第18話 18、羊蹄山登山
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3日目の予定は羊蹄山登山だけだった。
状況次第ではどこかに野宿しなければならなかった。
二人は朝早くに朝食を取り、お弁当を作ってもらってから荷物を持ってフロントに鍵を返しに行った。
フロントマンが二人を見て言った。
「ご出立ですか。お客さん達は有名人になりましたよ。」
「えっ。有名人って。」
「えーと、マリア・ダルチンケービッヒさんでしたね。この写真はお客さんではないですか。」
そう言ってフロントマンは届いたばかりの新聞朝刊の第1面をマリアに見せた。
そこにはにっこりと微笑んだマリアのビキニ姿が大きく載っていた。
よほど紙面を満たすために苦労しているんだろうと思わせるほどの大きさだった。
「まあっ、いつ撮られたんだろ。気がつかなかったわ。」
「よく写っているんじゃないか。マリアさんは抜群のスタイルだよ。」
新聞をいっしょに覗き込んだ上坂が言った。
「少し恥ずかしいわね。」
「美人の宿命さ。」
フロントマンが恐る恐る言った。
「あのー、このフロントを背景にしてお写真を1枚だけ撮らせていただけないでしょうか。あの、ダルチンケービッヒさんだけでいいのですが。」
「むしろ、僕が入らない方がいいんだろ。」
「すみません。はっきり言うとそうなんです。」
「マリアさん、どうする。」
「いいわよ。美人の宿命なんでしょ。」
マリアは荷物を下ろし、頭を振って髪を整え、新聞の写真と同じポーズで写真を撮らせた。
上坂とマリアは洞爺湖湖畔に沿って北上し、北海道道66号線に入った。
66号線を進み、真狩村を通って羊蹄山真狩登山口に通じる道につき、右折して真狩キャンプ場前の登山者用駐車場に着いた。
二人は直ちに登山用の服に着替えをした。
8月初旬の標高1898mの羊蹄山山頂の最高気温はおよそ10℃で最低気温は5℃になる。
途中にも頂上にも水場はなく、全て自分で持っていかねばならない。
所要時間は健脚で登り5時間、下り4時間、予定のお鉢周りをすればそれに1時間半が加わる。
朝の8時に出発すれば、休みなしで10時間半がかかるから駐車場のバイクに戻れるのは夕方の6時半になる予定だ。
「心配しないで。いざとなったら上坂さんを抱いて空を飛んであげるから。」
マリアは上坂に言った。
二人は大きめのリュックサックに必要なものを詰め込み、オートバイをいつものように人が入れ込めない林に隠し、直ちに出発した。
キャンプ場を通り抜け登山道に入る。
ずっと林の中を登り続ける登山道を登り続け2時間後の10時に6合目に達した。
ここから道は急になり8合目を越えると森林限界を通り過ぎて見晴らしが急に良くなる。
上坂は見晴らしのいい大石に腰掛け、初めて水を飲んで休憩した。
マリアは景色を眺めながら言った。
「登山して良かったわ。空から見る景色とは全然違うわね。」
「そうだろうね。地上から見る景色と高空から見る景色とは違うのは頭では理解できる。」
「人がいなかったら上坂さんを抱いて飛び上がって上空からの景色を見せてやることができるのにね。」
「そうだろうけど、マリアさんに抱かれていてもきっと怖いだろうな。」
「そうね。」
「よし、元気回復。9合目はすぐ近くだ。出発しよう。」
「了解。」
二人が頂上に着いたのは午前11時半だった。
上坂は一般5時間のコースを3時間半で登りきったことになる。
上坂は真狩コースの頂上でポテトチップを食べ、水を飲み、山頂にいた登山者に頼んでマリアと一緒の写真を撮ってもらった。
もちろん上坂とマリアの写真も互いに撮りあった。
正午になると上坂が言った。
「アリアさん、お鉢巡りを先に終えてしまおう。昼飯はその後にするよ。その方が気楽に飯を食べれそうだ。マリアさんと感想を話しながら食べれるからね。」
「了解。でも上坂さんのエネルギーは大丈夫なの。」
「ポテトチップで塩分を補給したからね。予備体力を出すことができる。」
「ふーん。上坂さんの体力状態って何段階あるの。」
「そうだな。通常体力、予備体力、強制体力、非常体力の4段階かな。非常体力を使ったらその後は必ず休みを取らなければならない。」
