きみといっしょに ②
公園の中は静かで、街灯がともり始めた夕暮れなのに誰もいなかった。入口はぐるぐるとロープでまかれて立ち入り禁止の札がいっぱい貼られている。ぼくのからだがあったあたりには囲いがされていて、何も見えなかった。
たくさんの大人が忙しくばたばたしているくらいの大騒ぎだったから、警察が調べている公園は閉鎖されてしまったのだ。これじゃ、みかちゃんが遊びに誘いにきてくれるはずがない。それじゃなくても、あのきたならしいからだがぼくだったって知ったら、ぼくが人間じゃないって知ったら、この公園にくさくてきたならしい肉塊が捨てられていたって知ったら、もうみかちゃんは遊びに誘ってくれないかもしれない。
ぼくは、公園の外にでてあてもなく道を歩いた。夕方なのに人通りが多い道路には、小学生も、中学生も、高校生も、おばさんやおじさんもたくさん歩いてる。この道がどこに続いているのか知らなくて、みかちゃんがどっちの方向にいるのかも知らなくて、結局は公園の前をうろうろする。誰も振り返らない。歩きながら公園をちらりと見て、眉をひそめて通りすがる大人もいる。ぼくはたくさんの人に迷惑をかけてるんだと思うと、もっと悲しくなった。みんなが公園を遠巻きにして歩いているなかで、かけてきた黄色いポシェットをかけた女の子が公園の入り口に張り付くようにして中を覗いた。その姿を見て、ぼくは悲しい気持ちを忘れて嬉しい気持ちで胸をいっぱいにした。みかちゃんだ。きっと、ぼくを探してくれてる。
「あ…の、み、みかちゃん?」
ぼくは勇気をふりしぼってみかちゃんに話しかけた。こんな風に、同い年くらいの子に話しかけたことなんてなくて、生きてもいないのにのどがからからになって、てのひらがじっとりするのを感じた。
みかちゃんは、振り返ってまたにっこりと笑ってくれた。きらきら光るようなうれしそうな目をして、ぼくを見ている。すごくかわいい。動いてない心臓が、どきどきした。血がめぐっていない肌が、真っ赤になりそうだった。
「あー、もうあえないのかとおもって、しんぱいしてたの。わたしのくつ、はいてくれてるのね。」
ぼくの足元を見て、みかちゃんがふふっと柔らかそうな頬をゆるめる。ぼくに、こんな顔を向けてくれた人なんかいない。うれしくて、うれしくて、もう胸元にない心臓がぎゅーっとした。
「あの、ありがとう。くつ。みかちゃんが、やさしくしてくれて、うれしかった。あそぼうってさそってくれて、うれしかったよ。」
胸のなかいっぱいの気持ちを、全部吐き出すように言って、ぼくは笑った。笑うのなんて、いつぶりだっただろう。ああ、みかちゃんに会えて、嬉しかったな。ぼくはもう、何も思いのこすことなんかないんだ、この世界に。君が笑ってくれたら、頭のなかいっぱいだった後悔も、自責も、苦しさも、全部どうでもよくなってしまった。
ぼくの、開くべきドアが見えた。ずっとずっと、上のほう。人間には見えないところに、さようならの門がある。
「わたしも、あなたにまたあえて、うれしい。それじゃあ、いっしょにあそぼう!ねえ、あなたの名まえをおしえて?」
みかちゃんは、くすぐったそうに笑いながら、疑うことなく僕に「思いのこすこと」をくれた。元気いっぱいのみかちゃんは、恥ずかしくても、ものかげに隠れてしまったりもじもじと黙り込んだりはしないみたいだ。ふわふわに笑った頬っぺたが少し赤い。それがうれしくて、あんまりかわいくて、じっとしていられないほど心が浮き立った。まだ、みかちゃんとさようなら、したくない。
「ぼく、たけるっていうの。じゃあ、いっしょにあそぼう!」
そうして、みかちゃんと毎日遊んだ。ぼくはやっぱり、公園のまわりくらいにしかいられなかったから、ぼくたちは公園の前の道で毎日待ち合わせて遊んでいた。公園の前を走っていく小学生の姿を見てて、肌寒い季節になるとその恰好のまねをした。さようならの門は、毎日ぼくを待っている。だけど、ぼくは毎日みかちゃんに会うことだけが心残りになって、みかちゃんに会うと、明日みかちゃんに会えることが心残りになるから、まだあの門をくぐる決心はつかない。
