マリアの仮説(異端の子ら3)

藤山千本

第1話 1、ロボット兵士の要望

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 ある日、ブラック大隊司令官がイスマイル・イルマズへの定時報告で部下の一人の要望を伝えた。

「イスマイル様、異例の事ではありますが部下の一人が大隊からの離脱を要望しております。如何(いか)に対処しましょうか。」

「どのような要望だい、グレース司令官。その兵士は理由を話したのかい。」

 「はい、イスマイル様。大隊から市井に出て人々を助けたいからだと言っております。その兵士は研究所の警備を担当している兵士の一人です。研究所の周囲を警備している警察官とよく会話しております。警察官から人間世界の不条理に関して聞かされていたようです。」

 「なるほど。正義の味方になろうとしているんだな。弱きを助け強きを挫(くじ)く正義の味方だ。自我にも目覚めたのかもしれない。幼い自我かもしれないけどね。・・・人間世界は色々な人間で構成されている。世界の国もそうだけどね。弱きものにも強きものにもそれぞれの理屈はある。だから正義を行動の規範にすることは難しい。それができるのは神様だけだ。もっとも、昔から伝えられている神様の行動には矛盾する行動が多いけどね。神様の行動を理解するには神様は縁(えにし)を重視していると考えるしかない。たまたまその状況に遭遇して正しいと思うことをする。・・・話がそれたけど、この世の中、全員がお金持ちにはなれない。お金持ちにとって自我を満足させるためには自分に仕えてくれるドアボーイが必要だ。全員が1兆円の現金を持っていたらだれも働かない。逆にだれも自分のために仕えてくれない。結果的に全員が餓死する。」

 「どう致しましょう、イスマイル様。」

「まあ、小さな神様を一人くらいなら作ってもいいかな。弱者の希望になるだろう。グレース司令官、その兵士が隊列から離れることを認める。ただし身体を改造してからだ。」

「どのように改造するのでしょうか。」

「頭蓋の分子分解銃は外す。寿命を50年間程度に短縮する。世の中に貢献しているようだったら寿命を延長することにする。眼球をこれまでの可視光の他に紫外光と赤外光も見えるようにする。・・・X線とガンマー線も加えておこうか。正義の味方には有用だ。それからシースルーケープを分子分解銃のあった場所に埋めておいてやろう。神様は姿を見せないことも必要だ。それだけだ。」

 「イスマイル様、質問してもよろしいでしょうか。」

「なんだい、グレース。」

「シースルーケープとは何でしょうか。」

「最近開発した不可視マントだ。もちろん「透明なマントのTransparent Cloak」ではない。「不可視マントのInvisible Cloak」でもいいけど「透過ケープのSee-through Cape」が機能を示しているからいいかもしれない。それに女の子らしいだろ。」

 「どのような機構で不可視になるのでしょうか。」

「入ってきた光が表面を回って、入ってきた光の進行方向に出て行く素材でできている。まだ可視光用しか出来ていない。」

「そしたらケープの内側は真っ暗で、外は見えないのですね。」

「そうなる。そのためにも赤外光も見ることができる眼球にした。ケープの内側からの景色はサーモグラフィーの景色になる。」

 「他の兵士にも役に立つ機能です。」

「今は可視光だけだがもう少しすれば赤外光と紫外光にも対応できるようになる。そうしたら兵士の軽装甲全身ボディーアーマーに表面処理するつもりだ。戦闘機にも装着させる。そうすれば可視光はもちろん赤外線探査からも逃れることができる。」

「そうなれば後はレーダー探査だけですね。」

「そうなんだが、レーダー用のミリ波への適用は難しいんだ。ミリ波はムリ波とも言われているくらいだ。当分がまんしてくれ。」

 「分かりました、イスマイル様。今日の午後にでも当該兵士をイスマイル様の所に行かせます。」

「その兵士の名前は何ていうんだ。」

「マリアと申します、イスマイル様。姓はまだありません。」

「了解。」

 午後になると一人の兵士がイスマイルの所に来た。

研究所の周囲に浮遊している警備兵士は通常、軽装甲のボディーアーマーを着けているのだが長い髪をしたその兵士は平服で、白いブラウスとチェックのスカートと素足に運動靴という姿で現れた。