「私たちの非常バッテリーみたいね。」
「人間も同じだ。人間が非常体力を使うときは『根性』ってバッテリーを使うのさ。」
「納得。」
二人にとって火口の周囲を周るお鉢周りは簡単だった。
1時間ほどで出発地点に戻り、上坂は昼食を取った。
午後1時、下山を始めた二人は凄まじい速さで駆け下りた。
上坂に関しては、「駆け下りた」という表現は適当ではなかったかもしれなかった。
上坂は富士山の須走コースの分厚い火山灰の下山ルートのように跳び下(くだ)った。
上坂は「ホイ、ホイ、ホッ」という掛け声とともに、次々と足を着く場所を見定めて跳び降り、片足で着地して次の目標に向けて再び跳んだ。
上坂は自分の膝によほどの自信があったようだった。
上坂の後ろに続いたマリアはズルをして跳び下りないで少し空中に浮遊しながら、時々申し訳のように山道に足を着けて上坂を追った。
二人は2時間後の午後3時に出発地の登山口に着いた。
マリアは隠しておいたオートバイを林から駐車場に運び、上坂は水を飲んだ。
二人はニセコに向かって走り、国道5号線に出て75㎞先の小樽に向かった。
余市を左に見て日本海に出、海岸沿いの一般道を通って小樽市に入った。
二人は小樽市街手前で左に曲がってオタモイ海岸に向かい、絶壁に出て休憩した。
もちろんマリアは体を浮遊させ、絶壁の途中に設けられた危うそうな遊歩道に負担をかけなかった。
太陽は絶壁沿いに落ちていた。
その日の宿泊地は札幌だった。
マリア達は高速自動車道に入り、短時間で夕暮れの札幌に着いた。
上坂が札幌郊外に入るとインターカムで言った。
「マリアさん、僕らの今日の宿は北大近くのビジネスホテルだ。たいして疲れていないし時間があるみたいなのでホテルに行かないで先に食事をしないか。藻岩山に登って山頂のレストランで夜景を見ながら夕食ってどうだい。」
「ライダースーツでの食事ね。おもしろそう。そうしましょ。今日も二つの山を登ることになったわね。」
「こんなに早く着くとは思わなかった。」
上坂とマリアは札幌市内を南に走り、札幌駅、大通り、すすきのを通り過ぎて藻岩山ロープウェーの駐車場にオートバイを入れた。
二人はインターカムの付いたヘルメットだけを持ってロープウェーに乗り、途中で乗り換えてから山頂のレストランに入った。
レストランはまだ早いためか、お客はそれほど多くなかった。
二人は次第に町の灯りが強くなる札幌を眺めながら今日の成果を話題にしながら食事した。
もちろん、上坂が二人分を平らげた。
二人が下山して駐車場に戻ると駐車場には10台のオートバイが停まっており、大学1年生か高校生程度の顔をした若者たちがマリア達のオートバイの周りに集まっていた。
女性は化粧で分からないが、この年頃の男性の大学生を見るとはっきり気付く顔の変化がある。
大学1年生はいかにも高校生の顔をしているが大学2年生になると顔が大人の顔になる。
簡単に言えばひねた顔になる。
上坂とマリアがオートバイに近づくと、若者達の一人が言った。
「あんたら東京から来たのか。北海道旅行中か。」
「そうだ。旅行中だ。君たちはオートバイ仲間かね。」
「こっちのバイクのナンバーは分かるがこっちのバイクのナンバーは珍しいな。このナンバーは何だい。」
会話が成立しないグループらしかった。
「これは外交官ナンバーだ。『外』って書いてあるだろ。日本で最強のナンバーだよ。警察車両よりも強い。自衛隊とはどっこいどっこいかな。」
「どうしてだい。」
「スピード違反しても捕まらない。駐車違反しても捕まらない。車検はないし税金もかからない。だから最強なのさ。」
「そいつは便利だな。外交官になったら貰(もら)えるのか。」
「日本の外交官になってももらえない。貰えるのはそうだな、外国の大使館の職員になったら発行してくれるかもしれないな。」
「ふーん、大使館ね。」
「君たちは暴走族かね。」
「おれたちゃあ暴走族じゃあない。『札幌爆走会』だ。」
「暴走族とどう違うんだい。」
「俺たちは町中を走らない。高速道路を走る。悪いことはしない。」
「夜中に高速道路を走って夜の羽虫を体にぶち当てて走るんだな。ご苦労なことだ。」
「分からんものには分からんさ、この大型バイクはどれくらい出る。速そうだな。」