みかちゃんは、ぼくが普通と違うってことに気づいてないんだろうか。
たとえば、他の誰にも見えていないこと。髪も爪も伸びないこと。この公園のまわりから出られないこと。触れることができないこと。
公園は封鎖がとけて解放されたけれど、訪れる人はほとんどいない。ときどき花束をもった人が、ぼくのからだが見つかった壁のへりへと手を合わせていく。見たことがない人もいて、見たことがある人もいた。いつかぼくを怒って警察署につれていったおじいさんが、顔中をくしゃくしゃにして泣いていた。ときどきぼくにお菓子をくれたおばあさんが、しばらくずっとその場で立ちすくんでいた。
ごめんなさい。ぼくは今、こうやって自分のためにだけ楽しい道を選んでいる。たくさんの人を不幸にしたのに。
「たけるくん、わたしこのまえかってもらった本、もってきたよ。いっしょによもう!」
みかちゃんが本を持って駆け寄ってくる。公園の入り口の低い石垣によじ登って腰かけて、二人で本を読む。ときどきみかちゃんの息が白くなって空気に溶けていく。ぼくのしてもいない息も、同じように白くなったらいいのに。温かいみかちゃんの放った熱がじんわりとぼくの冷たい幽霊のからだに、人間の身体が温かいってことを教えてくれる。ぼくもきみを温めてあげられたならよかったのに。本を持つのはいつもみかちゃんで、触れた紙っきれはぼくのからだをすり抜けていく。男の子らしく、女の子の荷物を持ってあげたくても、ぼくにはできない。
触れたみかちゃんの腕が、ぼくのからだをすかっと横切った。ぼくはいたたまれなくて顔を伏せる。ここにいるのに本当はいない。ここにいたくているのは、ぼくのわがままで。
みかちゃんが、小さく息を飲んで、それからぼくの顔を覗きこんだ。大きな目が、まっすぐに、決心するみたいに真剣にぼくを見ていた。
「たけるくんは、ゆうれいなのね。」
ぼくは、俯いたまま頷く。いつか、まだ生きていた時に感じていた、息苦しさがよみがえってきたようだった。空気を吸ってからだのあちこちが痛んで、吐きだすとごぼごぼとからだのなかのものを全部吐いてしまいそうな、必死な苦しさだった。ぼくはどんな顔をしているのだろう、こんな顔は見られたくない。
「わたしは、たけるくんのことが、いちばん大好きなの。ゆうれいは、きえてしまうの?わたしと、ずっといっしょにいてくれる?」
みかちゃんの優しい声が、ちょっと緊張したようにぼくの頭の上から降ってくる。涙が、溢れるとしたらこんな時だっただろうか。ぼくは、いつ泣いていたのか覚えていない。息をするのに精いっぱいで、あちこち痛いのに、苦しいのにふんばるのに精いっぱいで。涙が流れるかどうかなんて、意識していられなかった。だけど、今は泣きたい気持ちでいっぱいだった。温かい。ああ、失いたくない。ぼくは、みかちゃんと、ずっといっしょにいたい。
「うん、……うん。ぼくも、みかちゃんのこと、だいすきだもの。いっしょにいたい。ずっと、いっしょにいよう!」
顔を上げて、必死にみかちゃんに伝えたら、みかちゃんはとても幸せそうに笑った。ぼくの心は、うれしさでいっぱいになった。幽霊でも、みかちゃんと一緒にいられる。生きてなくても。触れなくても。他の誰にも見えなくても。ずっと。
さようならの門が抗議するようにぼくを見ている気がしたけど、ぼくはそれに気づかないふりをした。あの門をくぐれなくなっても、ぼくはちょっとでも長くみかちゃんと一緒にいたい。苦しいとか、つらいとか、そういうのは生きているからだと共に全部なくなってしまった。ぼくが望んでるのは、みかちゃんだけだ。天国に行く理由なんかない。
だって、もしも神様がいたとして。ぼくも、お父さんも、お母さんも、誰も助けてくれなかった神様が、ぼくたちを非難するのはおかしいじゃないか。
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