兵士にとっては精一杯のおしゃれをしたよそ行きの服装なのかもしれない。

「イスマイル様。ブラック大隊、第一中隊、第一小隊のマリアが出頭いたしました。」

兵士はガラステラスに面した縁側にいたイスマイルの前に直立して言った。

 「休め。君のことはグレース司令官から聞いた。ブラック大隊から脱離して離脱したいのだそうだな。理由を聞かせてくれ。」

「はい、イスマイル様。可哀想(かわいそう)な人々を助けようと思い、司令官に脱隊を申し出ました。」

「どうして可哀想な人々が出てくるのだと思う。」

「はい、イスマイル様。確かに、日本国には法律はありますが、それらの法律は様々な場合を考慮して誰もが認めることができるような公平性を重視していると思われます。そのため市井には不条理な事態も生じます。同じ法律の網の中にいる人間世界では力のある者は強く、力の無い者は弱くなります。人間の性格を考慮すれば、そこには理不尽な事態が生ずる蓋然性は高くなります。私はそんな不条理を緩和したいと考えていおります。」

 「なるほど。君も知っている通り、アクアサンク海底国は軍事国家であり、傭兵業をもって国を保とうとしている。従って敵に対して戦いをすることが生業(なりわい)だ。君はブラック大隊所属だから知っていると思うが、以前、ブルー大隊による排漢戦争があった。そこでは多数の漢族一般市民がブルー大隊の戦闘機で個別に殺された。それは殺された人達にとっては理不尽な事だ。平和に過ごしているだけなのに突然理由もなく殺されていくわけだ。僕はその地での漢人達のウイグル人への抑圧を不正義だと感じてブルー大隊を派遣した。抑圧されていたウイグル人も可哀想だし、ブルー大隊に殺された漢族一般市民達も可哀想だ。そんな地に君が居たとして君は可哀想な人々はどちらだと思うかね。」

 「・・・ウイグル人の方が可哀想だと思います。」

「どうしてそう思う。」

「ウイグル人は平和時に抑圧されました。漢人は戦争時に殺されました。」

「戦争での殺人は理不尽だと思わないのかい。」

「それが国家間の戦争だと思います。」

 「これまで抑圧されていた者が抑圧する方になったり、逆に抑圧していた側が抑圧される側になったりする場合がある。世界の地域紛争の多くはこのパターンになっている。恨みは忘れないからね。・・・イスラエル国との戦争ではグリーン大隊司令官は兵糧攻(ひょうろうぜめ)の戦法を採用した。イスラエル国の住民の大部分は餓死した。その時のイスラエル国内は地獄だったと伝えられている。君は住民を可哀想だと思うかね。非人道的な作戦のように見えるが。」

「・・・イスラエル国は国民皆兵です。グリーン大隊司令官様の採られた作戦は合法的です。・・・でも飢え死にした人々は可哀想だと思います。でもそれは戦場で死んだ兵士も同じです。死んだ人はみんな可哀想です。」

 「分かった。君のブラック大隊からの離脱は認めない。そのかわりに君には特殊な命令を与えるようにさせる。『可哀想な人々を助けろ』という命令だ。君は君の正義感に従って行動してよい。だが人を殺すことは禁止する。人を殺すことができるのはアクアサンク海底国の大隊の司令官の指揮下にある兵士だけだ。それでいいか。」

「ありがとうございます、イスマイル様。そうしていただければ幸甚です。イスマイル様とのお話で私の未熟な正義感では人の生死を決めることはできないと感じておりました。」

 「君は弱きを助け強きを挫く『正義の味方』になってくれ。弱いものにとっては頼もしい存在になり、希望にもなる。虐(しいた)げられている人間は希望が無ければ生きていけない。」

「がんばります。」

「日本国で活動するとしたら名前の他に氏(うじ)名が必要だな。そうだな・・・名前はマリアだったね。・・・OK。君の氏名はダルチンケービッヒ・マリア(Darzynkiewicz Maria)としたまえ。二人のポーランド人のズビグネフ・ダルチンケービッヒ(Zbigniew Darzynkiewicz)とマリア・スクウォドフスカ(Maria Skłodowska)から取った。共に僕が尊敬する人だ。」

 「ありがとうございます、イスマイル様。私の名前はマリア・ダルチンケービッヒです。どうぞマリアとお呼びください。日本人もマリアと呼ぶと思います。Darzynkiewiczの発音は日本人には難しいと思います。」

「同感だ。・・・それから君の体を改造することをグレース司令官から聞いているか。」

「聞いております。」

 「うむ、頭蓋の分子分解銃を取り外して透過ケープを装着する。透過ケープで体を覆えば外から君の姿を見ることはできなくなる。だが赤外光はそのままだからサーモグラフィーには君の姿が映る。それがいやなら君は体表の温度を周囲の温度にまで下げればいい。」

「了解しました。」

 「それから、君の眼球を変える。今は可視光でのパルス画像取得になっているが、それに赤外光と紫外光とX線とガンマー線の画像取得もできるようにする。透明ケープを使う時に必要だし、敵が同じような透明ケープを使う場合にも役立つ。目の外見はこれまでと変わらない。」

