✿ わたしたちは、いま ✿

1.ビーチコーミング

 夫が実家家業を引き継いでから、カナの実父はほぼ隠居生活の状態になった。

 仕事をしているときは冷徹な当主の顔に固め、何を考えているのかわからず、娘のカナですら近寄りがたい存在だった。


 それでも、姉が存命のころから、姉妹の父親となれば、快活なパパの顔をみせてもくれていた。

 ただ、成人したら、そのパパの顔も遠いものとなって……。

 或いは娘を亡くしてから、その面影がやや薄くなったようにカナも感じていたものだ。


 今日もカナの実家は、金春色の海が輝いている。

 娘の千花は、豊浦にある倉重実家へとよく遊びに行きたがる。

 父親の耀平が、そこを仕事の拠点にして一年の半分を過ごしているから、会いに行くためにも母の実家へと行きたがる。


 それもあるが、カナも年を取った両親のご機嫌伺いで、海辺の田舎町にある実家へと向かうことが多くなった。


「おじいちゃん。今日は行かないの」

「行くよ。お昼ご飯を終えたらな。千花も一緒に来るか?」

「行く行く! あそこはお祖父ちゃんと一緒じゃないと歩けない場所だもん」


 小学高学年になった娘の千花が、のんびりと過ごしていた父・雅晴に声かけをしている。

 それを嬉しそうな笑顔で受け答えをしている父は、まさに好々爺。経営者と倉重家当主としての険しさは一欠片もない。


 父にとって初孫の航は、適齢期で結婚した長女が授けてくれた孫だった。千花は次女のカナがやっと結婚して得た子供で、女孫。さらに父が高齢になってから授かった女の子は、こまっしゃくれた生意気さも相まって可愛くてしかたがないらしい。


 初孫の航はとっくに成人して若き経営者に成長してしまったので、隠居生活を賑わして、じいじを相手にしてくれるのは、いまはこの千花になるものだから、父・雅晴もとても楽しみに待ってくれている。


 最近、父はひとつの趣味を持つようになった。


「よし。千花、行くぞ。ちゃんと帽子を被ったか?」

「かぶったよ。ヒモもちゃんとついているやつ」

「うんうん。潮風が強い場所だからな」

「今日はなにが見つかるかな~」


 まるで潮干狩りにでも行くようなスタイルで、父の雅晴と出掛ける準備をしていた。

 お祖父ちゃんの趣味に、最近、千花は付いていく。


「お母さん、いってきまーす」

「お祖父ちゃんの言うことちゃんと聞いてよ。お母さんもあとで行くから」

「はーい」


 父と娘が仲良く並んで海辺へ向かう背中を、カナは実家の玄関から見送った。


 おやつにと、小さなおにぎりと唐揚げを作って、カナもでかける準備をする。

 自分も紐付きの帽子を被り、マリンシューズを履いた。

 そこへ、ネクタイを締めているスーツ姿の夫、耀平が現れる。

 彼がこの実家に滞在している時の寝室は、カナが実家に帰省した時の部屋でもあった。


 そこに帰ってきた夫がカナの出で立ちを見ると、彼も着替えを始めた。


「お父さんと海辺へ行ったのか。俺も行く」

「そう? お仕事から帰ってきたばかりで大丈夫?」

「せっかくカナも帰ってきているしな」

「おやつに唐揚げ作ったの」

「お、いいな。カナお得意の茶色いおかず」


 いったいあれから何十年経ったのかと。カナは年甲斐もなくいきり立つ。


 カナの姉・美月が亡くなり、義兄だった耀平と彼の息子の航と、海釣りに行く度に、カナは弁当をこしらえて持っていった。お料理初心者ゆえに、彩り皆無の茶色いおかずばかりのお弁当となり、上達はしたものの、当時の出来映えを彼らは『カナちゃんの茶色いお弁当』と記憶しているのだ。


