4.愛のない政略結婚

 その日はさすがにショックで、自分の部屋に戻ってから一晩泣き明かしてしまった。

 アドリアンが最近、冷たいことには気づいていたが、まさかはっきりと「愛情がない」とまで言われるとは思っていなかった。


 アドリアンの言う通り、愛のない政略結婚をしている夫婦など珍しくないことは、十代の少女であるアマーリアでもよく知っていた。

 確かに二人の結婚は、国王とクレヴィング公爵との間で決められたものでそこに当人同士の意思が入る余地はなかった。


 アドリアンはずっとアマーリアに優しかったが、三つ年上で彼女よりも早く社交界にデビューした彼はアマーリアを妹のようには思えても、女性として愛することは出来ないことに気がついたのかもしれない。


 翌朝。泣き腫らした娘の目を見た母のメリンダは驚いてアマーリアを自室に呼んだ。

 アマーリアの話を聞いた母は厳しい顔でしばらく黙り込んでいたが、やがて優しく言った。


「殿下くらいの年頃の男性は、お友達の前だとつい虚勢をはって心にもないことを言ったりするものですよ。だって殿下はあなたと二人の時は相変わらずお優しいのでしょう?」

 アドリアンは国王や王妃、そして公爵夫妻の前では以前と変わらない態度をとっていたので母は、アドリアンの言葉を年頃の青年らしい照れだととったようだった。


 友人たちの手前、あまり大っぴらに婚約者と仲が良いことを吹聴するのは格好が悪いと思ったのかもしれない。それにしても未来の国王ともあろう者にしては軽はずみな発言だが。


 アマーリアは母の言葉に納得したふりをして、表面上は何事もなかったかのように振る舞い続けた。


 心配をかけたくなかったというのもあるが、自分がアドリアンに本当に愛されていないのかもしれないというのを母に知られるのが恥ずかしかったからだ。


クレヴィング公爵家の長男であった父と、フォンテーヌ侯爵令嬢だった母も親同士の決めた政略結婚だったが、両親は深く愛し合っていて、今でもとても仲が良かった。


兄のヴィクトールと義姉のソアラも政略結婚だがとても仲睦まじい。


そんな家族に自分だけが夫となる男性に愛されていないと知られるのは惨めだった。

アドリアンの気持ちがどうであれ、この縁談は国王陛下のお声がかりによるもので、今更取り消しになることはない。


だとしたら、そんなことを知られたら優しい両親や兄を悲しませるだけだ。

幸い、アドリアンは表面上は優しい婚約者としての態度をとってくれている。


恐らく、結婚をしたところでそれは変わらないだろう。

だったらアマーリアさえ知らないふりをしていれば、すべては丸く収まるのだ。


(実際に夫婦になって、もっと多くの時間を一緒に過ごすようになればアドリアンさまも少しずつ私のことを好きになって下さるかもしれないし……)


 何といっても、昔はアマーリアを蕩けるような優しい目でみて「僕の可愛いリア」と呼んでくれたこともあったのだ。


燃え上がるような熱烈な恋情を抱かれることは無理でも友人同士のような穏やかな親愛の情を得ることは出来るかもしれない。

それはそれで幸せな夫婦のあり方ではないだろうか。


アマーリアがラルフに出逢ったのは、彼女が懸命に自分にそう言い聞かせながら過ごしていた頃のことだった。


 彼と出会った時のことを思い出すと今でも胸が苦しくなる。


 男たちに囲まれたアマーリアの前に颯爽と現れ、彼女を守るように立ちはだかったそのしなやかな長身。


 濃紺に銀の縫い取りのある騎士団の制服がよく似合って、まるで物語のプリンセスを助けにくる騎士のようだった。


「何をしている。大の男が女性によってたかって」


 そう言った、低いがよく通る声。


 蜘蛛の子を散らすように逃げていった男たちを見送り、アマーリアを振り返った、日に灼けた精悍な顔。


 濃い茶褐色の髪は、騎士らしく短く刈り込まれていて清潔感があった。


 極めつけはその切れ長の黒い瞳。


 その目でみつめられた瞬間、アマーリアは息が止まるかと思った。

 実際に、数十秒は呼吸をするのも忘れて固まっていた気がする。


 アマーリアの様子がおかしいのを見た彼は家まで送ると申し出てくれたのだが、公爵令嬢がこんなところで町の男たちを相手に啖呵を切っていたことが知れたら大変なことになると思ったシェリルが



「大丈夫です。すぐそこですので!」


と断って、ぽーっとしているアマーリアを引きずるようにしてその場を離れた。

 我に返ったアマーリアが彼がどこの誰か、それどころか名前も知らないことに気がついたのは邸の自分の部屋に戻ったあとだった。


二度と会うこともないだろう。

そう思っていたある日。


シェリルに誘われて庭へ薔薇を摘みに出たアマーリアは驚きに立ち尽くすことになる。二度と会えないと思っていたその人が、そこに立っていたからだ。


彼の方もアマーリアの姿を見て驚いた顔をしていた。


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