第10話 ミツバチ飼育 ④

 

 新入生向けに一人暮らし用の家具なども展示されたフロアを横目に通り過ぎ、本の展示エリアで教科書を探し始めた。

 普通の本より一回り大きい上、カラーの本だったためにすぐに目に留まる。


 それを前に鹿島は目を何度も瞬いた。

 その後、現実を受け入れて眉間を揉み解す。


「……はぁ。やっぱりこの額か」


 注目するのは上下巻セットとなった獣医解剖学の本だ。

 その何が原因かといえば、二万円という定価である。

 自分としても目を疑いたくなるが、日原はその事実を認めた。


「間違いないよ。大学からの教科書リスト的にはそれを買えってなってる」

「卒倒しかねん。指定テキストだけでこれか……。専門書の価格帯、恐るべし」


 引きつった顔をする鹿島はその教科書を自分の買い物カゴに収め、ため息を吐く。

 彼がよろけるのは、分厚い教科書の重みのせいだけではない。


 そういえば女性陣は値段を想定していたのだろうか。妙に静かである。

 日原が目を向けてみると、渡瀬は鈍器のように分厚い上下巻の教科書を手にしていた。彼女もまた鹿島と似たリアクションをしている。


「日原君。こっ、これ……。上級生が使う獣医内科学の教科書、上下巻セットで四万円半ばなんだけどっ!?」

「えっ。四万円っ……!?」


 彼女の言葉に不安を覚え、改めて一年から六年までの指定テキストを確認する。


 薄い教科書で五千円。

 獣医系の専門書で数万円という具合だ。

 それを耳にした鹿島は「貯金しなければ」と覚悟を呟いていた。その意見には日原としても同意である。


「あれ。そういえば朽木はどこに行ったっけ?」


 ふと気づいたが、確かに姿が見えない。マイペースが極まった彼女はまた違った何かに興味を見出したのだろう。

 日原が周囲を見回すと、その姿はすぐに見つかる。


 彼女は一挙に買いに来る学生用に授業テキストが荷出しされた場所ではなく、二つ隣の棚を見ていた。

 どうも通常時はそのエリアに獣医学生向けの書籍があるらしい。

 背表紙には動物に関する題名が並んでいた。


「おーい、朽木。何をしているの?」


 棚の前にしゃがみ込み、数冊の本を並べて読んでいる彼女に声をかける。


「これ、興味をそそる……!」


 朽木は目を輝かせて本を示した。

 平積みの本の上には彼女が好きなエキゾチックアニマルの診療マニュアルや神経学検査に関する本、その他に馬に関する専門書も置かれていた。


 彼女はそれらに目を向けた後、辛い選択を迫られたかのように悲しげな顔をする。


「爬虫類みたくカロリー消費を抑えて。ついでに食費も抑えて。それでもムリ……?」

「無理だと思う……」

「だよねぇ。ウチも同意見」


 教科書より少し高めな値段設定なこともあって首を横に振って返す。

 彼女はかくりと項垂れた。


 優しくない値段設定という洗礼に早くも震えていた時、日原は見覚えのある表紙に気づいた。


「ん? ああ、これ。親が買っていたっけ」


 それは獣医師も多く所属する中央競馬会が出版している本だ。カラーで情報量も多く、値段はそこそこに抑えられているので高評な一品だったと記憶している。

 すると周囲も残る三人もその本に興味を示した。


「馬に関する本だね。日原君の両親は馬に興味があるの?」


 渡瀬の何気ない質問に日原は苦笑を浮かべる。


「うん。両親は大の馬好きで、僕が生まれる前からユウイチって名前の馬を牧場に委託飼育してもらっていてね。だから裕司って名付けるとか本当に……。馬第一で放任気味だったし、この道も親が切望して目指したって言うかね……」

「いっ、いやいや、それでも現役で受かる学力凄いよ! 頑張ったね!?」


 力なく笑っていると、藪蛇だったと思ったのか渡瀬は慌てて励ましてきた。


 彼女が言うように獣医学科に現役合格する人は少ない。

 年によってバラバラだが、現役、一浪、二浪は三割ずつで、三浪以上や社会人が残りといった具合に多浪の方が多いくらいだ。

 このメンバーでも渡瀬と鹿島は一浪で、項垂れて動かない朽木は二浪である。


 そんな話をしていたところ、鹿島が肩を叩いてきた。


「それはともかくレジが並んでいる。これ以上混まないうちにさっさと買うぞ?」

「お、そうだね。急ごうか」


 鹿島はこういう面ではきっちりとしている。鈍い朽木を急かしつつ、四人は教科書をカゴに入れてレジに向かうのだった。

 

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