27.ハレの日

 秋の候。ガラス工芸展覧会の授賞式が開催される。

 萩の花が揺れる美術館で、潔は花南と再会する。

 ティールームでの待ち合わせ、潔がコーヒーを堪能しているテーブルに、待ち人が現れる。


 ひと目見て、潔は感嘆の溜め気をこぼした。

 品の良い着物姿の花南がそこにいたからだ。


「遠藤親方、本日はおめでとうございます」


 季節に合わせたのか、萩の花が描かれている着物だった。

 見るからに上質な生地で、絵柄にも品格が滲んでいた。職人手業の極上な一品だと、潔も職人だからこそ直ぐにわかる。


 しかもきちんと着付けて、所作も上品で、雰囲気はまさに『良いところの奥様、ご婦人』だった。


「おお、素晴らしい訪問着だね」

「母から譲り受けたものです。今日のお祝いの席にと、一緒に選んでくれました」

「母と子で受け継いでいるのもいいね。ものが良いということだよね」

「良い年齢になりましたが、母が恩師のおめでたいお席だから、華やかにしていきなさいとこの色を選びました」

「いやいや。似合っているよ」


 秋らしくくすんだ薄紅色に、ほのかな色合いで描かれた萩の花。

 白と金糸の帯を締め、柔らかな色合いながら、華やかさも添えられていた。


「親方も素敵です。こんなフォーマルな親方、初めてですね」


 そんな潔も今日は初めてのモーニングコートで決めてきた。

 きっとこの日だけの衣装だろうと思いつつも、『一度は着てみてもいいよな』という割り切りで揃えてしまったのだ。


 約束通り、弟子の二人が授賞式に付き添ってくれることになった。

 展示会場となっている美術館に集合。そこから入賞した作品の鑑賞巡りをして、潔が受賞した金賞作品『透き通る理』がどのように展示されているのか見に行く。


 いままでの潔なら授賞式は辞退しようか、飛行機なんて乗りたくない――だっただろう。一人で来たとしても、もごもごと独り言をこぼしながら廻って終わっていたかもしれない。


 でも今日は娘のような彼女と、長年一緒に工房を支えてきた一番弟子の後輩が付き添ってくれる。

 親しくしてきた彼等とわいわいと作品巡りができる。それだけで、潔の心は躍り出す。楽しみでしかたがない。


 なにより……。自分の渾身の作品が、ガラスの展示に相応しい場所に鎮座する姿を見ることができる。

 誰かが観るためではなく、自分の心を映した作品に潔自身が初対面できるのだ。


 それはまるで、会えなくなった妻に会えるような感覚でもあった。


「富樫さんはどうしたんですか。親方と一緒にいると思ったのに」


 ティールームで一人で待っていたのは潔のみだったので、花南が辺りを見回した。


「そこらへん、いろいろ眺めてくると歩き回っているんじゃないかな」

「そうですか。富樫さんのスーツ姿も楽しみにしていたのに。まったくもう。耀平さんも、そこらへん歩いて眺めてくるとどっかに行っちゃったんですよ~」


 弟子の花南が山口からわざわざ出向いてくれたが、彼女には夫の耀平が付き添ってくれることになっていた。

 彼も潔の作品を見届けに駆けつけてくれたのだ。


 妻を亡くしている者同士。どう感じてくれるのか。

 密かに潔が気にしているところでもあった。


 そのうちにティールームにやってくるだろうと、花南と共に久しぶりの対面、お喋りの時間を楽しんだ。

 花南が紅茶を一杯飲み干したところで、男二人がティールームに現れる。


「そこで、耀平さんにばったり。ロビーで話し込んでしまったんだ」

「富樫さんがいらして、久しぶりの対面だったので話が途切れなかった」


 黒スーツの耀平と、紺色スーツに整えた富樫が揃ってやってきた。


「わあ、富樫さん。紺がお似合いですね。スーツ姿、どうかなと思っていましたけど、イケオジ!」

「は、はあ? どうせ『着慣れないオッサンがいる』と腹の底で笑ってんだろ」

「なんですか。せっかく素直にカッコイイと思ったのに」

「いやいや、花南もなかなかだな。そんな女性らしい色が似合うなんて、意外だな~」


 いつもの兄弟子と後輩弟子の茶化し合いが始まった。だが潔はいつもそれを『あはは』と面白いなと笑い流す。

 そんないつもの『小樽工房』の雰囲気を感じ取った耀平も、ひっそりと穏やかに、微笑ましそうに眺めている。


「すみません。口が悪い義妹で」

「ほんとですよ。耀平さんはこんな生意気な義妹さんのお世話を何十年もしてきたんですよね~。お察しいたします」

「ちょっと。なんで耀平さんはこんな時は『義妹』って置き換えちゃうのよっ」

「いや、なんか子供っぽいなというときは、義妹扱いっていうか」

「富樫さんもなんですか。別に私、義兄さんにお世話になりっぱなしじゃないですからっ」

「いまの花南、世話が焼ける妹にしか見えなくなってるぞ」


 せっかくの麗しいご婦人姿だったのに、プンスカと夫と兄弟子に食ってかかる花南は、一気に幼い雰囲気を醸し出す。それを、どっしりと貫禄ある黒スーツの耀平が、静かな口調で言い返す様は、まさに『お兄さん』だった。


