第一章 4
【修羅場】
血みどろの激戦や争いの行われる場所。小森翔太を取り巻く環境はまさにそれだった。
「高嶺さん。申し訳ないけれど席を外してもらえるかしら。これから小森くんと昼食を取りたいの」
「……それは嫌かな。私だって翔ちゃんと一緒にお昼を取りたいし」
――バチバチッ!!
夏川雫と高嶺繭香の視線がぶつかり合い、火花を撒き散らす。
お昼時間を迎えるや否や、突然漂い出した不穏な空気に教室が凍てつく。
生徒たちが息を飲むなか、最初に仕掛けたのは夏川雫である。
「幼馴染と一緒にお昼を取りたいという気持ちは分かるわ。でもごめんなさい。彼のお弁当を作って来てしまったのよ」
((((ええええぇぇぇぇっ!? なんで別れた彼氏の弁当を作ってんの!?))))
修羅場に巻き込まれた生徒たちは夏川の意味不明な言動に戸惑いを隠せない。
それはもちろん小森翔太も同様で、
(ええー!? なんで、どうして!? フェイク中ならまだしも昨日の今日だよ!? 夏川さんの意図が全く読めないんだけど!?)
驚きを隠し切れない様子。
しかし彼はさらに驚愕することになる。
「えっ? 夏川さんこそどうして別れた彼氏のお弁当を作ってるの? ちょっと意味が分からないんだけど」
((((いきなり核心にいったああああああっ!! 飛ばし過ぎだよ高嶺さん!))))
破裂しそうな心臓を抑えながら大量の汗をかく生徒たち。
「はっ? それこそなぜ説明しないといけないのかしら。あなた、ただの幼馴染よね?」
まるで小森翔太の恋人のような態度で言い放つ夏川雫。
『ただの』が異様に強調されていた。
((((なんか言葉に棘を忍ばせきたああああっ! 誰か! 誰か通り抜けフープ持って来て! 聞くに耐えないんだけど!))))
この時点で意識が途絶えた生徒が二人。泡を吐き出しながら白目で気絶。
もはや教室内の緊張感は覇王色にも匹敵し始めていた。
そんな状況を好ましくないと感じたのだろう。
最大の被害者、小森翔太が仲裁に入ろうとすると、
「あの二人とも。ケンカはよくな――」
『「小森くんは黙ってなさい」「翔ちゃんは黙ってて」』
「黙ります」
情けないと思うことなかれ。
なにせあまりの気迫に彼女たちの背後には青龍と白虎が映し出されていたのだから。
ちなみに小森翔太の背後には恐怖で打ち震えるハムスターが映し出されていた。
ここで高嶺繭香は切り札を躊躇なく切る。
(チッ……夏川のヤツ。私と同じタイミングで弁当を作って来やがって。鬱陶しいな。だいたいどこの世界に好きでもない男に弁当を作る女がいんだよ。これで小森にベタ惚れ確定じゃねえか。いいぜ受けて立ってやる。面白くなってきたじゃねえか)
「ただの幼馴染、か……。たしかにその通りだよ。でも元カノよりは優先されるんじゃないかな?」
「どういう意味かしら?」
「だって私――翔ちゃんに告白して返事待ちだもん」
((((ぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!!))))
小森、夏川を含む教室内の生徒全員が絶叫した。
意中の異性に告白したライバルがいる。その現実に意識を失いそうになる夏川雫は舌を噛むことでフェードアウトを免れた。
「でも小森くんは高嶺さんの気持ちに応えるつもりはないのよね?」
「そんなことないよね翔ちゃん? 前向きに考えてくれているよね?」
ぐりん。首を回し、小森翔太に鋭い眼光を飛ばす二人。
最悪のタイミングで矛先を向けられた彼は――、
(ええええぇぇぇぇっ!? ここで!? ここで僕に振るの!? いくらなんでもこの状況で答えられるほど僕は強くないんだけど!?)
「おっ、お二人の言う通りだと思います……」
「「はぁっ?」」
「ごめんなさい」
小森翔太の目は虚ろである。
なんと最初に精神をヤられたのはヒロインではなく、主人公だった。
「私からも一ついいかな?」
「何かしら?」
「夏川さんって翔ちゃんと別れたんだよね? 一体どういう心境で私たちの仲を割って入ろうとしているのかな?」
(うぐっ。やっ、やっぱり私たち別れたことになっているのね……信じてなかったけど健吾の言う通りだわ。ということは今の私って元カノの分際で高嶺さんの邪魔をする性悪女ってことかしら。まずいわね……早く私も翔太くんのことが好きって告げなくちゃ――)
――じーっ!
(言っ、言えない! こんなにたくさんの人の前で告白なんてできるわけがない! みんな息をするのも忘れて私の言動に注目しているじゃない!)