 なので『唐揚げ』も茶色いおかず。

 相変わらず意地悪な物言いをする夫、元義兄に対し、カナはプンスカ怒って拗ねる。

 しかし夫がこうしてからかっても、その後直ぐに、憂う笑みを見せるのも……。未だに変わらない。


「吹きガラスしかできない若い女の子だったのに。俺と航のために、できないことも頑張ってくれたよな。カナがいるだけで、笑顔がそこにあった。感謝している――」

「耀平さん……」


 ネクタイをほどいたばかりの彼が、シャツを脱ぐより先にカナを抱き寄せた。

 カナの額に、自分の額をこつんと当てて、穏やかな笑みを見せてくれている。


 義兄は、歳を取った。カナも。

 でも夫となった耀平の笑みは、しあわせそうだ。

 それでいい。それで。これでいい、これでよかった……。


 義兄と義妹の関係から、長い時間を経て夫妻となり生まれた子供。千花。

 その子もすくすくと育って、いまは彼女が倉重家の笑顔の真ん中にいる。円満のシンボルだった。



 耀平と共に実家を出て、いまは彼が司っている倉重リゾートホテルへと向かう。

 徒歩で辿り着けるのだが、向かうのはホテルのプライベートビーチの脇で、立ち入り禁止になっている渚だった。

 立ち入り禁止の注意喚起を促す看板が立てられているそこに、鉄格子の扉。それを開けて、カナと耀平は平然と通り抜けた。

 何故なら、この渚の持ち主は父・雅晴だから。


 リゾートホテル側にある浜辺は白浜で遠浅。波も穏やかで景観は素晴らしいのだが、この立ち入り禁止区域は岩肌の崖下にある波が荒い区域なのだ。

 ゆえに、漂着物が多く、昔から父・雅晴が見回りに出向く場所だった。

 もちろん、いまは次期当主になる夫の耀平が見回りに出向いたり、さらに次の跡取りである航も最近はこの役回りを受け持つようになった。

 ここは昔から倉重の男が守ってきた渚なのだ。

 一般部外者の立ち入は禁止。波は荒いし崖がどうなるかわからないし、浜辺もなにが漂着したかわからない。勝手に侵入して、なにか事故などに遭遇しても、責任は取らないという主張も看板には明記している。


 航も千花も、なんならカナも。子供の時から『家長である父の同行なしに立ち入らない』と厳しく躾けられてきた場所でもあった。

 なので、倉重の当主、父の雅晴が一緒ならば、あるいは許可を得た耀平お父さんが一緒ならば、遊びにいける。今日はまさに、千花はお祖父ちゃんの同行で、この特別な場所に遊びに行けることになり、ご機嫌だったのだ。


