幻惑の猫《ファントムキャット》

i-トーマ

幻の猫は捕まらない

「いたぞ! 幻惑の猫ファントムキャットだ!」


 “ぶぉぉぶぉぉ”という警報が博物館の館内に鳴り響いて、警察の一個部隊がそちらへ駆けだす。あたしはそれを、ターゲットのある部屋から見送る。


「ヤツめ、今度こそは確保してやるからな」


 この場を仕切る警察の代表、間黒警部が怪盗からの予告状を握りつぶしながら、ギラギラと目を光らせていた。

 今回のターゲット、『星屑ほしくず水面みなも』と呼ばれる豪奢な首飾りが、部屋の中央の陳列ケースの中に納められていた。それを囲むように警官や警備員が配置されていて、あたしはその中に紛れ込んでいた。


(ネコ様、準備ができました。そちらはどうですか?)

(いつでもいいわ、ヘビちゃん。やっちゃって)


 イヤホンの声にあたしが答えて数秒、突然博物館全体が停電した。

 にわかに騒がしくなる周囲。うろたえた警備員たちがあたふたとしている気配がする。


「騒ぐな! すぐに予備電源に切り替わる!」


 実際、真っ暗になっていた時間は五秒もなかった。再び明るくなった館内で、警官や警備員がお互いを確認しあっている。


「ま、間黒警部、アレを!」


 警官の一人が指さした先、『星屑の水面』の納められているはずのケースの中身が『から』になっていた。


「な、なんだとぉ~!?」


 間黒警部が慌てて辺りを見回す。


「いたぞ! 裏口だ!」

「ファントムを逃がすな~!」


 警官の声に警部が答え、人員を引き連れてそのあとを追っていった。

 とたんに静かになる部屋の中、一人だけ残った警備員あたしが『星屑の水面』の陳列ケースに向かう。そしてケースを持ち上げると、何もないように見える台座から『星屑の水面』を取り上げた。


「楽勝よね。わ、ほんとにキレイこれ」


 手にした首飾りは様々な色の宝石が複雑にきらめき、幻想的な輝きを放っていた。

 その警備員、怪盗幻惑の猫ファントムキャットは一通りそれを眺めたあと、柔らかなスポンジのような素材でできた平たい袋に優しくしまい、それをさらに平たく固いケースに入れる。


 丁寧にしまったそれを持ち、自然な歩みで男子トイレへと向かう。そこの十センチほどしか開かない窓の隙間から『星屑の水面』の入ったケースを滑り落とす。外ではヘビが回収してくれているはずだ。

 あとは混乱に乗じて外に出れば、見咎みとがめられても問題ない。


 今日も幻惑の猫ファントムキャットは、華麗な手際を披露したのだった。



 ぽろろんぽろろん、というアラームを止め、大きく伸びを一つしてからベッドをおりる。

 顔を洗って朝食を食べながら、昨日のことを思い返した。


 今回のミッションは、予告状を出すより一ヶ月以上前から準備していた。監視カメラのシステムをハッキングして故障を装い、プロジェクションマッピングの機能を持つ監視カメラに付け替えて、投射した映像で『星屑の水面』が無くなったように見せかけた。よく見ればすぐにわかりそうなものだけど、慌てていれば案外気がつかないものなのね。そしてヘビの手引きで警備員になりすませば、あとは自由に動ける。

 準備さえ万端なら、このくらいのことは簡単なのよ。


 朝のルーティーンをこなしていると、壁を隔てた隣からゴトゴトと音がした。それを合図にあたしは登校の準備をして玄関を出る。あたしはまだ高校生だけど諸事情で一人暮らしだから、部屋を出たら必ず鍵をかけて確認する。怪盗が泥棒に入られるとか笑い話にしかならない。ちゃんと掛かっていることを確認すると、隣の部屋の扉が開き、男の人が出てきた。