 義兄妹から夫妻になった二人らしい言い合いも微笑ましい。

 潔に付いてきてくれた弟子の二人の気兼ねない茶化し合いも微笑ましい。






 授賞式式典の時間を迎え、弟子の付き添いで潔は会場入りをする。

 選考委員会の先生方と初めて対面し、直接作品の講評をいただくことができた。


「倉重さんのお師匠さんは二人。山中湖の芹沢さんと、小樽の遠藤さん。遠藤さんは製品に集中される方と伺っていたので、今回の応募、とても驚きました。そして――。一発受賞でしたね」

「尖端が割れたままの作品、選考委員一同、驚きを揃えました」


 しかし選考員一同『これこそガラスではないか。儚い物質、でも、砕けてもなお、そこが輝いている』という総評になったそうだ。


「花南さんが若い時に銀賞を受賞された理由を、今回改めて突きつけられた想いでした。技術の厳しさを小樽の遠藤さんから。ガラス芸術の追求は山中湖の芹沢さんから。芹沢さんも元々受賞常連でしたが、遠藤さんの作品を観ても、大いに納得でした――」


 着物姿の花南がそばに付き添ってくれていたので、コミュニケーションが苦手な潔を、顔見知りの選考員との間を繋いでくれ、有意義な歓談をすることができた。


 芹沢親方の実績があったから。

 弟子の花南の実績があったから。

 より一層、潔の実績に箔をつけてくれたようにも思えた。


 萩の着物姿の花南が、優美に微笑む。


「選考員の方があんなに興奮して話しかけてくださるなんて、初めて見ましたよ。さすが、私の親方。鼻が高いです」

「いやいやもう……。花南と富樫がいなければ、ただ『はい。そうです』しか返答できていなかったかも……」


 ひとつ。『亡き妻を追う作品だった』ということには誰も触れなかった。

 きっとそこは選考には考慮されない、しかし、そこを知っても凌駕する芸術性だったと認めてくれたのだろうか。

 そこだけ。気になった。


 同じような想いを抱いて、魂送りをした花南に、そこを聴いてみる。


「花南は螢川を作成するキッカケとなった家族との死別については、選考委員に伝えたのかい?」

「ええ、まあ。受賞後の聴取で『作り出すためのきっかけ、テーマ、心情はあったのか』という項目で、正直に書きましたね」

「そうか……。私も書いたよ。魂送りだと。また花南の金賞受賞作に触れて、舞い降りてきた構想だったともね」

「本来は、家族の感情を乗せたものを、あからさまにテーマにするのは避けられますよね」


 だが、花南も潔も、選考員の厳しい審査を乗り越えた。

 その核心を花南が説いた。


「だからこそ、です。親方がよく言っていた『使う人に職人の感情を乗せさせてはいけない』、まっさらな製品として手に取ってもらう。作品も同じです。私も、なにもかもを削ぎ落として無垢になってから『純真の核』を取り出す。それが、私にとっては、ガラスを吹くことでした。受賞は、それが伝わった。認められた。確かに、私のガラスは『純真』だったという証明だと思っています」