「たっ、たしかに私と小森くんは一度終わったわ」
(あっ、やっぱり僕たちは終わってたんだ……。こうして夏川さんの口からもう一度聞かされると胸に刺さるものがあるな)
夏川の言葉に落ちこむ小森翔太。頭上にしょぼーんという擬音が目に見えるほどだった。
その様子がちらりと視界に入った夏川は、
(ああっ! 落ち込ませてしまったじゃない! ちっ、違うの。本当は終わったどころか燃え上がっているんだけれど……でも人前で好意を伝えるのって恥ずかしいじゃない?)
「終わったんなら一緒に昼食を取る必要もないよね? 席を外すのは夏川さんの方じゃないかな?」
「いいえ。席を外すのは高嶺さんの方よ」
「あーもう、さすがにしつこいよ夏川さん。誰がどう考えたって――」
「――仕方ないわね。あまり人前でこういうことを言うのは憚れるけれど、打ち明けるわ。小森くんは私の下僕なの」
(違いますけどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!?)
――小森翔太は夏川雫の下僕。《氷殺姫》の新たな一面にどよめく教室。
怒涛の展開に誰も整理がつかない中、最も動揺していたのは夏川雫である。
(下僕ってなにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっー!? いやいやいや待ちなさいよ私! いくら告白が恥ずかしいからって下僕って……)
ありえない失言に後悔の念が込み上げているに違いない。
「げっ、げげげ……ゲゲゲの下僕」
(あぁっ……! 翔太くんが新しい妖怪漫画を呟きながら真っ白に燃えているじゃない! そっ、そりゃそうよね? いきなり下僕なんて宣言されたら誰だってそうなるわ……ええい、ままよ! こうなったら変態でも何でもなってやるわ!)
後戻りはできない。そう決意した夏川雫は堂々と、
「というわけで隣を譲ってもらえるかしら高嶺さん」
「「「「!?」」」」
(マジかよこの女……! 意中の相手を下僕呼ばわりしておいて開き直りやがっただと!? さすがの私も驚きを隠し切れねえよ!)
高嶺繭香は現状を俯瞰しながら、
(私は幼馴染つうアドバンテージがある分『下僕なんて許せない!』的な立場で夏川から引き剥がせられる。多少強引に攻めれば小森と二人きりで昼食を取ることも可能だろう。だが夏川もそう簡単に引く気は無さそうだし……ここは無理やり引き剥がすよりも――)
――高嶺繭香はちらりと小森翔太に目をやる。
(チッ。お前はお前でさっきから何ボケーっとしてやがんだ。ワケありとはいえ美少女二人から奪い合いをされてんだぞ!? もっと嬉しそうな顔をしろや! もしくは仲裁だろうが! ほんっと脇役だな!)
腹立たしくなったのか。額に血管を浮かび上がらせる高嶺繭香。
どうやら彼女は怒りの矛先を彼に向けることにしたようで――。
(……よし。この際からかってやるか)
「翔ちゃんを邪険にするなんて許せない。私、絶対にこの席から離れないから。それにお弁当を作って来たのは夏川さんだけじゃないんだからね!」
堂々と言い放った高嶺はこれ見よがしとばかりにお弁当をカバンから取り出してくる。
彼女の指にはケガもしていないのに絆創膏が張られていた。この辺りのあざとさはお手の物である。
可愛い風呂敷を外すや否や、
「そんなに一緒に昼食を取りたいならどっちのお弁当が食べたいか、翔ちゃんに味比べして決めてもらおうよ」
「望むところだわ」
(いや望まないでよ夏川さん!! というか僕の同意は!? むしろそっちを取ることを望んで欲しいだけど!)
「あっ、僕、お腹が――」
「「――痛くなってない!!」」
命の危機を感じた小森は適当な理由で教室を後にしようとするがそうは問屋が卸さない。
彼の両手は夏川と高嶺に掴まれてしまう。それも後になって手形が残るほど強く。
(お腹の調子を決めるのは二人じゃないと思うんだけど!?)
緊迫した中、夏川雫と高嶺繭香に挟まれる小森翔太。
(まさかこの空気でお弁当を食べさせられるの? 正直胃が縮んで食事どころじゃ――)
――パカ。
高嶺繭香が弁当箱を開くとご飯にハートマークが描かれていた。
(うわああああああああああああああああっ!! ちょっ……繭姉!? なんてものを見せるのさ! いや嬉しいけど! 嬉しいけどさ! でも仮にも偽装カップルをしていた彼女の目の前でこれは――)
――パキッ!
(ああっ! 夏川さんが握っていたお箸がっ! お箸が割れた! しかも舌打ちまで!? なにこれ? なんで元カノと今カノの修羅場みたいになっているの!? どうしてこうなった!? いつからこうなった!?)
「最初は卵焼きからでいい翔ちゃん? はい、あーん」
(そしてここは地獄かああああああああああああああああああああああああああ!!)