「おはよう、ねここちゃん」

「おはよう、健二お兄ちゃん」


 この人は千原ちはら健二けんじ。あたし、天音あまね心愛ここあの六つ上の幼なじみで、警察官、刑事をしている。


「お兄ちゃん、昨日も幻惑の猫ファントムキャットにやられたんだって?」

「そうなんだよ。とんでもないヤツだよ、ホント」


 駅まで二人で歩く。歩きながら、健二お兄ちゃんは昨日の内情を話してくれる。今世間でも騒がれている話題であたしの気をひこうとするあたり、健二お兄ちゃんはあたしに気があるのは間違いない。


 まあ確かに、若くして刑事課に配属されたほどだから、頭も性格も良いし、なにげにイケメンだし、悪くはない。だけど、一般人に機密事項を漏らしてしまう凡庸な平の刑事じゃあ、あたしには釣り合わない。


 これでもあたしは良いとこのお嬢様なんだから。


 ならなんで怪盗なんてやってるのかって? 欲しいものはだいたい買えるけど、そうはいかないものもあるし。あたし欲しいものはどうしても手に入れたいのよ。あとはちょっとしたスリルよね。


「それでさ、次にファントムの予告状がきたら、僕が指揮をとることになったんだよね」


 はっ。ついにこの時がきてしまったか。そう思ったとき隠しきれなかった微妙な表情を感じ取り、お兄ちゃんが話を続ける。


「大丈夫だよ、まかせて。ちゃんと考えてるんだから。とりあえず陳列ケースを強化ガラスにして、ちょっとやそっとじゃ開けられなくするでしょ。他にもわざと警備の手薄なところをつくって、罠に誘導するとか、あとは……」


 そうやって得意そうに話しているのを見ていると、この人は大丈夫だろうかとむしろ心配になってくるほどだった。



『ネコ様、次は何をしましょうか』


 その日の夜、ヘビからのメッセージが届く。

 ヘビはあたしの協力者で、いろんな道具や仕掛けを作ってくれる。ときには情報を仕入れてきたり、手配をしてくれたりする便利なヤツだ。あたしにベタボレしてるから、言えばなんでもしてくれる。


『次のターゲットは『月明かりの王冠』にするわ。あそこなら仕込みもあるし』

『了解~。なんか作る?』


 そうね……。あたしはちょっと考えて、ヘビに欲しいものを伝えた。


『いけるかしら?』

『まかせて。本番はいつにするの?』

『一週間後。予告状はその前日ね』



 そして一週間後。

 あたしは美術館の中にある秘密の場所に潜んでいた。

 扉の外では警察官や警備員がひっきりなしに行き来している。まあ、『月明かりの王冠』のある部屋だから当然だけど。


『千原警部、そろそろ予告状の時間ですが、大丈夫でしょうか』

『まっかせなさい。細工は流々、あとは仕上げをごろうじろってね』


 そんな声が仕掛けたマイクから聞こえてくる。

 ま、どんな細工があるのかは筒抜けなんだけどね。

 んで、今あたしがいるのは、展示品が乗ってる台座の中。これは、半年前にこの美術館が改装したときに、いつか使うかと思って仕掛けておいたもの。さすがにターゲットそのもののじゃないけど、同じ部屋の中だから問題なし。ちなみに、昨日の通常営業のとき、予告状を置くと同時に隠れている。


