語られる 狸和尚の謎解き
桐生文香
むかしむかし
むかしむかし、化け狸が山を降りて、どこかの御家人の荘園に住み着き始めたとさ。狸は望月丸という名で人にも他の動物にも器物にも化けることが出来た。望月丸には福丸という子がおった。福丸も同じように人を化かす力があったが父親に比べれば腕は未熟なものであった。そして望月丸が人里に住み始めた頃、同じように道西という法師も現れた。道西は荘園の外れにある寂れたお堂に住み着いていたんだとさ。
「着いたぞ。」
父の声に
彼ら一行を乗せる渡し舟は川岸に近づいて行く。
目的地である荘園ののどかな風景が大きくなっていく。
「岩辺様。お待ちしておりました。これは賢寿丸様お久しぶりでございます。」
出迎えに来た
賢寿丸は軽く挨拶を返すと空を見上げた。
雲一つない青空が広がる。鳥のさえずりが聞こえる。爽やかな風を感じる。
隣に立つ父、
岩辺桑次郎国房は幕府に仕える御家人であった。賢寿丸はその嫡男だ。ゆくゆくは桑次郎の跡を継ぐことになっている。
賢寿丸たちが訪れた場所は桑次郎が地頭を務める荘園だ。普段は目代である六郎が管理している。桑次郎は年に何度か荘園の様子を見に訪れているのだ。今回の訪問には跡取りである賢寿丸も同行していた。母親と幼い弟と妹は留守番であった。
滞在中は六郎の館に泊まることになっている。また、そこで母方の伯母との対面も予定されている。
桑次郎は六郎と真面目に話し込んでいたが長引くと思ったのか話を途中で切り上げた。
「まあ詳しい話は館に着いた所で聞くとしよう。」
「はっ。」
六郎はお辞儀すると桑次郎の案内をした。
賢寿丸は慌てて父の後を着いて行く。後ろには鎌倉よりついて来た共の者が従う。その途中、桑次郎が六郎に何やら問いだした。
「時に
「はい。道西和尚はこの地のお堂にて念仏を唱え続けています。娘の
賢寿丸は耳を澄ませた。
道西という名は初耳であった。
「父上…道西和尚は…」
賢寿丸が尋ねようとした時。
草むらが揺れているのを見つけた。何かが草むらから出てきた。
毛むくじゃらの前足。何かの動物だ。
しかし、その前足は着物の袖をまとっている。薄い緋色の袖だ。
前足が草むらの向こうに引っ込んだ。
「賢寿丸よ。頼朝公が亡くなり、頼家様が跡を継がれた。幕府では大きな移り変わりが見られる。平家の落人もどこかに潜んでいるのか分からん。」
桑次郎は真面目な話をしているが、賢寿丸の心は草むらの向こうの獣にそそがれていた。
「いずれお前も元服する。私の跡を継ぎ、ここの地頭と…賢寿丸‼」
後ろで父の叫び声が聞こえた時、賢寿丸は森の中へと駆け出していた。
賢寿丸が森へ駆けてからしばらく時間が経った。
森の中を駆け抜けて行くと原っぱに出た。
一人の少女が座っている。身なりのいい恰好をしており、年は賢寿丸と同じくらい。黒髪がさらさらと風に流されている。
少女は後ろを振り返り、賢寿丸と目が合った。
「初めまして。」
賢寿丸が声を掛ける。
「初めまして…。私七重だけど…」
少女はたどたどしく挨拶を返した。
二人の間を柔らかい風がさっと流れた。
七重は立ち上がると賢寿丸に話しかけた。
「賢寿丸様…ですか…?私はここの目代を務める坂井六郎の娘七重と申します…」
「はい。私が地頭の岩辺の息子の賢寿丸です。」
七重はじっと賢寿丸を見つめると笑顔をにっこりと浮かべた。
「父の館までご案内します。」
「ありがとうございます。」
賢寿丸は礼を述べたが違和感をどことなく感じた。
七重の台詞は途切れ途切れでぎこちない。それに彼女の笑顔に怪しさを感じた。何か企んでいるような笑みであった。
七重の着物に目を移した。薄い緋色の袖が彼女が動くたびに揺れる。
「七重様。ここの道でいいのですか?」
賢寿丸はきょろきょろと辺りを見回す。彼女の案内でついて来たが、二人は寂しい林の中に入って行った。
「ここが目代の館への道で会っているのですか…?」
「ええ。回り道なんです。せっかくなので案内をして回ろうと思います。」
振り返る七重の笑顔に恐怖を感じた。
「ところで…」
七重が急に足を止めた。賢寿丸も慌てて動きを止めた。
「この荘園には狐狸の類がいるのです。」