側から見れば間違いなく羨ましい状況である。
しかし男子生徒は誰一人として嫉妬することはなかった。
彼らが望んでいるのは無条件でモテまくること。食欲の湧かない圧力の板挟みなど御免である。
「えっと……繭姉? おかずぐらい自分で食べられるんだけど」
「はい、あーん」
(目が据わってる!? なぜ!? とにかく口を開けろ感がハンパじゃない!)
クラスメイトの手前、あーんを渋る小森翔太。
なにせすぐ傍には夏川雫もいる。無言の圧力がただただ恐ろしい。
しかし高嶺繭香も引く気がないようで。
「あーん(
(ダメだっ! これはもうするしかない!)
二トーンほど低い声にさすがの彼も決意する。
「あっ」
愛しい異性が別の女に餌付けされてしまった夏川。喉を突いて声が出る。
高嶺繭香はその様子を流し見ながらさらに追い討ちをかける。
「美味しい?」
「美味しい……です。はい」
照れるように答える小森翔太。
その様子に危機感を募らせた夏川雫は急いで参戦する。
「私の卵焼きもどうかしら」
「えっと……」
夏川雫の意図が読めない小森。
彼は戸惑いながら足りない脳みそを振り絞る。
(下僕の僕にお弁当……? ハッ。そういうことか! 彼氏に渡す前の味見だね!? なんだそういうことなら――)
「――毒味ならまかしてよ!」
((((毒味っ!?))))
下僕の次は毒味。物騒な響きに生徒たちの心臓が跳ね上がる。
((((小森は何をさせられているんだ? いや、これまで何をさせられてきたんだ!?))))
もはや彼らの間に嫉妬という感情はない。あるのは同情のみ。
もちろん毒味に反応を示したのは彼らだけではない。
夏川雫と高嶺繭香も同様である。
(毒味ってどういうこと!? それだと私が他に食べさせる男がいるみたいじゃない!)
(あん? 毒味だと? なんでこの状況でそんな言葉が出てくんだよ……いや、そうか。たしか小森は夏川に他の男がいると思い込んでんのか。その誤解が解けんのは不利だな。たぶん夏川も語彙のチョイスに違和感を覚えただろうし何としても誤魔化せねえと)
「どっ、毒味ってどういう――」
「――ねぇ翔ちゃん。次はタコさんウインナーなんてどうかな?」
「なっ!?」
高嶺繭香は夏川の意識を逸らすため、あーんをプッシュ。
焦る夏川。突いて出た言葉は、
「先に毒味しなさい!」
((((小森ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!))))
彼らクラスメイトたちの願いは同じ。小森よ。どうか無事でいてくれ。
「うっ、うん。分かったよ夏川さん」
あまりの気迫に従うしかない小森。
彼氏がいるはずの夏川からの「あーん」に戸惑いながらも卵焼きをぱくり。
「どっ、どうかしら?」
念願のあーんに感動する夏川であったが、味の感想を聞くまでは緊張が勝っていた。
きちんと味わったあと、ごくりと飲み込んだ小森の感想は、
「おっ、美味しい……!」
(きゃああああああああああああああああっ! なにこれ。泣いてしまいそうなのだけれど! 美味しいと言われただけで天にも昇る心地だわ。なるほど、これが恋ね。患ったらバカになるはずだわ)
大福がとろっとろに溶けたような笑みを浮かべる夏川雫。
幸せのあまりよだれをこぼしていた。
《氷殺姫》とは思えない言動に心配になる小森。
「あの、夏川……さん? よだれが――」
「べっ、別に小森くんのために作ったわけじゃないんだからね!」
((((なんか露骨なツンデレきたああああああああああああああああっ!!))))
「そっ、そうだよね。僕のためじゃないよね、あはっ、あはは……」
このお弁当は小森翔太のために作ったものではない。夏川に彼氏がいると信じて疑わない彼は乾いた笑みを漏らす。
このとき夏川雫に失態があったとすれば、
(やっ、やばいわ。どうしても顔がにやけてしまう。元の顔で翔太くんを直視できないのだけれど!)
あまりの嬉しさから我を失っていたことである。
平常心の彼女なら小森翔太の異変に頭を働かすことができただろう。
しかし有頂天になっている夏川にそれを認識する余裕などあるはずがなかった。
(おいおいおい……小森がしょぼんとしてやがんのに手放しで喜んでやがるぞこの女。もしかしたらとは思っていたが、恋愛方面に関しちゃ本当にポンコツだなお前。まあその方が私にとって都合がいいけどよ)
「あっ、でも僕的には両方の味を楽しめて良かったかな。繭姉は甘くて夏川さんはしょっぱい味付け。甲乙つけ難いもん」
「「えっ?」」
何気なしに言った小森翔太の感想は俗に言う――。
「「どっちの味付けが好み(かしら)!?」
――余計な一言だった。
(あっ、やばい。地雷踏んだ!!)
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