 時間を確認すると、もうそろそろ。ヘビの陽動が始まったら、あたしの出番だ。

 すると、“ぷあんぷあんぷあん”と警報が轟いた。


『来たか! どこからだ?』

『Aの三とBの二の入口が反応しています』

『どちらかはおとりか? 計画通りに配置を変更、ヤツを通すな!』


 健二お兄ちゃんの指示がとぶ。けど見当違い。もう中にいるもんね。

 警備システムをハッキングしたスマホ(ヘビ作)を操作して、警備網を混乱におとしいれる。

 そろそろかなってときを見計らって、スイッチ(ヘビ作)で美術館を停電させる。今回は外の変電機をいじって、異常な過負荷をかけてブレーカーを落とすらしい。知らんけど。


『おい! 電気系統は点検したんじゃなかったのか!』

『しましたよ!』

『じゃあなんで消えるんだ!』

『わかりません!』


 なんて会話を聞きながら、あたしは秘密の場所から外に出る。ターゲットのケースの背後に立って天井を確認していると、電源が復帰して明かりがつく。


「はぁ~い、皆様、ごきげんよう」

「な!? ファントム! いったいどこから」

「なぁにこれ、ずいぶん大袈裟なんですわね」

「回り込め! そっちは退路をふさげ!」


 ケースを撫でるあたしを警官が囲むけど、想定より人数が少ない。警備システムをいじった成果かな。

 あたしは腰の後ろのポーチからマキビシのようなトゲトゲを取り出して、『月明かりの王冠』の強化ケースの上にばらまく。意味があるかどうかはわかんないけど。


「ファントム、今日はずいぶん物々しいな」


 普段は動きやすいボディスーツに舞踏会で使うような簡単なマスクを着けているんだけど、今日はフルフェイスのヘルメットをかぶっている。


「時と場所によって、ドレスは変えるべきですわ」

「何がドレスだ、こそ泥め。そのケースは硬いぞ。女の細腕じゃ壊せまい。お前はもう袋のネズミだ、宝物を目の前に、なすすべもなくお縄になれ」

「まあまあ、そんなに焦ってばかりだと嫌われますわよ」


 そう言って、左腕の内側に貼り付けたスマホを操作する。その画面には何も映ってなくて、代わりにヘルメットの内側に投射されている。ヘビってけっこう天才。


 スマホのアプリで次の仕掛けを作動させる。と、天井から突然ゴロゴロと何かが転がる音がした。警官たちも警戒して天井を見上げている。展示室は広く、天井も高い。その換気口の一つ、『月明かりの王冠』が入っているケースの真上のものががパカッと開いて、そこからボーリングの玉が落ちてきた。

 それがあたしの置いたマキビシのところに直撃!


 ガシャンと大きな音を立ててケースが見事に砕けた。


「んなバカな!?」


 健二お兄ちゃんが顎を落として驚愕している。マヌケな顔。

 あたしは砕けたケースから王冠を取り出し、掲げてみせる。


「細腕がなんですって?」

「ぐっ……囲め!」


 健二お兄ちゃんの指示で、サスマタやシールドを構えた警官に囲まれる。


「情熱的なのは結構ですけど、性急なのはいただけませんわね」


 あたしは王冠をポーチにしまって、かわりに野球ボールくらいのものを取り出した。


「今日はそろそろ、おいとまさせていただきますわ」


 ボールのスイッチを押して、上に投げる。爆発物を警戒した警官や警備員が身を伏せた。

 直後にボールから勢いよく大量の煙が吹き出した。


「煙幕だ! 逃げるぞ!」


 声が響くが、あたしはすでに駆けだしている。ヘルメットには赤外線視覚機能もあって煙幕の中でも全然動ける。包囲の隙間を抜けて部屋を飛び出す。

 左右に伸びる通路、右手には数人の警官。迷わず左へ走る。これが罠だと知りながらも。


 展示品を左右に見つつ通路を駆け抜ける。途中までは妨害もなくすすんでいたけど、角を曲がったところで、前方を横並びの警備員にふさがれた。後ろからも追っ手の足音。挟まれたみたい。

 あたしはポーチから、事前に用意していた自作の王冠を取り出した。


「勝者の王冠は誰の手に!?」


 意味のないセリフと一緒に、王冠を放り投げた。

 ほとんどの警備員がそれに反応する。偽物と疑いながらも、無視できない。

 それでもあたしに向かってくる数人を、姿勢を低くした飛び込み前転でかわして抜け、勢いを落とさないように走り続ける。


『突破された!? そ、想定内だ。その先も逃げ道は無い。袋のネズミだ』


 傍受した無線機の会話が聞こえる。

 この先には展示ブースが二部屋と非常口の扉しかない。そして当然、非常口はすべてカギがかけられている。はずなんだけど、ヘビの手引きでここのカギだけ開けてあるから、そのまま非常階段へと出た。閉めた扉の取っ手に、そこに準備してあった棒を挟んで開かないようにする。


