※この扉は、エグいBLを愛する人にしか開けません。かなりご注意を!

 夕暮れの満員電車。苛立ちと溜息。むっと漂う汗の匂いと体臭。生ぬるい空気。

 不快感満載なこの空間では、誰もが皆、周囲の人間を置物とみなして自分の世界を守る。これだけの人間がいるのに、他人を見ている人間なんてほとんどいない。


 程よいスリルと背徳感に見舞われる、最高のステージ。

 毎日の通勤時間が、俺にとってはお楽しみだった。


 少し余裕のあるサイズのスーツをきっちりと着こなして。今日も身に馴染んだアレを中に仕込んで何食わぬ顔で車内にたたずむ。

 体格がよく強面こわもての部類の俺をじろじろと見る人間はいない。

 俺は、いつものごとく弾みそうな息を押し殺して、動き出しそうな腰にぐっと力を入れて耐えて、欲望に忠実な入口の筋肉だけを駆使して玩具を操り、淫靡いんびな一人遊びに興じていた。


 興奮に張り付く喉で咳払いする。ほんの少し視線をさらうものの、注目は一秒と持たなかった。そんなものだ。誰も気づかない。

 公衆の面前で、こんなに卑猥な悦に身を晒し、この上なく不道徳な遊びをしているにも関わらず。最早習慣の頻度であるそれに、疑いの目を向けられる事すらなかった。


 恍惚こうこつに染まった顔を俯け、前を隠す鞄の持ち手をぎゅっと握る。

 はやってきた息を喉元で噛み殺し、深く静かに呼吸を繰り返す。

 じっとりと浮いた汗は、この空間では不自然ではない。


 もっともっと刺激が欲しいという欲望を抑え込み、電車が揺れる度にその振動になぶられ、何度もその瞬間を思い描きながら濃い快楽の中に浸る。

 ちかちかと瞼の裏が滅減し、全力疾走したかのように心臓が走る。焦れた指や足の先がじんわりと疼いた。


 だが、俺にもさすがにここでそれ以上はダメだという分別はあった。

 もし達してしまえば、こんな人口密度の中でいやらしい匂いは隠しようがない。だから、我慢という追加された遊びをまたたのしむ。



 電車がカーブに差し掛かると、背中にぴっとりと体温を感じた。

 その瞬間の得も知れない快に震えが走ったが、なんとか押しとどめる。

 背後の気配は近い。ひんやりとした恐れと、それに反するように昂ぶる淫らな熱にどうにかなりそうで懊悩おうのうした。

 そんな偶然は時になくはない。だから、俺は背後の人物が離れるのを、一層息を押し殺して待った。


 ひたり、と何かに背中が押される。

 思わずびくりと腰が跳ねて、ギリギリで音を潰した吐息が熱く口から零れた。待ち望んだ新しい刺激に、腹の底が歓喜にうごめく。髄を突き抜けた愉楽に息が止まって、それでも何とか自然を装い足を踏ん張った。

 耐え切れなければ。俺は歯噛みしてその偶然にあらがった。だが、全く思ってもいなかったことに、偶然は更にたたみかけてくる。


 背を押す力が、背骨を辿たどるようにゆっくりと下る。そして、腰骨をもてあそぶように撫でて、力がこもった片尻を包み込んで揉んだのだ。

 ここにきてようやく、俺は、これは偶然ではないのだと気付いた。

 危機感に頭の一部は妙に冴えわたってすくんだものの、的確に意図を持って触れてくる手が与える刺激は、長く待ち望んだ欲望をくすぐって深く引きずり込まれるようだった。


 立っていなければ。不自然な動きを避けなければ。

 ぐるぐると頭の内を巡りながら、一方では尻を揉む手にもっと体を押し付けたい、腰を振りたいという衝動に苛まれる。

 逆上せたように荒い息が自分の耳に届いて、慌てて唇を噛んだ。その隣を伝った汗が、ぽたりと空中を舞う。


 俺は半開きの目で、何とか顔を上げて窓ガラスを見つめた。

 おずおずと視線を彷徨さまよわせている内に、肩をくすりと笑いの音が撫でていった。


 ひくりと身体を揺らして、吐息の先を探る。

 そこにいたのは、線の細い美少年だった。


 窓にうっすらと映る制服姿の少年は、中性的な人形のような顔の中で瞳を蕩けさせて、笑いを含んだ小さな声で俺の耳元を擽る。


「……このままじゃ、どうしようもないね。可愛がってあげようか?」

 ガラスに映った少年の射竦いすくめるような瞳に、俺はぞくぞくと身体の芯を痺れさせた。

 立っているのもやっとな俺に、少年はにこりと間接的な笑みを投げかけて。

「返事もできない?」

 甘く囁いてパシンと俺の尻を打った。


 もはや声も出ず、コクコクと頷く事しかできない。

 一瞬のうちに支配され、陥落してしまった。なのに、頭の中には甘美な妄想だけが渦巻いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る