語彙力が高すぎる世界
鯨飲
語彙力が高すぎる世界
西暦2200年、地球では言葉を使うために、金がいる。言葉を購入して、脳の言語中枢にインプットしなければ、使用できなくなってしまったのだ。
これは、政府による厳しい言語統制政策の結果である。国から支給される、生活に最低限必要な言葉以外を用いたいのであれば、身銭を切り、自らに投資するしかないのだ。
必死に勉強して、言葉の意味を理解したとしても、お金がなければ、口に出して言うとこができないのである。
伝えたいことがあったとして、それにピッタリと合う言葉が存在したとしても、貧乏人はそれを言葉として、相手に送ることができないのだ。
僕は本が好きなので、様々な言葉の意味も、そして使い方も理解していた。しかし、お金がないので、用いることができない。そんなもどかしい日々を過ごしていた。
また、言葉の金額はその暴力性によって決まる。人を傷つける言葉であればあるほど値段は高くなる。そのため、富裕層の間では暴言を吐くことが一種のステータスとなっていた。
ある日の仕事終わり、僕は街を歩きながら、少ない言葉数で友達と懸命に会話していた。すると向こうから、明らかに金を持っていそうな人達が、前からやって来た。そして、貧困層に属する僕たちに絡んできた。
「よう、貧乏人。何だお前?どんな話をしているんだ?
「どうせ、大した話はしてないんだろ?馬鹿みてぇな会話してんだろ?」
「もっと話すべき、アジェンダがあるんじゃねぇの?あっ!金が無くて、語彙力足りねぇから、この言葉の意味も分からねぇか。
「すまん、すまん。貧乏人は貧乏人らしく、少ない語彙で貧相な会話してろよ。くたばれ!」
そう言って、彼らは高らかに笑いながら去っていった。
恐らく、あの人は最近、「くたばれ」という言葉を買ったのだろう。聞かせたいという気持ちが強すぎて、文脈を無視して無理やり詰め込んできたな。そこまでして、自らの暴言を自慢したかったのだろうか。
僕たちは、返す言葉が無かった。金銭的な面で。
さらに僕たちのような貧乏人は、待遇の改善を図るために金持ちと会話しようとしても、少ない語彙しか持ち合わせていないため、ろくに話し合うこともできず、言いくるめられてしまうのだ。
そこで、僕は行動を起こした。貧困層は、言葉ではなく、ノンバーバルコミュニケーションをメインに用いるように呼びかけたのだ。嬉しさや悲しさ、その他の感情や、伝えたいこと、その全てを身体で表現するようになったのだ。
例えば、最近では、下火になっていた文化である、ダンスをすることによって、喜びを表現した。
ノンバーバルコミュニケーションの練習を重ねるにつれ、僕たちは、スムーズにそれを用いることが可能になっていた。独自の伝達方法を確立させていたのである。
また富裕層に対する悪口は、貧しい者たちだけが理解できる仕草で表現し、伝え合った。
自分の思っていることを相手に伝えられる。これほど幸せなことはない、そう毎日感じていた。
しかしながら、問題が起こった。
言語は生き物の中でも人間だけが用いる、いわば発明品の様なものなので、富裕層はそれを自ら進んで使おうとしない、貧乏人たちのことを、人間未満の存在だと馬鹿にして、より一層、蔑み始めた。そして貧困層を差別し、奴隷として扱い始めたのである。
僕は毎日、過酷な肉体労働を強いられるようになった。時には危険な宇宙空間での作業も強いられた。しかも、食事や睡眠時間も十分に確保されていなかった。僕以外にも多くの貧困層が同じような扱いを受けるようになった。
貧しいだけなら、まだしも、それ以上に辛い生活が訪れることになるとは、思ってもいなかった。
さらにどこから漏れたのかは、分からないが、ノンバーバルコミュニケーションの発起人が僕であることが富裕層に知られてしまった。
僕は貧困層の中でも、さらに低い地位で生きることになってしまったのである。
ストレス発散のために、暴言を吐こうと思っても、僕の脳内にそのデータはない。言葉にできない感情が、心の中に溜まっていき、溢れ出そうになっているのを、僕は感じていた。
