12.騎士ラルフ・クルーガーの受難

騎士、ラルフ・クルーガーは困惑していた。


決して目立たず、真面目に堅実にを信条に過ごしてきたこれまでの日々が、あの夜を境に一変してしまった。

彼は「公爵令嬢が王太子妃の座を捨てた世紀の恋のお相手」として一躍、時の人となってしまっていたのだ。


(いったい何だってこんなことに……)


あの夜、朋輩たちにしつこく誘われてあのパーティーに参加してしまったことがつくづく悔やまれる。

同僚たちに誘われただけなら、いつものように断固として断って、その分の時間を読書か鍛錬の時間に当てていたのだ。


(そう。ヴィクトール隊長が自分のかわりに出席しろ、などと命じなければ……)


その日、騎士団の外せない仕事があって出席出来ない自分のかわりに会場に出向いて、親友のクレイグ子爵と婚約者のアンジェリカ嬢に祝いの品と花束を渡して欲しいと言ってきたのは、近衛騎士団分隊長のヴィクトールであった。


そうして渋々、出席した席でのあの騒ぎである。

ひょっとして兄妹、示し合わせての悪い冗談なのではないかと、最初は勘ぐったくらいだ。


あの夜、ラルフがクレイグに伴われて騎士団の詰め所へ戻ると、話を聞いたヴィクトールはソファに引っ繰り返って爆笑した。


「うわー。何だそれ。見たかったなー。何がなんでも行けば良かった!」

「笑いごとじゃないだろう。本当に何がなんでも来るべきだったよ、おまえは!」

げらげら笑っているヴィクトールの頭をクレイグがはたいて言った。


「いやあ、今、クレイグから聞いてるからこんな笑っていられるけど、その場にいたら俺、たぶん殿下のこと殴ってたわ。俺の可愛い妹を大勢の前でコケにしてくれちゃってまあ……」


どう落とし前をつけて貰おうか、と物騒なことを呟くヴィクトールをちらりと見て、クレイグが頭痛がするといったようにこめかみを押さえた。


「おまえの逞しい妹君なら大丈夫だ。たぶん、髪の毛一筋ほども傷ついていない」


「アマーリアは今どこにいる。邸に戻ったのか?」

「アンジェリカとミレディが付き添って、ひとまずエイベル侯爵邸に行くと言っていた。心配はいらないよ」


「そうか。せっかくの婚約披露の席を台無しにして悪いことをしたな」

「何を今さら」

クレイグは、鼻を鳴らしてヴィクトールを睨みつけた。


「事の起こりはあのバカ王太子だから仕方がない。あれがどうしようもないバカだっていうことは前々から分かっていたことだ」


端正で穏やかそうなクレイグの口から出た毒のある言葉にラルフは驚いて目を丸くした。

(か、仮にも王太子殿下に向かってバカ、バカって……)


「まあなー。バカはバカなりにせめて素直で謙虚でいてくれればこっちとしても支えようがあったんだけどな。上に担ぐ象徴は軽い方がいいってね」


ヴィクトールも平然と言う。

どうやら、この名門貴族の子息たちの間では王太子アドリアンをバカ呼ばわりしてこき下ろすことは日常茶飯事のようだ。


(いや、でも四大公爵家のうちの二家のご出身であるお二人は良くても、俺みたいなのがこの場に同席しているのを誰かに見られたら……)


ひょっとしなくても身の破滅ではないだろうか。


「まあ、そうやってきちんと諫めるのを後回しにして、アマーリア嬢に犠牲を強いようとしてきた我々にも責任がある。だからあの王太子バカのことはもういい。問題なのは、彼、ラルフ・クルーガー君だ」


突然、名を呼ばれてラルフは「はっ」と敬礼をして背筋を伸ばした。


「楽にしてくれていい。そういった礼もこの場では省略してくれ。君は我々の勝手に付き合ってくれている立場だ」

クレイグが言った。


「アマーリア嬢があの場で彼の名を呼び、愛の告白をしたせいで彼は否応なく今回の騒動の渦中に巻き込まれてしまった。一介の騎士という立場でだ。今回の一件が彼の生活に与える影響は計り知れない。僕たちで責任をもって保護ガードするべきだ」


「い、いや。俺は別に」

守って貰わなくても。それほどひ弱ではないと言いかけたラルフをクレイグが視線で制した。


「事態を甘く見てはいけない。さっきのあの王太子の言葉を聞いていただろう。君は今後、下手をしたら王太子の婚約者に想いをかけて横取りしたという嫌疑をかけられかねないんだぞ」


「いや、それはおかしいだろ。ラルフは告白された側で今日まで自分がアマーリアに好かれてるなんて思ってもみなかったんだから」

ヴィクトールが眉をしかめて言った。


「そもそも、アマーリアだって王太子が婚約破棄なんてやらかさなければ、あの場でそんなことを口走ったりしなかったはずだ。あれは……うん、まあもともとの性格はちょっとぶっ飛んだところはあるけど、表向きは立派な淑女で通してきてるんだから」

「表向き……」

 ラルフが小さく呟いた。


「それはそうだ。引き金を引いたのは王太子で間違いないとは僕も思っている。が、問題なのはそこじゃないんだ。いっそアマーリア嬢がその場では黙って婚約破棄を受けておいて、後日改めてこのクルーガーのことを持ち出してくれれば話は簡単……ではないにしろ、こちらの落ち度を問われることはなかったはずなんだ」


クレイグの言葉にヴィクトールも不承不承頷いた。


「それはまあ確かにな。この状態だと下手をしたら王太子と婚約中に他の男に想いをかけていたと罪に問われかねないもんな」


「実際に二人が忍びあったり、手紙を交わしたりしていたという事実がなければ罪にまで問われることはないだろう。だがこの王都で厄介なのはむしろ、公の罪に問われることより、人の噂に上ることだ。妙な噂が広まればその方がダメージが大きい。アマーリア嬢の将来に関わる。もちろん、クルーガー。君の将来にもだ」


二人のやりとりを聞いているうちに、ラルフはようやくなぜ、自分がこの場に連れて来られたのかをうっすらと理解し始めていた。


クレイグとヴィクトールにとって、大切なのはクレヴィング公爵家の立場とアマーリア嬢のこれからなのだ。


その為には、周囲に興味本位で詮索されたり、聞きかじった情報から噂を広められることは最も避けたいことだろう。


アドリアン王太子とアマーリア嬢。どちらも、直接問い詰めるには躊躇われる主要人物たちのなかで、ラルフだけが違う。

あの場に残っていたらまわりから質問責めにあい、わずかな言葉尻や、表情、態度を勝手に解釈して、どのようなデタラメを広められたか分からない。


それを避けるためにクレイグは自分をあの場から隔離して、こうしてヴィクトールのもとへ連れてきたのだ。
















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