。

 古の森はそう簡単には外からの者を受け入れません。森の奥深くの湖へ近づけるのは、森に棲みついた鳥や動物、そしてドンちゃん達などほんの少しの存在だけです。だから、こうやって森が自分を受け入れてくれたことが嬉しかったのです。

 やがて、湖が見えてきました。湖のそばの大きな木の根元に黒ドラちゃんをそっと降ろします。

「黒ちゃん、着いたよ」

 そう言って黒ドラちゃんを優しく揺すります。けれど、黒ドラちゃんは起きません。

 軽くイビキさえかいています。


「……」


 ブランは揺するのをやめて、そおっと冷たい息を黒ドラちゃんの顔に吹きかけました。

「へっくちっ!」

 大きなくしゃみを一つして、黒ドラちゃんが目を覚ましました。キョロキョロと辺りを見回して、自分の洞の前に居ることに気付いたようです。


「ブランが運んでくれたの?」

「うん」

「ありがとー!」

 黒ドラちゃんがギュッと抱きつくと、ブランのうろこがほんのり色づきました。


「あの、黒ちゃん、とりあえず今日はもうお休みよ。僕はまた明日来るからね」

「そうなの?また来てくれるの?」

「うん。それで、またマグノラのところへ行って、今度はゆっくりお土産話をすれば良いさ」

「あ、そうだった!あたし、急に眠くなってお話が途中になっちゃったんだっけ」


 黒ドラちゃんは、眠る前にマグノラさんから言われたことを思い出しました。


『古の森に帰ったら、周りを良く見てごらん。旅から戻ってみるとね、自分の周りがそれまでとは違って見えるものさ』


 湖と森をぐるっと見回します。おっと目の前に立ってるブランが邪魔でした。ブランを除けて、ぐるっと見回して……あれ?

 目の前のブランを除けちゃって良いの?


 黒ドラちゃんは目の前のブランを見つめました。


「黒ちゃん?」


 ブランが不思議そうに黒ドラちゃんのことを見つめ返してきます。


 そう、ブランはいつも黒ドラちゃんのことを見ていてくれます。優しく辛抱強く、親身になって。色んな出会いをするうちに、黒ドラちゃんにもわかってきました。ブランは特別なんだ、って。特別に黒ドラちゃんのことを大切に想ってくれているんだ、って。


「黒ちゃん、どうしたの?」

 ブランが湖と同じ碧い目で見つめてきます。


 黒ドラちゃんの頭の中に、旅で出会った色々な人、色々な出来事が浮かんでは消えました。


 ラマディーとアーマル、それに一座の仲間達が。


 若き日のホーク伯爵と名もなき踊り子が。


 ドンちゃんと食いしん坊さんのノラウサギダンスが。


 アマダ女王と抱きしめられるメル王女が。


 ポル王子の純粋なニクマーンへの愛情が。


 ホーク伯爵と転がるニクマーンはちみつ玉のハッチが。


 ラウザーとハグする漁師のおじいちゃんが。



 出会いってたくさんある。別れも同じ数だけあるのかも…。

 黒ドラちゃんのお耳に、アマダ女王の言葉がよみがえります。


“手元にある宝をおろそかにしていたのは、私も同じ”


「あ、あの、ブラン、あのねっ」

 黒ドラちゃんは急にブランに伝えなければいけないことがあるような気がしてきました。

「?」

 ブランが不思議そうに見つめてきます。


「えっと、その…あの」

「黒ちゃん?」

「ブラン、大好き!!」

 そう叫ぶと黒ドラちゃんはギューっとブランに抱きつきました。


「え、え、え!?」

「あと、いつもありがとう!」


 ブランは戸惑いましたが、すぐに嬉しそうにつぶやきました。

「僕も大好きだよ、黒ちゃん。とってもうれしいよ」


 黒ドラちゃんとブランは、互いの手の中の宝物をしっかりと抱きしめました。



 夕暮れの湖を、優しい風が吹いていきます。


 かすかに笛の音が聞こえたような気がしました。それはすぐに消えてしまって、黒ドラちゃんのお耳には、ブランの胸の鼓動だけが穏やかに響いていました。






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