流れる青い雨

門前払 勝無

第1話

積み重ねてきた罪

聞き続けてきた雑音

心に閉じ込めてきた呪縛


身体が苦痛の叫びを挙げている。

安らぎというビタミン剤を求めている。

そしたらまた一から出直すんだ。


 トタン屋根に雨が打ち付けられて西洋の太鼓のような音がしている。リズミカルに、たまに音程を間違える。

 ヒニンは雨音に耳を傾けながら牛刀を研いでいる。刃先を重点的に磨いでいる。


 ミヤビは母の経営している場末のスナックでアルバイトをしている。擦れた母のようにはなりたくないと学校へは毎日通っている。子汚いオッサン達のご機嫌取りをしている母の姿を見ていると、吐き気すら覚える。

 ネオンも疎らなこの街はドブ臭くて嫌気がする。運河に映る月は冷たく、ミヤビを癒してはくれない…。


 ヒニンは、研いだ牛刀を新聞紙で包んで自転車の籠に入れた。商店街の丸い街灯を見上げてタバコを吹かした。

 錆び付いたチェンの自転車をギコギコと漕いでミヤビの母の店に向かった。

 生臭い路地では薄汚れた野良猫が睨み付けてくる。溢れた残飯がごみ箱からはみ出している。油汚れで固まった室外気がごーごーと唸っている。漏水した水道管からチョロチョロと水が流れていてひび割れたアスファルトに染み込んでいる。

 薄暗い店内にはタバコの煙が充満していて、安物のウィスキの臭いと混ざっている。

 カウンターに客が一人と奥のボックス席にミヤビの母と常連が座っている。ミヤビはカウンターの中で洗い物をしていた。

 ヒニンは無表情で母に近づいて新聞紙に包んだ牛刀をそのまま母の首に突き刺した。自分の身になにが起きたか解らない母親はキョトンとしてヒニンを見上げている。ヒニンは腰に着けた鉈を抜いて、首から血が吹き出ている母の脳天に降り下ろした。

 のたうち回る母を振り払いながら客達を見た。

「あんたら死にたくなかったら…帰れ」

客達に言いながら母の脳天から鉈を抜いて、トイレの脇にある階段を登った。

 二階は住居になっていて、趣味の悪い暖簾の掛けられた台所の奥の六畳には刺青をした男が野球中継を観ながらサッポロの瓶ビールを飲んでいる。ヒニンは男に気付かれないように近づいて、頭に鉈を降り下ろした。

 男はそのままテーブルに倒れた。龍の刺青を見つめてミヤビに絡まりついたこの龍を牛刀で切り裂いてとどめを刺した。

 ヒニンはビールで牛刀を洗って男の隣にあった東スポで包んだ。

 階段を降りるとミヤビが母親の亡骸を見つめていた。

「警察に電話したのか?」

「…まだしてない」

ミヤビはじっと母親を見つめている。

「一服してもいいか?」

ミヤビは頷いた。

 ヒニンはタバコを加えた。火を着ける手が震えていて簡単につけられる百円ライターがうまく使えなくて笑えた。

 ミヤビがクスクス笑いながら火を着けてくれた。

 二人は顔を見合わせて笑った。こんな状況なのに笑える何てと二人は思った。素直に微笑むミヤビをしばらく見つめてから、ヒニンは綺麗にした牛刀をミヤビに渡した。

「その笑顔が見たかったんだよ…俺はもう満足だよ」

「え?」

「これ以上は望まない事にしたよ…それで俺を殺してくれないか」

「警察から出てきたら結婚する約束でしょ?」

「…何年も待てるのか?…俺は掃き溜めで生きてきたヤツだからお前の人生をメチャクチャにはしたくない…今、お前の素敵な笑顔が見れただけで俺は最高だよ。だから、お前に殺されたいんだ…今ここで…」

ヒニンは両手を拡げた。

 ミヤビは少しの間考えて牛刀を握り締めてそのままヒニンの胸に飛び込んだ。

 鋭い鋭利なミヤビが身体に入り込んできた。膝から崩れ落ちミヤビも一緒にしゃがみこんだ。奥深く入り込んだミヤビを更に抱き寄せた。

「頼みがある…」

「なに」

「俺の鼓動が止まるまで…キスして…くれないか?」

ミヤビは血塗れのヒニンの身体を抱きながらキスした。互いに舌を絡ませながら見つめあった。唇の柔らかさを確認しあって血の混ざった唾液を舐め合った。


 ミヤビは動かなくなったヒニンを膝枕したまま朝まで動かなかった。涙は出さなかった。ヒニンに笑顔を見せないといけないから、ミヤビは泣かなかった。


 警察が何人も店に入って来てミヤビを毛布で包んで店から出された。

 外は大粒の雨が降っていた服に染み込んで固まったヒニンの血が滲んできた。

 微かに青空が見える。

 もうすぐ雨が止みそうだった。

 振り返らずにパトカーに乗り込んだ。

 青い雨が唇の血を過去と一緒に洗い流して行く…。


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