オスティナート

司弐紘

第1話 意味なし(一)

 その男の名は誰も知らなかった。知ろうともしなかった。そして今日も男はこう呼ばれている。“意味なしミーニングレス”と。


 ミーニングレスが赴いた先は聖商エステルルンドの屋敷だ。エステルルンドという男を端的に言えば大金持ちである上に、常時、傭兵達を雇って武装もしている剣呑な男。ここ港湾都市カクニスタの評議会でも、その財力と武力、それにモールン教の後ろ盾もあり、到底無視できない権勢を誇っていた。

 エステルルンドの年の頃は四十絡み。それなのに半白の頭髪を短く刈り込んでおり、それでありながら口髭だけは立派で、その上黒々としている。がっしりとした体躯は商人らしいたっぷりとした青色のローブ姿の上からも窺い知ることが出来た。

 全体的な印象としては“精力的”であろう。そんな印象であるのに社会的地位を示す、つば無しの帽子がエステルルンドの頭部にチョンと乗っている様は些か滑稽に映ってしまうのも仕方の無いところだ。その帽子がクリーム色の生地に金糸で立派に刺繍されたものであることが殊更、エステルルンドに似合っていなかった事も理由になるだろう。

 ただそれは単純に衣服がエステルルンドに似合ってない、と言うよりは「商人」であることが根本的にエステルルンドに似合っていない、と表現した方が的確ということになる。

「まずは掛けてくれ」

 エステルルンドはミーニングレスを迎えるにあたって、主人かれ自らが出迎えた。もちろん四名もの武装した護衛を引き連れてのことだったが、それでも通常の扱いでは無い。つまりそれはミーニングレスが“通常”ではない事のあかしでもある。

 ミーニングレスはまず見た目が“通常”では無い。

 まず長身である事。群を抜いていると言っても良いだろう。それに加えて痩身であることに間違いは無い。そして真っ白なつば広帽子を目深に被っていて、その表情は見えない。灰色のざっくり切られた頭髪と真っ赤な目だけは確認出来るのだが。

 そして帽子の同じ色の真っ白なコートの襟は立てられており口元も隠されていた。

 そんな真っ白な出で立ちの中で赤茶けた剣帯だけが、まるでこびりついた血のように白いコートに纏わりついていた。吊された剣はその身長に合わせたように長く、細く。

 これもまた“通常”なら武装解除されるところであるがミーニングレスに依頼をした時点で、その辺りは割り切らなければならない。あるいはをしなければならない。

 だからこそエステルルンドは自ら出迎えたのだ。ただし出迎える場所は応接室では無い。吹き抜けの玄関ホール。二階にいる傭兵達が構える弩弓クロスボウは引き絞られた状態だ。しかし一斉に掛からなければミーニングレス相手には通用しない。必殺の時を待つ。

 座ろうとしないミーニングレスに苛立ちながらも、エステルルンドは初老の執事に指示を出した。玄関ホールに用意された丸テーブルの上に報酬として約束していたダレル金貨を十枚、色とりどりの宝石、護符アミュレットが並べられて行く。

 それを見たミーニングレスがようやく、エステルルンドの対面に用意されていた簡易な木製の椅子に腰を下ろした。剣帯から鞘ごと長剣を外し、傍らに立てかける。エステルルンドもまた、ミーニングレスの正面に腰を下ろし必要な皮紙をさらに用意させる。この時同時に、エステルルンドの護衛が丸テーブルの丸みに添うようにして広がって行った。

 ここまでは以前、ミーニングレスに依頼した時と変わらぬ動き。予行演習済みとも言える動きだ。ミーニングレスが剣を立てかけることも。護衛達の動きも。違いはテーブルの上の報酬があるかないか――それだけのはず。

 明確な違いはただエステルルンドの隠し持っていた殺意だけ。そしてその殺意が今、状況に具体的な変化を与えた。

 護衛の二人がテーブルの丸みに沿って、ミーニングレスに近付いたのだ。よくよく見れば兜こそしてはいないが、護衛は鋼の板金鎧プレートアーマーに匹敵するほどに防備を固めていた。

 さらに左手側の護衛はミーニングレスと立てかけられた長剣との間に身体をねじ込む。あとは鎧の重さにまかせてミーニングレスを押しつぶしてしまっても目的は果たされる。目的とは即ち――

 ――ミーニングレスを除く。

 わざわざ剣を抜く必要は無い。身体を押さえ込んでしまえば、あとは短剣ダガーで事足りる。いや短剣ダガーを用いるまでも無い。押し倒してしまえば、あとはいくらでもやりようが……

 護衛達の思考が戦闘のそれから屠殺へと切り替わったタイミングで、果たしてミーニングレスは椅子ごと背後へと転がった。

 「銘」が無いながらもあまりに多くの「命」を終わらせたミーニングレスの長剣は「命無しライフレス」とも呼ばれている。その一振りがミーニングレスの象徴とも思われていた。その長剣を今、その場に置き去りにすることをまったく厭わずにミーニングレスは後ろに転がったのだ。だからこそ護衛は虚を突かれた。ミーニングレスが抵抗するとしても、まずは長剣にこだわるに違いないと考えていたのだから。

 その“虚”をミーニングレスは最大限に利用する。後方に一回転するとまず右手側の護衛が腰に差していた短剣ダガーを抜き取る。右手側の護衛にとっては身体の左側に武器を下げている事が普通――そう普通なのだ。

 だからこそミーニングレスには対抗できない。ミーニングレスは抜き取った短剣をそのまま護衛に差し込んだ。下から抉り込むように胴鎧の隙間から心臓に届くようにと。鎖帷子チェインメイルは元々刺突に対しての防御能力は弱い。金属が擦れる音、金属が弾ける音、皮膚が弾ける音、肉が裂かれる音、水袋が破れる音。

 それらの音が金属鎧の中で反響してくぐもった音が周囲に響く。から。

 ミーニングレスは右手側の護衛から抜き取った短剣ダガーを左手側の護衛に突き立てたのだ。だからこそ動きに淀みが無い。抜き取った動きのまま淀みなく左手側の護衛の命を奪ったのだ――淀みなく流れるように。

 心臓が破裂しても即座に絶命には至らない。転がったミーニングレスを斬るべく腰の剣を抜こうとしていた左手側の護衛は身体を捻った瞬間、心臓を刺し抜かれたのであるから、その動きにミーニングレスが従えば自動的に左手側の護衛を盾に出来る――いやそれ以上に。

 ミーニングレスの左手にはすでに長剣が握られていた。そして真っ白な出で立ちもすでに血で汚れている。

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