今、貴方の後ろにいるの
二見 遊
第1話 今日も全力疾走
秋晴れの空の下、恭子はいつも通りの通学路を辿っていく。鞄につけたお気に入りの熊のキーホルダーを人差し指で撫で、まだ学校までは少し距離のある交差点で立ち止まる。
「今日は何時何分かな」
我が事ながら、独り言であるにも関わらず声が弾んでしまっている。周囲には誰もいないけれど、恭子は少しだけ恥ずかしい気持ちで頬を染めた。
通学鞄を両手で持ち直し、髪の奥に隠れた瞳でそわそわと道の先を見つめていると、彼女の耳はぴくりと反応した。
「きたっ!」
彼女は大きくなりそうな声を必死で抑え、何でもない風を装ってぼんやりと交差点の一角に立つ。この場所は、人や車がよく通る方向からは一瞬死角になっていて、交差点の様子を見るのに丁度いい。
タタタッと軽快に響く足音から、今日はまだ比較的時間の余裕がある日なのだと窺い知れる。これがこの交差点まで学校のチャイムの音が聞こえ始めた時など、ダダダダッと力強い音に変わるのだ。足音の余裕は心の余裕も同義だ。こういう日は決まってあの人が取る行動がある。恭子は自身の呼吸の音さえ潜めて、声に出さずにカウントする。
(後5秒、4、3、2、1……ここ!)
カウントが0になる瞬間、交差点の陰から颯爽と黒髪の青年が現れた。彼はこちらをじっと見つめ、さっと顔を逸らしてまた走り去ってしまう。この交差点の信号は中々赤に変わることはない。不運なことに、今日も彼との視線の交わりは一瞬で終わってしまった。
それでも彼女の心はドキドキと高鳴り、朝から幸運の鳥を捕まえたかのように自然と笑みがこぼれ落ちる。遠くから学校のチャイムが聞こえる中、彼女は自身の胸を両手で押さえて暫し余韻に浸っていた。
そうして余韻が終わった頃にはすっかりチャイムは鳴り終わっている。彼女は名残惜しく思いながら交差点の角をみて、鉛のように重くなった足を引きずって学校へと歩き始める。彼女の一日は最早これで終わったと言ってもいい位、朝のあの瞬間は最高潮の気分であり、その後は一気にマイナスまで低下するのみである。
学校の校門はチャイム終わりと同時に施錠される。通用門も最近不具合で通れはしない。そういった噂がまことしやかに流れているが、彼女はそれが嘘だと知っている。門だけは立派だと常々言われるこの学校、古い割に通用門はオートロックで、暗証番号さえ知っていれば開けられる。つい先日その番号が変更になったために、少数ながら番号を知っている者達がパニックになり、あんな噂が流れたのだ。
彼女はノロノロと門を入り、ふと立ち止まってじっと二階の中程の窓を見つめた。あそこに彼のクラスが、そして本来は自分も行くべきだったクラスがあることは彼女もわかっている。しかし足を踏み入れた日は一度もない。あそこに今更居場所などないと恭子自身が最もよくわかっていた。
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