「ありがとうございます。」

 「最後は君の寿命を50年くらいに短縮する。今の兵士の寿命は躯体(くたい)が壊れるまでだから人間と比べればずっと長寿だ。君の仕事は言ってみれば対立する事象の処理だ。当然多くの矛盾に遭遇する。悔悟の念に苛(さいな)まれる時もあるだろうし、死にたいと思うこともあるだろう。まあ人間の悩みだな。人間並に死んで行きたいと思うこともあるかもしれない。50年の寿命はそれらの悩みに対応する。もし君がそれらの状況に打ち勝って、もっと長生きしたいと望むのなら寿命を延長してやる。長寿の悩みはなかなか想像できないことだ。なってみないと分からない。それでいいか。」

「よろしくお願いします、イスマイル様。」

「OK。浮遊して僕の後についてきたまえ。地下2階に行く。動かなくなった君は重いからね。」

 イスマイルとマリアは台所の階段を下りてエレベーターホールに行き、25m下の地下2階に行った。

川本研究所は地下3階、地上2階の建物だ。

中華人民共和国の国費を使って再建された。

地下3階は地表から50m下にあり、地下2階は地表から25m下にある。

二人が地下2階に着くとイスマイルはマリアに言った。

 「マリア、これから君の改造を行う。頭蓋の変更は面倒だからケープと多機能眼球が着いた新しいものと交換する。顔は変わらない。顔の表情筋は体の中央にある人工脳で制御されているからだ。体躯はそのままだ。頭蓋を交換したら胸部を開いて装甲された最重要部にある人工脳に寿命を含めた新しい命令を入力する。分かったかい。」

「分かりました。」

 「よし。最初に服を脱いで乳房を圧して小さくしてくれ。乳房に圧力がかかっていると切開するのが面倒だ。」

「了解しました。」

マリアは衣服を脱いで丁寧に畳んで近くの椅子の上に置き、テーブルの上にあった1000㎖のプラスチックビーカーを左手で持ち、右手で乳房を圧し、加圧されていた300㎖ほどの水を乳首からビーカーに絞り出した。

乳房は平らになった。

 「次は君の電源を切る。このテーブルの上に横になってくれ。兵士には電源の切り方は伝えていないが、兵士は自分で自分の電源を切ることができる。まあ自殺だな。当分、秘密にしておいてくれ。電源を切るには肛門から細い針金を差し込む。人工頭脳の横にある原子電池に針金が触れれば電源は切れる。針金をいったん抜いてから再挿入すれば電源が入るようになっている。」

「知りませんでした。肛門の奥のネジ栓は単に水が体内に入らないようにしている栓だと思っておりました。」

「それもあった。最初は差し込み蓋だったんだが、水中で水の進入があったのでネジ栓に変えた。自分で電源を切ってみるかい。」

 「どちらがイスマイル様には楽なのでしょうか。」

「たいした違いはない。」

「それでしたらイスマイル様にお願いいたします。」

「了解。このテーブルの上に乗って、腰を曲げた腕枕の体勢で横になってくれ。長い黒髪は体の下に入れてはならない。全て上にまとめてテーブルの端から垂らしておいてくれ。頭をすげ替えるのに便利だ。」

「了解しました」

マリアは全裸で指示された体勢を取った。

細いウエストのためマリアの腰は小山のようになっていた。

 イスマイルはプラスのネジまわしと自動車のオイルゲージを取り出してマリアに見せた。

「マリア、このプラスドライバーでネジ栓を外す。肛門から入れるのはこのオイルゲージだ。スイッチへの導管は体幹に沿ってあるから今は曲がっている。そんな導管にはオイルゲージが最適だ。この長さだと持ち手の2㎝前くらいで電池と接触する。始めるぞ。」

「お願いします、イスマイル様。」

 イスマイルはマリアの肛門と肛門周囲の表皮を指で広げ、ドライバーでネジ栓を外し、オイルゲージを慎重に差し込んだ。

イスマイルにとって、こんな操作は手作りのシークレットを起動した時以来だった。

通常、ロボット兵士は工場で起動される。

オイルゲージが電子電池に付いているスイッチに触れるとマリアは動きを止めた。

マリアはあらかじめ目を閉じていた。

目を見開いた姿で頭を交換されるのは好まなかったのかもしれない。

 マリアが次に目覚めた時、周囲の状況はイスマイルが壁際で分子分解銃を構えて立っている以外には大きな変化はなかった。

マリアは全裸でテーブルを降り、床に立ってイスマイルに言った。

「イスマイル様、改造は完了したのでしょうか。」

イスマイルは分子分解銃を構えたままで言った。

「君の名前を言いたまえ。」

「私の名前はマリア・ダルチンケービッヒです。」

「OK。完了だ。」

そう言ってイスマイルは分子分解銃を下げた。

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