短編集・決して謳われない詩の中に

兎ワンコ

「life logistics」

 “彼女は空を見上げた。つられて僕も同じように空を見上げてしまう。そこには、絵具が混ざったバケツをこぼしたかのようなオーロラが広がっているのだ”


 僕が大好きな本のフレーズを思い出す。唯一、この世界で希望があると信じられる物語。それ以外は、どうでもよかった。


 冷たい風が頬に吹き、僕は目を覚ました。ぼんやりとした視界がはっきりしていくと目の前には華奢で痩せほそった少女の少しつり上がった瞳が僕を捉えている。僕の姉さんだ。姉さんといっても、血のつながりはない。


「気が付いた?」


 短い髪を揺らし、僕の頬を指でなぞる。姉さんの顔にはひどい痣が残っている。


「昨日の男たちのせい?」


 思わず呟くが、姉は無関心を装って僕の視界から消えた。僕は冷たいコンクリートの床からムクリと上体を起こす。古く傷んだ僕のスニーカーの向こうには三つの亡骸が見える。

 昨日、僕らの寝床を襲った野盗どもだ。野党は三人の男で、恐らく僕たちへの報復で来たのだろう。僕はよく覚えてないが、必死に抵抗して男たちと戦った。あれからどうなった? 最後に覚えてるシーンは脂ぎった醜い男の顔を見つめながら首に手を回していた。それ以外の事は分からない。


「ルイ、もうここには居られない。こいつらのねぐらを奪おう。懐に地図があったの。武器を持って」


 姉さんはすでに大きなリュックと鞘に収まったマチェーテを足元に置き、僕を見下ろしている。姉さんの向こうにはガラスを失った窓にくりぬかれた朝焼け。僕は立ち上がり、姉さんの横を通り抜けて窓の横に立つ。


 目の前に広がるのは生き返ったばかりの太陽と朽ちたビルの森。主を無くし、しもべすらも寄り付かなくなったビル達は虚しく朽ちていく。人々の笑顔も、何かもを失った都市。いつからこのような世界になったのかは僕も分からない。唯一分かるのは、僕の事と、僕の姉さんの事だけ。

 

 僕と姉さんはクローン人間で、僕らは“第三世代”と分類されるようだ。なんでも、僕と姉さんは過去の英雄のクローンで、大量に作られた着せ替え人形のようなものだというのだ。それを教えてくれたのは姉さんだった。

 それが本当かどうかは知らない。僕に物心なるものが付く頃には、そばには姉さんしかいなかったから。だから、この世界の事は姉さんの口からと、この目で見てきたこと以外は知らないのだ。


 目の前に広がる荒廃した都市がかつて東京と呼ばれて、このニホンという国のシュトと呼ばれていたそうで、ここにはたくさんの普通の人が住んでいたと聞いたのも姉さんからだし、それがどういうわけか崩壊し、僕たちはネズミのように暗がりを走り、食料の奪い合いを始めたというのも、姉さんから教わった。。


 僕は窓から視線を剥がし、背後で男たちの手荷物を漁っている姉さんを見遣る。


「姉さん。また、誰かを傷つけなきゃいけないの?」


 僕が呟くと、姉さんは探る手を止めて、ゆっくりと身体をこちらに向ける。


「ルイ、聞いて。いつか、新東京に行こう。食料や貴金属を集めて、ゲートを開けて貰おう。そしたら、こんな酷い生活ともおさらばしよう。そしたら、またルイの好きなパンケーキを焼いてあげる。バターが染み込んでいて、メープルシロップがたっぷりかかったやつよ」


 薄く開いた唇からそう告げられた。

 新東京。選ばれた人間だけが住める街。崩壊したこの世界に残る、唯一の楽園。高い防壁に囲まれ、何人たりともその壁を越えた者はいない。

 唯一あるゲートを通り抜けるには、“強行突破”するか、この荒廃した世界で価値あるものを献上して検閲をクリアするかだ。それ以外に、新東京に行ける方法はない。姉さんは後者で新東京に入るつもりだ。


 だが、僕らには簡単に価値あるものなど手に入れる事は出来ない。そこで僕らは野党狩りを始めた。この荒廃した街で弱者から奪う輩から、僕らは奪う。良心的に思えるが、結局僕らも野盗と変わらない。野党が奪ったものを奪い返す。だが、取るものは取るというスタイルだ。これも全ては「新東京に行くためだ」と言った。新東京に行けば、困ることはない。水も食料も、寝床もなんでも手に入ると強い眼差しで言う。


 僕は姉さんに言いたい。

 正直、綺麗な水だとか、清潔な服だとか、豪華な食べ物だとか。そんな過去にあったという"いつか"の生活なんていらないんだ。

 ただ隣に姉さんだけいればいい。今のようにそばに居て、隣を歩いて、少しの空腹に困って空を見上げるだけでいいんだ。

 じっと見つめていると、視線に気付いた姉さんが目を合わし、ウンと頷く。


「ルイ。別の野盗が来るかもしれない。準備して」


 姉さんの言葉に頷き返し、シュラフや熱線銃をリュックサックに大雑把にしまう。そして枕元に置いてあったあの本も隙間に押し込む。

 僕の準備があらかた整ったのを見ていた姉さんは「ルイ、先に降りるからついてきな」と告げ、灰色にくすんだ階段を下りていく。

 姉さんの小さな背中に不釣り合いな大きなリュックと、腰にぶら下がった大きなマチェーテが、僕らの世界の残酷さを物語っているような、そんな気がした。


 この世界にハッピーエンドなんてない。

 だけど、姉さんがここに居てくれるだけで明日に希望があるかもしれない。そう、勘違いして生きていいと思っているんだ。


 僕は荷物を背負い、あのフレーズを思い出す。


“彼女は空を見上げた。つられて僕も同じように空を見上げてしまう。そこには、絵具が混ざったバケツをこぼしたかのようなオーロラが広がっているのだ”


 階段を降りる途中、踊り場の窓から青く晴れた空に目を向ける。この空にオーロラを見たことはない。でも、もしかしたら見れるかもしれない。そしたら、姉さんの隣でそれを見ていたんだ。

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