 秋の穏やかな華やかさ。ほんのりとした薄紅色の着物をまとう花南の笑みは、馥郁ふくいくとしている。

 そんな親愛なる娘弟子が、モーニングコートの潔を見つめている。


「遠藤潔さんも、『透き通る理』を手に入れたんだと思います」


 最後の仕上げを、彼女がしてくれた。胸打つ瞬間だった。


「そうか。私も……。透明になれたかな」

「はい。魂送り、素晴らしかったです……。いまでも、あの瞬間を思うと胸が熱くなります」


 その通りなのか。割れたままのものを出展すると決意した時、潔が心に積もらせてきたなにもかもを受け入れた瞬間を、花南はそばで見届けてくれた。

 彼女が姉と家を守ってくれた義兄への想いを昇華させたように。潔も積年の想いをやっと動かすことが出来た瞬間だった。

 師匠の想いが融解する。前に進める。娘のように慕ってくれた弟子として、『大事な時に一緒に立ち会え、幸運でした』と、尊いものとして胸に刻んでくれている。

 その瞬間を思い出すと、花南はいまも目頭が熱くなってしまうと教えてくれた。


「受賞の盾を手にする瞬間、また収めていきますからね」


 着物姿のご婦人なのに、いつものカメラを花南は手に持っていた。


「あ、その前に。あのオブジェの前で記念撮影しましょう」

「そうだった。どんな風に見えるか楽しみにしてきたんだ」


 授賞式開始前に、すぐ隣に設置されている展示ホールへと、花南と向かう。富樫と耀平も男同士、会話を楽しみながら、潔と花南の後を付いてくる。気が合うのか、ホテルの厨房で使うガラス器の商談みたいな会話をずっと交わしている。


 展示ホールに入ると、壁側には入選作が並べられ、金賞と銀賞の作品はホール中央の設置されていた。左右に大きく間を開け、対のように展示されている。


 潔の『透き通る理』も、細長いアクリルケースに収められ展示されていた。


 照明を抑えられたほのかな灯りだけのホール、その中央。潔が生み出したオブジェが、神々しくそびえ立っていた。


 自分が生み出したのに。工場で手元にあった時とは異なる姿で目の間にある。

 まるで違う物体のようだった。

 そう感じたからこそ、潔は素直に思った。


妻だ。妻がそこにいる。


 潔の想いを身体全体に刻みに刻んで、天に清らかなままに伸びていく。

 割れてしまった先の向こうには、もう誰でも届かない、触れられないことを意味している。彼女はその先にいるけれど、届かない。


 自分が生み出した『心の核』に、客観的に出会えた瞬間だった。


 隣に付き添って、一緒に割れた尖端を見上げている花南に、潔はそっと漏らした。


「今日から、本当の、私の人生が始まるんだね」


 流石の花南も驚いたのか……。目を瞠っていた。

 ほんの少し、彼女の目尻に涙が現れる。


「そうですね。親方のためだけの毎日をお過ごしください」


 魂送りは終わった。


「また、金春の海に行くよ。妻と娘を連れて」

「はい。お待ちしております」


 なにもかもが、穏やか。

 そう潔の心にはもう、嵐はない。


 憎かったものも、どこかに行ってしまった。


 その代わりに、潔の心に新たに現れたものあがる。

『娘』だ。

 憎しみを手放した瞬間に、彼女を手に入れられるだなんて……。



 春、小樽に蜃気楼が現れる頃。潔は山口へ向かうのが恒例となった。

 金春色の海と白浜を目の前にした和室で、花南と航がお茶会を催してくれるのも恒例になる。


 やがて潔は自分で着物を着付け、茶を点て振る舞うようになる。


 縁とはなんだろう。


 この金春の海での茶会には、いつの間にか、なさぬ仲だったはずの倉重家と金子家の面々が顔を揃えるようになってしまった。


 一年目は、潔のお茶会デビューだからと、金子家長男の勉が駆けつけてくれた。航が主催だったので、なさぬ仲であったはずなのに、倉重側が宿泊を受け入れてくれたのだ。


 二年目。再度、航主催。

 金子長男と共に、三男まで顔を見せるようになった。

 その隣に、耀平が静かに膝を揃えるように参入してきた。

 航も花南も、そして金子兄弟も聞かされていなかったことだった。

 つまり、耀平が黙って、同席を願ったということだった。

 妻を奪った男の兄弟。しかし息子の血縁、伯父と叔父。見て見ぬ振りで息子との交流を容認しているだけだった耀平が、挨拶と言葉を交わすようになった。


 三年目――。ついに、倉重会長、花南の父親『雅晴』までもが、金子と同席を望むようになった。


 この茶会は、二年目から潔が茶を点てるようになった。


 金子長男の勉と、耀平が、それぞれ潔に同じ事を伝えに来たのが印象的だった。



 魂送りは皆、終わりましたから。

 親方渾身の『透き通る理』同様、私どもにも、濁りはもう、どこにもありません。

 これまでの日々を語らう席をありがとう――。



 金春色の海、白い砂浜。無垢に向き合う厳かな会。


 金春色のお日和。本日は、ハレの日でもある。






『透き通る理』 ―― 終 ――





お読みくださり、ありがとうございました。

コミカライズ『秘密の花~義兄と私の契約愛~』

先行分のアプリ連載、分冊版最終巻(先行配信のみ)21巻で完結しております。


遠藤親方視点の番外編は完了いたしましたが、まだ残っている後発の配信日に合わせ、『最新のカナと耀平、倉重家』のエピソードを追加して、今回の記念連載を完結する予定です。

また、その時までお待ちくださると嬉しいです(*˘︶˘*).。.:*♡ 

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