Silent Chain

砂上楼閣

第1話〜最悪な異世界転移

ぬかるむ地面をいったい何回転がっただろうか。


無秩序に伸びた植物の幹や枝に、いったい何度全身を打ち付けられただろうか。


雨上がりで水分を多く含んだ地面に足を取られ、体力はみるみるうちに減っていく。


汗と泥水で濡れた服は容赦なく体温と気力を奪い、動きを阻害する。


落ち葉に隠れた蔦や根に足を引っ掛けて転んだのはこれで何度目か。


舗装された、踏み固められた、人の手が入った道が懐かしい。


獣道ですらない目の前の森は見通しが悪く、足場は平らな所などあるはずもない。


水が飲みたい。


転んだ際に口に入った泥水すらもう乾いてしまっていて。


今ならば水溜りに直接口をつけて飲むことだって構わない、そう思えた。


しかしそれは”ヤツ”が許してはくれないだろう。


もう時間の感覚すら曖昧になってしまったが、それでもこれまでに何回だって、チャンスはあったはずなのだ。


出会い頭に仕留めることだってできたはずなのに、”ヤツ”は堂々と正面から足音や気配を隠すことなく近づいて来た。


それは決してフェア精神、正々堂々となどという考えのもとの行為ではない。


力尽きて立ち止まりそうになっても、足を取られて転んでしまった時も、その鋭い爪も牙も一切使わず、愉しげな唸り声を上げて追い立てるその姿からは、弱い獲物を痛めつけて悦ぶ嗜虐性をありありと感じられた。


遊ばれている。


弄ばれている。


子供が虫の脚を引き抜いてわざと逃すような残虐性、それが悪意でもって行われている。


走って、走り続けて、それに合わせて追い立てるように足音も付いてくる。


また転ぶ。


足が悲鳴をあげた。


起き上がれずにいると、ついにこの醜悪な追いかけっこに飽きたのか、”ソレ”が再びゆっくりと姿を現した。


◇◇◇


約1時間前。


教室で帰りのSHRを終えた直後だった。


急に足下が光ったのは覚えている。


視界がブレた。


そう脳が認識した時には、ユウキは鬱蒼と茂る森の中にいた。


違う。


正確には鬱蒼と茂る森の木のウロの中にいた。


直前までいたはずの教室の喧騒は途切れ、代わりに痛いくらいの沈黙が辺りを満たしていた。


「……え?」


あまりの出来事に、自分でも間の抜けた声が出たことを自覚する。


しかしそれを笑う者などいない。


先程まで談笑していたクラスメートはおろか、ここには誰一人としていないのだから。


平均的な男子高校生である彼がすっぽりと入るほどのウロの中から見える、人の手が一切入っていない森からは鳥の鳴き声も虫のざわめきすら聞こえない。


茫然自失としたユウキの耳に、不意に段々と強くなる雨音が響いて来た。


彼がこの森へと第一歩を踏み出すのは、激しく森の木々に叩きつけられるスコールがおさまってからだった。


その頃には混乱は治り、現状を理解しようと行動できる程度には落ち着いていた。


しかし。


同時に”ソレ”との遭遇に繋がった。

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