七重が静かに賢寿丸の顔を見つめる。
「化け狸と化け狐が森に住み着いて、ここの住人もしくは旅人を化かし誑かすのです。ここら辺で一番に名が通っているのが望月丸という狸。一年程前から山から降りてこの荘園へとやって来ました。」
「……」
「望月丸には、まだ子狸の息子がいて名は福丸。望月丸は賢く、どんな者にでも化けられる大物。それに比べて福丸は阿保で悪さばかりする小者。気を付けてくださいね。福丸には。」
「………」
七重はさっさと歩き始める。
「この先には一体…?」
賢寿丸が尋ねる。口調が重々しくなる。
「着いた先のお楽しみです。」
ふふっと笑う彼女を見た途端。賢寿丸は踵を返し、来た道を駆けて行った。
「あっ。こら待て‼」
七重は態度を一変して怒鳴りだした。彼女の怒声が林に響き渡った。
「はあはあ…」
賢寿丸は息を切らせて駆けていく。あともう少しで林を抜ける。その先に光が見え始めた。
「待て‼」
後ろから怒声が聞こえる。見ると七重が鬼の形相で追いかけてくる。
「くそっ。」
賢寿丸はさらに足を速めた時。ドシンと何かにぶつかった。賢寿丸は尻餅をついた。
「痛っ‼」
起き上がろうとすると目の前に墨染の衣が見えた。
「大丈夫か?」
見上げると初老の法師が立っていた。口元に皺をよせ微笑んでいる。
彼の隣にもう一人立っている。
身なりの良い十二くらいで元服前の少年…。尻餅をついた彼を睨みつけている。
「賢寿丸‼」
尻餅をついた方の賢寿丸が叫んだ。
目の前にもう一人の賢寿丸が立っている。
「やっと捕まえた。」
いつの間にか七重が追いつき、後ろに立っている。
「福丸‼あんたはまた…‼」
七重が座り込んだままの賢寿丸を突っつく。
すると賢寿丸の姿が子狸に変わった。
「何でバレていたんだ。」
福丸という名の子狸が叫んだ。その周りを賢寿丸、七重、法師が囲む。
本物の賢寿丸は茂みから見える狸の手に連れられて森の中に飛び込んだが…。
その後は狸を見失い、森の中で迷ってしまった。
さ迷い続けている途中に目の前の法師と出会い助かった。だが、その間に狸は彼に化けて七重に館まで案内させようとしていたのだ。
しかし、七重は偽の賢寿丸を見破り、林の向こうのお堂まで連れて行こうとした。途中で偽賢寿丸は気づいてしまい逃げ出したが、お堂に住まう法師と本物の賢寿丸が現れて挟み撃ちとなり、正体を現してしまったのだった。
「あんた。賢寿丸様に化けた時、私に『初めまして。』って言ったでしょ。私と賢寿丸様は初めてじゃないの。前にも岩辺様に連れられて、うちに来たことがあるの。会ったことがあるの。」
七重の金切り声が轟く。
「おまけに言葉遣いが違うし。賢寿丸様は岩辺様や私の父上の前でしか丁寧にならないの。私のこと『七重様』じゃなくて『七重』って言うし。」
「そういや…おいらがそう言った時、七重お前変な顔していたな…。お前の父ちゃんも川岸でそいつに『お久しぶりでございます。』とか言ってたな…」
福丸が思い出したように言うと今度は賢寿丸が反応した。
「こいつ‼いつから見張ってたんだ。」
福丸は後ろへ一歩後ずさりをした。
「あんた。今度は何を企んでいるの?賢寿丸様に化けて、うちの館に転がり込んで飲み食いでもしようと考えていたの?」
七重が意地悪そうに福丸を見つめた。福丸は怯え縮こまっている。
「違う…おいらは…」
「何が違うの?」
七重が福丸に詰め寄る。
「おまけに俺を森の中までおびき寄せて、俺を置き去りにしてさ。」
賢寿丸も声を荒げる。
「申し訳ありません‼」
福丸は泣き叫ぶ。
「これだけ謝っているのだし許してやってもいいじゃないか。」
法師が二人を諭した。
優しく穏やかでも厳しく叱責するという感じではなくひょうきんに笑うという感じであった。
「でも道西様。こいつの悪戯はこれだけじゃないのです。」
納得出来ないと七重は口を尖らせた。彼女はしきりに子狸の悪行を並べて訴える。対する道西は「そうかそうか」と笑いながら聞き流しているようだった。
(これが道西和尚か…)
賢寿丸は父と目代が話していた噂の法師をじっくりと観察した。
道西はひょろっとした体格でボロボロの衣を身に纏っている。しかし、よく見るとほつれた袖から見える腕と拳には筋がしっかりと付いていた。