『はあ!? なんで開いてんだよ! 責任者!』


 そんな声を聞きながら階段を駆け上がる。逃げるなら普通下へ行くところを、あえて上へ。

 一番上までたどり着くと、さすがに疲れた。けどまだ止まれない。

 屋上の扉を開き、外へ出る。スマホを操作して、最後の仕掛けを作動させる。


 この屋上よりも少し低い近くの建物の、非常時用避難器具に偽装した仕掛けから、ロープを射出。フックが屋上のはしに引っかかって、脱出路の完成。しかも三方向同時にだ。これで逃げた先を特定されないようにする。


 ポーチから小型の滑車を取り出して、ロープに引っ掛ける。美術館の周りをかためる警備を下に見おろしながら、隣のマンションの屋上に到達。スマホを操作して使ったロープだけ回収。残りの二つはダミーとしてそのままにしておく。


 ここまでくればあと少し。隠してあったカバンから洋服を取り出し、かわりにヘルメットを入れて戻す。後日、ヘビが回収する予定だ。

 あたしは何食わぬ顔でマンションを出て、自転車に乗ると帰り道を急いだ。


 これでミッションコンプリートってやつ。今日もよゆーだったね。


◇◆◇◆◇◆


「ファントムはどこに行った!」


 屋上に出た僕は、無線機で各所に連絡を取りながら確認していく。ファントムはすでに逃げてしまったようだ。

 僕はあるチームを呼び出す。


「地下室、どうだ?」

『本物です。問題ありません』


 本物の『月明かりの王冠』は無事のようだ。


「ファントム、ついに貴様を出し抜いてやったぞ」


 あらかじめ、展示室にはダミーを仕掛けていたのだ。

 捕まえることこそできなかったものの、予告状の盗みを失敗させることはできた。


 いずれは必ず捕まえてやる。最後は必ず正義が勝つのだ!


◇◆◇◆◇◆


 自分の部屋であたしは、指で王冠をクルクル回す。

 持って帰る前に、仕掛けられていたGPSの発信機は壊しておいた。


 この王冠が偽物だっていうことは最初から

 だって、健二お兄ちゃんから聞いてたから。


 にもかかわらず、偽物を盗ってきたのは……。


 隣の部屋のゴトゴトという音を聞いて、王冠をしまって荷物を持ち、部屋を出る。

 扉に鍵をかけるとすぐ、隣の部屋の扉が開いて健二お兄ちゃんが出てきた。


「おはよう、ねここちゃん」

「おはよう、健二お兄ちゃん。なんだか機嫌良さそうだね」

「わかる? 昨日やっとさ、ファントムに一矢報いることができたんだよ」

「へぇ、やったじゃん」

「僕の作戦が見事に決まったときは、手が震えたよ」

「え? お兄ちゃんも緊張したりするんだ」


 健二お兄ちゃんは意地悪い笑顔で、あたしの頭をかき乱した。


「あもうちょっとやめてよ」


 なんて言ってるあたしも笑顔だ。


 お兄ちゃんの笑顔の意味はわかる。お兄ちゃんは、実はあたしを疑ってたんだ。そりゃ、いくら素顔を隠していても声は同じだし、幼なじみだもん、似てるなーとは思うよね。


 だからこそ、あたしに計画をもらした。それで幻惑の猫ファントムキャットの行動がどう変わるかを見たかったのだ。


 結果、ファントムは盗みに成功はしたものの、偽物を掴まされたのだ。

 もしあたしがファントムなら、すり替えにだまされないはず。

 つまり、あたしはファントムじゃない。


 お兄ちゃんはそう確信したはずだ。


 通学路、他愛もない話をしながら歩く。

 こうやっていると、ちょっとイケメンの気のいい青年。でも、これからは幻惑の猫ファントムキャットを手玉にとったやり手として、どんどん出世していくはずだ。


 もちろん、あたしのおかげでね。


 あたしはこれからも怪盗を続ける。その中で、健二お兄ちゃんにだけ花を持たせるようにする。そんでどんどん出世していけば、いずれはあたしに見合う地位に立つはず。


 あたしが偽物を掴んだことで、お兄ちゃんは出世して、あたしの疑いは晴れる。一石二鳥よ。


 あたしは強欲なの。

 最後に欲しいものを全部手にするのは、あたしなんだから。

 




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