夜警国家
多々良
第1話 ヤマイ群
頭上遠くに、やっと空が見えだした。
弧裂の斜め後ろを駆けている
寡黙で実直なヤマイ群のなかにあって、稼頭は珍しく根の明るい男だった。まだ二十歳にもならない年齢のせいもあるのだろうが、それにしては落ち着いた目をして、狩りに関しては生半可でない勘の良さを持っている。彼の橋渡しと、こっそり与えられたいくつかの助言がなくては、弧裂がヤマイ群に迎えられることはなかっただろう。
ヤマイ群は、地下生活者だ。夜警国家への、隣国からの刺客である。もっとも、弧裂の背後に一団となっている彼等彼女等は、もともと侵入してきたヤマイ群の子供や孫たちだ。
侵入が成功した日から、故郷の土を踏むことは二度と叶わないことを、理解していたはずの人々の子孫。夜警国家との出入りが叶うのは、八十二年に一度しかない。シックやユカンバといった獣どもに脅かされながら、古代遺跡の痕跡を辿り、夜警国家の中央への旅を続けてきた人々の子孫である。
地上へ発つ前。ヤマイ群は真っ二つに分かれた。
地下に残り、現在の細々とした暮らしの安寧を護りたい者たち。それから、地上へ出て、敵対国家の打倒という宿願を果たしたい者たちに分かれた。
両者とも譲らず、折れなかった。彼等は抱き合い、泣きながら、それぞれの家族と別れた。
弧裂は、いたたまれない思いでそれを見ていた。夜警国家の地上に生きる民衆は、産まれてからすぐに親元から離され、一年ごとに育て親を変えながら成長する。誰も家族を知らない。家族という絆がもたらす、情動の熱さや重さを知らない。
それに、弧裂がここへ来なければ、なかったはずの分裂だった。ヤマイ群の宿敵、
あらゆる出来事が、枯れ切った鉱脈から大粒の
安寧を望み、地下に残った者たちのなかには、稼頭と
始まったのだ。もはや逃げられない。
巨人の骨のような金属の梁が、地下と地上を繋ぐ、広大で複雑な縦穴を、縦横無尽に走っている。その上を、時には駆け、あるいは這うようによじ上りながら、一団はひたすら頭上を目指した。
遠くで音がした。
一団は、動きを止めた。
真っ黒い空に反響して、ごおんという低い音が響いてくる。弧裂も初めて耳にする、地上では知識にしかなかったモノの音だった。
「カネだ」
呆然と、弧裂はつぶやいた。
「鐘?」
声をひそめて、稼頭が返した。
「うん。初めて聞いたけれど、間違いないね」
「大きな音だ……」
背後の一団から、一人がそっと訊ねた。
「地上で、あんな音を出してしまって、いいのか」
弧裂は、ゆっくりと首を振った。
「
「空の下では、鐘はこんな風に聞こえるのか」
どこか、目を輝かせて、稼頭がつぶやいた。弧裂は、彼の無邪気さが羨ましいほど、怯えきっている自分を感じていた。
地上では、大きな音をたててはいけない。それがたとえ、
「儀式が始まったのなら、急がないと」
「焦らないがいい。慎重が一番だ」
「出口までは、どれくらいかかる?」
「あんた方は、あと三十分くらいだ。私と稼頭は、もう少しかかる」
巨大な、錆がびっしりと浮いた横倒しの鉄骨の上で、弧裂と稼頭は一団と別れた。
「忘れるなよ。でかい煙突の脇からでている、六角形のパイプだからね。嫌な臭いがするが、我慢だよ」
弧裂と稼頭の二人以外は、先に
律脂庁内部の構造と、臆の間で行われている儀式について、弧裂は何度も何度もヤマイ群に言い聞かせていた。
「ことが起こるまで、耐えておくれよ」
「わかった」
「二人とも気をつけてくれ」
傍らで、稼頭と湯禍が抱き合っていた。
離れ際、湯禍は兄の肩ごしに、すさまじい目で弧裂を睨みつけた。
娘の身にも関わらず、
振り返りもせずに、両者は別れた。
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