剃髪した頭部はつるりとして、ボサボサの眉と口髭、額と口元には皺が深く刻まれている。彼の口を開く度に陽気な笑いが出てくる。
(思っていたのとは違うな…)
『念仏を唱え続けられています』と六郎の言葉から殊勝で信仰深い僧侶を思い浮かべていたが違うようだった。考えてみれば、やんちゃな七重が御仏の教えを面白く聞き入るなんておかしな話だ。
「こいつときたら…畑の作物を盗み食いして…。人家に忍び入って食い物をくすねて…。面白半分で人を森の中で迷わせて…。以前、私に化けて館に入りこもうとしたことがあったのですよ。」
七重が話すたびに道西は笑いながら無言で相槌を打ち続けるばかりだ。とうとう彼女の癪に障ったのか今度は道西に怒りをぶつけた。
「道西様。聞いているのですか‼こいつを庇うから狸和尚なんてあだ名がつくんです。」
「聞いてる聞いてる。」
道西は狼狽える様子は見せず。彼女を制するように言った。
「作物に人家に勝手に入る。森で迷わす。」
七重が述べたことをするすらと言ってみせた。
「だが相手にも非がある。」
道西は声を低めて言った。
「確か作物を盗られた畑を耕していた者は途中さぼって昼寝して、その間に盗られたんだったな。忍び込まれた家は日頃戸締りを怠り、食い物は目立つ所に置いたまま。森で迷う者は道を通らずに近道だと森を抜けようとした。」
『道を通らず森を抜けようとした』に賢寿丸は一瞬どきりとした。
「そして七重様…。子狸がお前さんに化けようとした時は、手習いと笛の稽古をさぼり、館を抜け出した時だったな…」
「……」
七重は黙り込む。賢寿丸は大人しく話を聞く七重を見るのは初めてだった。ふと福丸の顔を見る。
「何だよ。」
「いや。何でも…。」
狸に化かされてる訳でもないようだ。
「そして、七重様と入れ違いにそいつが入り込んだ。」
道西は福丸を見た。
「まあ、こいつは尻尾を出したままだったから失敗に終わったがな。」
「和尚‼」
福丸は悲痛に叫んだ。
「こいつの腕はまだまだ。それなのに化かされてしまうのは、その者に抜けた所や怠けた所があるからだ。でないと福丸の化かしが上手くいくはずがない。」
「和尚‼」
二度目の叫びをした福丸は道西に抗議を始めた。
「おいら人に化けるの上手くなってきたぞ。さっきも地頭の息子に化けた時、尻尾出てなかっただろ。」
「すぐにバレたけどね。」
七重が冷たく言い放った。
「まあ。道西様に免じて今日は見逃してあげる。」
その言葉に福丸は胸をなでおろしたようだった。
事の成り行きを見守っていた道西は七重に囁いた。
「さあ七重様。お前さんは賢寿丸様を館まで案内して差し上げなさい。渡し船を乗り森で迷いお疲れのようだから。」
その台詞に賢寿丸はふと疑問に思った。
「どうして私が船に乗ってきた事をご存じなのですか?」
賢寿丸は渡し船に乗ってきたことを一言も話していなかった。
荘園に行くには渡し船に乗る以外にも森の中の道を通り抜ける方法もあった。
道西は答えるよりも先に賢寿丸の言葉遣いの方を取り上げた。
「無理にかしこまらんでよかろう。疲れるだろう。七重様に対するような喋りで結構。」
「いいのですか?」
「もちろん。岩辺家に敬われるような大した法師じゃないのだから。」
道西はせせら笑う。賢寿丸は邪気の無い表情を見て、彼の言葉通り甘えることに決めた。
「では…じゃあ…どうして俺が船に乗ってきたことを…」
「賢寿丸様の袖濡れておる。」
道西は不敵に笑った。
見ると確かに袖先が水に濡れていた。
「船から手を出して水に触れただろう。」
道西の言う通りだった。船の上から水面を見て、その中に手を差し入れたのだった。
「おまけに草鞋の土湿っておる。今日は良い天気でどこも土が乾いておる。湿った土は川岸ぐらいだ。」
今度は草鞋の底を見た。これも道西の言う通りであった。
「道西様は何もかもお見通しなの。」
七重が賢寿丸に耳打ちする。
(なるほどな…)
七重が道西の話を面白く聞き入るというのが理解できた気がした。
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