そして感情は、涙となり溢れ出していた。
ノンバーバルコミュニケーションにおいて、最大級の悲しみを伝える仕草は、富裕層と同じく、涙であったが、彼らは、僕が涙を流していても、何も気にすることなく、僕に鞭を振るった。そして、お高い暴言を僕に吐き続けた。
独房の中にいても、僕をこき使う金持ち達の声が聞こえた。
「お前、明日は、あいつにどんな暴言吐くんだよ?」
「あ?明日のはすごいぜ。何てたって、五十万以上したからな。」
「お?それは楽しみだねぇ。早くあの野郎の泣き顔を拝みたいぜ。」
彼らの暴言は、僕の鼓膜で、いつまでも、反響していた。そして、僕は、その呪縛から逃れることはできない、と察し、諦めていた。やがて涙は枯れていた。
時を同じくして、地球では宇宙航海技術が発展し、他の星との交流が盛んになっていた。富裕層は、さらなる資源やビジネスチャンスを求めて、他星人との交流に乗り出した。
しかしながら、他星人とのコミュニケーションにおいて、富裕層は問題を抱えていた。それは、伝達手段が異なっていたことだ。
その原因は、宇宙空間には空気がないからだ。つまり真空状態なのである。そのため音が伝わることはない。無音の世界である。
そのため、他の星ではコミュニケーションに言葉は用いない。というよりも地球以外で声という概念はない。
つまり、この星の富裕層が用いていた伝達手段は通用しなかったのである。
他の星で用いられているのは、ノンバーバルコミュニケーションであった。そして、この星において、貧困層の間で発達していたそれは、他星のものとたまたま同じであった。
感情に基づく身体の動かし方は、全宇宙共通だったのかもしれない。
そこで、富裕層は、ノンバーバルコミュニケーションが得意な貧困層を自らのために利用することにした。貧困層の人間を通訳として使うことを閃いたのである。
そして、その通訳として、ノンバーバルコミュニケーション発展のきっかけとなった、僕に白羽の矢が立った。
富裕層の言いなりになるのは気に食わないが、仕方がなかった。
他星人に交流会のアナウンスをすることから、僕の仕事は始まった。富裕層の指示に従い、交流会の日時と場所を僕は伝えた。
本番前日。僕は奴隷であったが、オフィシャルな場であるということで、正装を支給された。とても高そうな服だった。
そして、いよいよ本番当日。僕はとても緊張した面持ちで、交流会が行われる会場へと向かった。
その道中の船内でも、僕は蔑まされた。逃げないように、会場まで監視役と共に、連行されるのである。
「これから、お前は通訳として、働いてもらうことになる。勿論、扱いは奴隷のままだがな。カスみたいなお前を使ってやるだけありがたいと思え。」
「はい。ありがとうございます。」
僕は嘘の予行練習をした。
やがて交流会が催される場所に到着した。そこは豪華絢爛な会場だった。そこには、多くの人が参列していた。またステージの上では、地球側の代表と、他星人側の代表が向かい合っていた。
初めて公式な場において、他星人とコミュニケーションを行う地球人に選ばれたので少し緊張しながら、僕はステージに上がり、他星人の前に立った。
やるべきことは明らかだった。
「私たちはあなたたちと友好関係を築きたいと考えている、と伝えろ。」
地球側の代表である富豪は、貧乏人の僕にこのように命令した。
それを聞いて、僕は、
「この星において顔についている穴を使って、コミュニケーションを行う生物は人間ではなく、別の種に属する生き物だ」と身体全体を使って伝えた。
現在、広い宇宙において、唯一聞こえる音は、地球において、かつての富裕層たちが、かつての貧困層に対して吐く暴言だけだ。
しかし、言語が用いられることがなくなり、それが忘れ去られた今となっては、その暴言はただの鳴き声だと思われている。
語彙力が高すぎる世界 鯨飲 @yukidaruma8
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