「そうだな320ってとこだ。風防付きの方は300らしいが実際には250だ。」
「大したことはないな。おれたちのバイクはこれより小さい中型だがもっと早い。改造してあるからな。俺たちはスピードでは負けたことがねえんだ。」
「ふーん。どんな改造をしてあるんだ。」
「小型のジェットエンジンを着けてある。」
「ふーん。ジェットエンジンね。自動車にロケットエンジンやジェットエンジンを付けているのは知ってるが、軽いオートバイでは前輪が浮き上がってしまうんじゃあないのか。そのエンジンは後部に付いてるんだろ。」
「知ってる。俺たちのバイクは前輪にエンジンが着いている。これがそうだ。前輪駆動だから浮き上がらない。」
そう言って若者はオートバイを上坂の前に進めた。
「ふーん。これがそうか。噴射口が少し上に向いてるんで前輪を押さえているんだな。なかなかたいしたものだ。」
上坂はしゃがみこんで前輪の車軸の下に装備された綺麗にメッキされたジェットエンジンを賞賛の目で眺めた。
「燃料はケロシンか、軽油か。」
「灯油だ。ちょっとガソリンを直前で混ぜている。ジェットエンジン用のケロシンなんて簡単には手に入らない。」
「そうだろうな。灯油は安いしな。」
「なかなか詳しそうだな。どうだ、俺たちと勝負しないか。」
「スピードの勝負か。」
「スピードの勝負なら改造してある俺たちの勝ちに決まっている。加速の勝負だ。高速道路で1㎞の距離を走る。お前達のバイクは大型だから加速がいいことは当たり前だ。だからそこに俺たちの挑戦が生まれるわけだ。」
「なるほど。面白そうだな。マリアさん、どうする。」
「そうね。面白そう。でも上坂さんはホテルで眠っていて。今日は疲れたでしょ。羊蹄山を駆け下りるなんて膝に相当負担がかかっているわ。私が勝負してあげる。それに上坂さんのバイクは改造されていないから負けるかもしれないわ。」
「ふうむ。相手は自信たっぷりだからな。負けるかも知れんか。・・・OK、マリアさんが勝負してくれ。でも僕は寝ているわけにはいかないよ。マリアさんの勝負を見届けてやる。」
「ありがと。上坂さんの睡眠時間は短いから大丈夫ね。それに明日は休養日だし、少しお寝坊できるわね。」
札幌爆走会のリーダーらしい若者が言った。
「どうだ。勝負をするのかしないのか。おまえらは丁度100人目だ。俺たちはこれまで99人の挑戦者に勝っている。記念にちょうどいい。」
マリアが言った。
「まるで牛若丸と弁慶ね。ここは京都ではないけど。・・・勝負するわ。私がお相手してあげる。100人目にして負けたって記念を作ってあげるわ。」
「姉ちゃんがか。そんな細い体で男の勝負に挑戦するってか。」
「まあ、結果を見てから言ってね。えーと、「札幌爆走会」だったわね。札幌爆走会の100人目の挑戦者は小さな女性ライダーだってのも面白いでしょ。でもそのライダーは実は牛若丸だったの。」
「今から勝負するのか。」
「いいえ。私たちは北大近くのホテルに宿を取っているの。今からそこに行ってチェックインして荷物を下さなければならないの。キャンプ道具を積んだまま勝負したらあなた方に失礼でしょ。荷物を部屋に運んだら勝負してあげるわ。」
「上等だ。一緒に行っていいか。」
「後をついて来て。」
上坂とマリアは繁華街を法定速度で北上し、北大近くのビジネスホテルに着いた。
二人のオートバイの後には10台の改造オートバイが通常より遅い速度で続いた。
マリアと上坂は一応オートバイをホテルの駐車場に入れ、荷物を荷台から外してホテルに入って行った。
札幌爆走会の若者達はホテルの前にたむろして待っていた。
マリアと上坂がツイン部屋に入るとマリアが言った。
「あの子達はそんなに悪ではなさそうね。」
「そんな感じだ。まさに青春初期って感じだ。さて、待たせちゃ悪いな。それにあんな連中がホテルの前にたむろしているのもホテルは迷惑だろうしな。」
「上坂さんはほんとに大丈夫。疲れて眠くない。」
「だいじょうぶだよ。僕はスーパーマンだ。夕食も食べたし、今は通常体力だ。」
「了解。」
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