 カナと耀平が私有地の浜辺に到着すると、奥の小さな渚で父と千花がさっそく、腰をかがめて漂着物を拾い集めている姿が見えた。


「今日もいっぱい、集まりそうね」

「ほんとうだな。しかし、まさか、この浜辺からあんな趣味が誕生するとはなあ」


 父・雅晴の最近の趣味は『ビーチコーミング』。

 浜辺の漂着物を拾って、インテリアにすることだった。

 父がまるで博士のように、シンプルな標本を制作していたのがキッカケだった。

 ただの木箱にガラスの蓋を張って、ただ眺める。

 シーグラスだけ飾ったもの、貝殻を並べたもの、流木や丸くなった陶器の欠片を並べた箱。等など。


 そのうちに千花がそれを楽しそうに眺めては、じいじに『これなに』といちいち尋ねるようになった。

 千花も『私も拾いに行きたい』と言いだす。雅晴じいじも喜んで、孫を連れて行く。

 バケツいっぱいに拾ってきて、水道水を溜めて、塩抜きをする。消毒処理をして、乾かして、集めて、分別して、その作業を一日中して、じいじとお話をする。

 一緒に標本を作る……。そんな楽しみ方、過ごし方が定着しつつあった。


 そんなある日、カナは思いついたのだ。

 こんなお堅い厳つい味気ない標本ではなくて、インテリア風にしてみましょう――と。ここは工芸作家ならではの閃きだった。

 麻のキャンパス生地を貼った木枠を造り、白や水色の枠を施し額縁風にした。

 お洒落なキャンパス額縁を見た千花が『素敵!』と喜び勇んで、そこに小さな貝殻やシーグラス、海藻などをちょこちょこと綺麗に並べ始めた。


 だが――。子供が自由な発想で、不揃いのものを、ランダムに無邪気に並べつつも、きっちり整列させたそのセンスに、カナはおろか、倉重の大人たちが驚き絶句した。


 それほどに。センス良いお洒落標本が出来上がっていたのだ。

 いちばん感動して打ち震えていたのは、じいじ、だったかもしれない。


『千花、じいじも真似してもいいか?』

『いいよ。一緒に作ろうよ』


 そこから父もカナが準備したキャンパスに、貝殻やシーグラス、甲殻類の欠片などを並べるようになった。

 父・雅晴も細かい性格をしている質なので、綺麗に均一に並べていく。これまたとても見栄えがして、美しい。きっちり綺麗に並べているからこそ、自然の欠片たちの不揃いさが味わいを醸し出す。


 標本のようでそうではない。インテリアが誕生した。


 それを見た夫の耀平が出来上がったキャンパス額縁を眺め、唸っていた。

 そのうちにスマートフォンでいろいろ何かを検索して調べ、カナへと画面を見せた。

 クラフト販売サイトだったが、耀平がみつけた作り手アカウントでは、いま父と千花が作っていたようなものが販売されている。お値段は、5000円~14000円!? カナは『え、海で拾ったもの並べただけなのに売れるの』と仰天した。


 しかし夫の耀平は『無意識だっただろうけれど、カナが作った下地もセンスが良かったということになるな』と、クラフトサイトで人気の商品とおなじぐらいのセンスだったと、感心してくれたのだ。

 そしてとうとう、経営手腕ある夫さんが言いだした。

 ――『売れそうだな。やってみるか』と。

 カナはそんな無茶なと呆気にとられたのだが、ふと思い直した。


 義兄、もとい、夫の耀平は売れるものを見抜く審美眼を昔から持っている。

 カナが制作したガラス製品も、義兄が売れるといえば売れたし、しっくりしていない顔をされたものは、よく売れ残っていた。

 そんな夫が『売れる』という商機を見出したのだろう。


 実際にその後、ホテルの土産物売り場に『こちらの海岸で収集した漂着物で制作しました』と置いてみると、またたくまに売れてしまったとのことだった。


 それからだった。父が隠居後の楽しみのように、こぞって海の標本キャンパスを作るようになった。

 休みに孫娘が遊びに来ると、一緒に浜辺に出てビーチコーミング。収穫物を綺麗にする作業をして、出来上がった標本をお洒落に無邪気に並べて仕上げていく。


 なにより父が嬉しそうだった。


 孫ちゃんと所有地の見回りに行って、じっくりビーチコーミング。集めたものを手入れして、孫ちゃんとおしゃべりをしながらクラフトしていく。

 しかもそれが売れる。自分が経営していたホテルのショップで。自分の所有地で拾ったものを、このホテルに来た浜辺を思い出すお品として、ゲストが持ち帰ってくれる。

 その喜びを日々噛みしめているようだった。


 そもそも父も工芸愛好家。手仕事で生まれたものに惹かれる人だった。

 資産家の跡取り長男として生まれてしまったから、生きる道は定められてしまっていたが、父もきっと手仕事に憧れることもあったのだろうと、娘のカナは感じていた。


 跡取り長男の責務から解放され、やっと思うままに父も生きているのかもしれない。


 そんな父を見て、娘のカナもほっとするので、最近はこうして娘を連れて実家に帰省することが増えたのだ。


 しかし。カナは最近、ふとした予感のようなもので胸がざわついている。


 娘、千花の感性だ。無邪気にぽんぽんとものを作り出すが、それらの全てにハッとさせられることが多くなった。学校の工作で製作したものにさえ、それを感じ取ることがある。

 自分が工芸作家だからこそ、感じ入るものがある。


 もしかして……。

 娘も……。

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